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今度は愛を囁かれました

「リリー! 引っ越しよ!」


 城内に与えられた自室に飛び込むと、部屋で待機していた侍女の名前を呼んだ。留守を守っていたリリーは夜会の途中で戻ってきたわたしを見て、驚いた顔をしている。お母さまの侍女だったリリーには生まれた時から面倒を見てもらっているけど、これほど驚いた顔を見たのは初めてかも。


「お嬢さま、引っ越しって……」

「今、殿下に婚約破棄されたの! 荷物をまとめてさっさと出るわよ」


 衣裳部屋に入って、トランクを引っ張り出す。ここに来た時に持ってきたトランクは魔法の鞄で、見た目以上の容量を入れることができる。


 そして、殿下の婚約者として与えられたもの以外、つまり、ここに来た時に持ってきたものだけをポンポンと入れていく。


「適当に突っ込まないでください!」


 悲鳴のような声をあげて、リリーがわたしからトランクをひったくる。適当に入れた衣類を取り出すと、丁寧に畳み始めた。


「ありがとう。日用品を持ち出しても怒られないわよね?」


 他の人が使えないような肌着や小物類は持ち出すつもりだ。


「よくわからないのですが、なんでまた婚約破棄だなんて」

「わたしが想像以上に無能だからですって」

「え?」


 リリーの手が止まった。信じられないというような顔をして見つめてくるので、にこりと笑う。


「そう思うのも仕方がないわよね。いつもその日の仕事が終わらずに山積みだし」

「お、王妃陛下はどう思われているのですか? あの仕事は王妃陛下と王子殿下のものであってお嬢さまの仕事ではないはずです」

「んー、どうやら王妃陛下も頑張っているけど成果の出ない子、と思っていたみたい」


 胸の奥がチクリとしたけど、事実だ。頑張ってきたんだけどな、というやるせない気持ちが込み上げる。だけど努力は認めてもらえていたから、結果が出ないわたしが悪いんだろう。


「そんな……。でもお嬢さまとの婚約を破棄してどうなさるのです? お嬢さま以上の魔力を持っている婚約者のいない令嬢はいらっしゃらないはずです」

「そう思っていたけど、そうじゃなかったのよ」

「その言い方だと、すでに見つかっているのですか?」

「ええ。聞いてびっくりしないでね。わたしの後釜はアマーリエよ!」


 とっておきの情報を伝えるような気持で教えてあげれば、リリーの目が極限まで開いた。


「ありえません! そもそもお嬢さまの魔力の多さは奥様の血筋のおかげですよ? 旦那様の血筋はすっからかんじゃありませんか!」

「そう思うのだけど、殿下が同じ伯爵家の娘、素質は同じだと確信をもって披露していたから。もしかしたら先祖返りしてわたしよりも多いかもしれないじゃない? それに本人はわたしよりもできると言っていたし。だから、まあいいかー、と思って」

「まあ、いいか、ではありませんよ。こんな不名誉なこと、お嬢さまの将来に関わります!」


 納得していない顔をしているが、リリーは荷造りする手を止めなかった。


「無能な王子妃と言われるのも十分に不名誉よ。たっぷり睡眠が取れるなら、もう婚約破棄でいいわ」

「お嬢さま……」


 わたしの毎日の疲れた様子を見ているリリーは言葉に詰まってしまった。それを横目で見ながら、どんどん持ち出すものを片付けていく。


「さてと、私の方はこんなものね。リリーの荷物も用意しないと」

「わたしの荷物は常に持ち歩いています」


 そう言って、エプロンに取りつけられているポーチをポンと叩いた。小さく、ぱっと見た感じ侍女の持つ小物入れに見える。常に荷物を持ち歩いていると聞いて、びっくりする。


「もしかして、ここに来てから一度も荷ほどきしていないの?」

「必要な時に取り出しています。部屋に置いてあるのは、侍女への支給品ですね」

「そう」


 リリーにとってこの城は信用ならない場所のようだ。荷造りを終えて、二人はそれぞれの部屋に忘れ物がないかを見て回った。


「忘れ物はないみたい」

「これからどこに行くつもりですか? 伯爵家に戻るのは、正直お勧めしません」

「そうなのよね。とりあえず宿を取ろうかと考えているわ」

「外に出られるのなら、ドレスを着替えた方が」


 リリーに言われて、まだ夜会ドレスのままだと気が付いた。


「一番、楽なドレスはどれだったかしら?」


 手持ちのドレスを思い描きながら、リリーにそう言うとノックの音が響いた。二人で顔を見合わせる。


「こんな時間に誰でしょう?」

「殿下かしら? でも夜会の最中だし、この部屋に来たことは一度もなかったわよね」

「取次に出ます」

「誰であっても、婚約破棄のショックで寝てしまったと断って」


 わかりました、と頷いてリリーは扉へと向かった。その後姿を見送ってから、長椅子に座る。

 こんな時間に誰だろうと思いめぐらすが、わざわざわたしの部屋まで来る人間はいない。大抵はわたしが足を運ぶ。


 思い当たる人がいないから、もしかしたら侍女か侍従かも。

 クッションを抱きしめて、だらけていれば聞きなれた声が飛び込んできた。驚いてクッションから顔をあげれば、困ったようなリリーと夜会に出席していただろう格好をしたリアム様がいた。リアム様はわたしの仕事の補佐と王子妃教育の教師をしていて、王子妃としての色々も、王族のすべき仕事も彼から教わっている。


