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 昼休み。

 パソコンの画面とにらめっこ耐久レースを続けてカチコチに凝った肩をぐるぐると回し、一息ついた。


 いつもなら気分転換を兼ねてランチをしにあの喫茶店に行くところだけれど、ほんの数日前にあんな出来事があったばかりだ。どう考えても行きづらい。私の気持ち的に。


 今日はコンビニでサンドウィッチでも買おうかな。財布の中身を確認していると、笑顔の社長が近付いてきた。


「今から昼ご飯かい?」

「はい。社長もですか?」

「いや。僕は井上会長にこの書類を届けてからかな。午後イチで使うって言ってたからちょっと急がないとね」


 社長は封筒に入った分厚い書類を見せる。

 井上会長ってことはアンティーク関係の広告か。そういえば朝連絡きてたしなぁ。ていうか急ぎの用事なのに私と話してて大丈夫なのだろうか。


 私の心配を余所に、社長はにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべている。ちなみに祥子さんは社長のこの笑顔を「詐欺師の微笑み」と呼んで毛嫌いしている。胡散臭さ丸出しで気に入らないそうだ。


「ところで高瀬くん」

「はい?」

「君、失恋したんだって?」


 社長の一言で周りの空気が瞬時に凍り付いた。私自身も一瞬動きを止めてしまったが、すぐに我に返る。そしてものすごい勢いで遥香ちゃんのデスクに視線を向けた。彼女は私の殺気を感じたのか、大慌てで書類の山に身を隠す。やっぱり! 犯人はお前か!!


「え? なに? あんた失恋したの?」


 人の不幸は蜜の味、と言わんばかりに食い付いてきたのは祥子さんだ。


「…………まぁ。そうですけど」

「もう! なんで言わなかったのよ水くさいわねー! いつ? フったの? フラれたの?」

「…………金曜の夜に。……あっちから」

「マジで? じゃあ失恋したてのほやほやじゃんか!」


 祥子さんはケラケラと笑い出す。


 ああもう! どうしてうちの会社にはこうデリカシーの欠片もない人達ばかりが集まってるんだ!! 傷口に塩、もしくはレモン汁を垂らされたみたいに胸がじくじくと痛む。


 我が社唯一の良心、嶋田さんに助けを求めようにも、彼は今休憩室で仮眠中のためここにはいない。……残念だ。


 笑いがおさまった祥子さんが私の顔をじっと見つめる。切れ長の綺麗な瞳の中には不貞腐れたように眉根を寄せた残念な私が映っていた。我ながらなかなか酷い顔である。


 祥子さんは再び笑顔を見せた。今度は声を出さず、口の端を上げた何か企んだような笑顔だった。……嫌な予感しかしない。


「よっし! じゃあ今日は飲み会よ飲み会!! 朝まで思う存分飲み明かしましょう!! 題して『高瀬理央を励ます会』!! 遥香ちゃん、店押さえといて!!」

「イエッサー!!」


 ちょっと!! なんで二人ともこういう時だけ意気投合してるのよ!!


「遠慮しないで励ましてもらうといいよ。僕は仕事で参加出来ないけどね。ただし、飲み過ぎには注意する事。小林さんと祥子は特にね」


 詐欺師の微笑みを浮かべたままの藤堂社長はそれだけ言い残してオフィスを後にした。


 ……なんだかんだ言ってもみんな私を気にかけてくれているという事が分かったので、今日はお言葉に甘える事にしようと思う。





 私を励ます会だったはずなのに、好き放題飲んだ挙げ句泥酔状態に陥った二人の介抱をする羽目になり、家に着いた頃には日付がとっくに変わっていた。


 つ、疲れた。まだ月曜だってのに何この半端ない疲労感。私の口からは自然と溜め息が溢れる。あの二人、私の失恋にかこつけて酒が飲みたかっただけだ。絶対そうに違いない。立て替えておいたタクシー代は明日きっちり請求させてもらうとしよう。


 ソファーに座って重い身体を休ませる。明日二日酔いで苦しむだろう二人の姿を想像していると、耳障りないつもの合図が聞こえてきた。私は時計を確認する。まさかこんな時間に? と半信半疑ながらもゆっくりと窓に近付いた。


「…………ヤマト?」


 小さく名前を呼びながら窓を開くと、ベランダにはやはり黒猫の姿があった。


「あんたこんな時間まで待ってたの?」


 いつもなら私がいないと分かるとすぐに何処かに行くはずなのに。どうやら郵便事業がよっぽど気に入ったらしい。膨らんだポケットにはおそらく丁寧に畳まれたメモ用紙が入っているのだろう。


 また正論だらけのめんどくさい手紙なのかしら。もう返事は来ないのかと思ってたけど、やっぱり律儀に書いていたのか。さすがは真面目人間。ああそうだ。次の手紙で返事は必要ないって事を伝えよう。そうすれば来なくなるでしょ。うん。




 Rさんへ

 すみません。僕も少し意地になってしまいま

 した。言い過ぎましたね、謝ります。

 勿論黒田の事は大切に育てるつもりです。

 前回の手紙で、その黒猫の事を本当に大切に

 思っているという貴方の気持ちが伝わりまし

 た。

 そこで、僕から一つ提案があります。もし良

 かったら黒田を共同で飼うという事にしませ

 んか? 貴方の家で飼えないのなら丁度いい

 。どうせ僕が飼っても黒田は貴方の家に行く

 みたいですし。

 本宅と別荘みたいな感じで中々リッチな猫に

 なると思いません?




「ええっ!?」


 手紙を読んで私は驚きの声を上げた。前言撤回! この手紙は最後じゃない! 次も返事いる!! 直ぐ様ペンとメモ帳を用意する。




 本当に良いんですか!?

 そのお話、とても嬉しいです。

 あなたが許可してくださるなら是非ともお願

 いしたいです。

 どうかよろしくお願いします。




 急いで書き上げ首輪のポケットにしっかりとしまう。ヤマトを抱き上げて顎のあたりをわしゃわしゃと撫でた。ヤマトの喉がゴロゴロと鳴る。


「ヤマト~。ついに私もあんたの飼い主になれるよ~」


 嬉しくてついつい頬が緩む。


 この人、もしかしたらちょっと良い人なのかもしれないな。掌を返したように考えが変わる。我ながら現金な奴である。それにしても、彼からの返事がこんなに待ち遠しいのは初めてだ。

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