 リアム様は遠慮することなく、ずかずかと近づいてきて、呆けているわたしの顔を両手で包み込みこんだ。無理やり上向かせられ、彼の顔が間近に迫る。その距離の近さにびっくりした。


「なんだ、泣いているかと思っていたのに」

「……リアム様、いくら公爵家の方であっても勝手に入ってきて、わたしに触れるのは非常識です」

「いいじゃないか。別に見られたところで、困ることはないだろうし」

「そういう問題じゃないです」


 むっとして否定して見せれば、リアム様が小さく笑った。頬から手を離し、優しく頭を撫でてくる。


「元気ならいいんだ。あんな風に婚約破棄するなんて、あれの気がしれない」


 あれと言うのは殿下だ。そういう言い方はまずいんじゃないのかな、と思いながらもリアム様は公爵家の嫡男。従兄弟の関係もあるからある程度は許されていそう。


「それで、どんなご用件ですか?」

「ああ、そうだった。ここを出ていくなら、うちに来ないか。丁度両親も領地にいるから、気を遣うこともない」


 お茶でも飲みに来ないかと言わんばかりの言い方に、呆けてしまった。リアム様はわたしの返事を待つことなく、さらに続ける。


「婚約破棄を撤回したいのならここに残った方がいいが。そうじゃないのなら、さっさと出ていかないと使い潰されるぞ」

「使い潰されるとは穏やかじゃないですね」


 リアム様は笑った。


「そうだろう? あの女、お前の異母妹。全然魔力がないじゃないか」

「……可能性はあるらしいですよ? 婚約してからずっとこちらで過ごしているのでよくわからないのですが」

「可能性ね。どちらにしろ、根性はなさそうだから、早めに逃げないと後始末だけ押し付けられてしまう」


 それはわたしも分かっていた。だから、ここでぐずぐずしているわけにもいかない。


「わたしは国外に行くつもりです」

「後ろ盾のない令嬢が国外まで逃げ切れるわけがないだろうが。どこかの奴隷商に捕まって売り飛ばされる未来しか思いつかない。さあ、うちに行こう」

「うっ。言いたいことはわかりますけど! ちょっと待ってください。リアム様についていく理由がないです」


 本当にごく自然に促されて、踏みとどまった。確かにリアム様は誰よりも一緒にいて楽な人だ。厳しいことを言うことも多いが、納得できる。でもだからといって、非常事態の時に頼るのも何か違う気がした。


「理由は簡単だ。お前に婚約者がいなくなったんだから、俺が貰ってもいいだろう?」

「貰う?」

「そう。君は女性として魅力的だ。顔色は常に悪いし、目の下にはクマがこびりついているが、綺麗な顔立ちをしている」


 なんだか歯の浮くような言葉を告げられて、面食らった。


「ええ?」

「髪も手入れ不足でキシキシしているようだが問題ない。我が家の侍女たちに任せれば、どんながさついた肌であろうと髪であろうと、あっという間に美しくなる」


 髪のことを言われて、思わず自分の髪を手に取った。全体的に水分が足らず、傷みがすごい。

 確かにこんなにも傷んでいる髪をしている貴族令嬢なんていない。ほんの少しだけ、元婚約者の殿下の言いたいことを理解した。でも日々の生活に余裕がないのも本当で。

 今になってしくしくと胸が痛み始めた。


 項垂れたわたしの手をリアム様が両手で掬い上げる。反射的に顔を上げた。

 社交界でも君臨している元王女である公爵夫人の美貌を受け継いだリアム様。いつもは無表情な彼が幾分熱を含んだ眼差しでわたしを見下ろしていた。


 いつもと違う雰囲気に、落ち着かない。


「何よりも、君のその心根が好ましい。今までは王子の婚約者ということで近寄るつもりはなかったが、チャンスが巡ってきたんだ。他に思う相手がいないのなら、俺に口説かれてくれ」


 囁きながら、わたしの指先に口づける。


「今はまだ思いを返してくれなくてもいい。これから全力で愛するから」


 頷くこともできず、かといって振り払うこともできず、わたしはこの場から逃げるために意識を飛ばした。


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