8
さすがに何度も往復するのに疲れたのか、それとも郵便屋さんごっこに飽きたのか、ヤマトはあれから姿を見せなかった。最後の手紙にしますって書いたし、返事は渡されずヤマトの仕事もなくなったのかもしれない。それならそれで、まぁいいか。
土日は手紙のやり取りに集中していたせいか、元彼の事は思ったほど引きずっていない。お陰で今朝は瞼もスッキリだ。安心して出勤出来る。
「理央さぁん! おっはようございまーす!」
電車を降りて少し歩いていると背後から声を掛けられた。朝からこんなにハイテンションな人間を、私は現在一人しか知らない。会社の後輩、小林遥香だ。
「おはよう遥香ちゃん」
彼女は意味深に「ふっふっふっ」と含み笑いをしながら私の隣に並んだ。誰もが憂鬱な月曜の朝だというのに、メイクも服装もバッチリと決まっている。ああ、若いって素晴らしい。
「ところで理央さぁん」
「……なに?」
隣に並んだ彼女が含み笑いのまま私の顔を覗きこむ。
「金曜はどうでしたぁー? 彼氏さんとのデ・エ・ト!!」
彼女の悪気のない好奇心が胸に突き刺さる。そういえばあいつからの電話を受けた時一緒に居たもんなぁ。その時からなんかうきうきにやにやしてたし。遥香ちゃんこういう話大好きだし。
「あー……別れた」
とりあえず結果だけを簡潔に述べる。私の答えを聞いた遥香ちゃんは、ネジの止まったからくり人形のようにピタリと動きを止めた。
「うえええええええええっ!?」
一拍置いて彼女が大きな声をあげると、周りに居た人が何事かと振り返る。鋭い視線の数々が痛い。そんな周囲の様子にも気付かず、彼女はあわあわと慌て出した。
「ごっ、ごごごごめんなさい! 私、その、しっ、知らなくて!」
「いいの。気にしないで」
涙目になって謝ってくる遥香ちゃんに苦笑いで返す。
「でも……」
「ほら、早くしないと遅刻するわよ?」
「あ、待って下さい!」
カツカツとヒールの音を響かせて、私達はオフィスへと向かった。
駅から徒歩数分の距離にある雑居ビル。
緩い階段を上って辿り着く二階のフロア。
『広告制作会社Luna』
ここが私の働いているオフィスだ。
お洒落なアンティーク風のドアを押して中に入ると、室内は珈琲の香りに包まれていた。
「おはようございます」
「おはようございまぁーす」
「……ああ、もうそんな時間か。おはよう」
ヨレヨレのシャツにボサボサ頭の嶋田さんがインスタントコーヒーを淹れる手を止めて私達に挨拶をしてくれた。この様子だと昨日から泊まり込みで仕事をしていたらしい。休日出勤の上に徹夜なんて……。期日迫ってるって言ってたもんなぁ。お疲れ様です、嶋田さん。心の中でそっと呟く。
「うわっ! 嶋田さんってばまた泊まり込みで仕事だったんですかぁ? てかちゃんと寝てます? 隈ヤバイですよ!」
ちょ、徹夜明けの人間にそれ禁句! 遥香ちゃんの言葉のナイフに内心ハラハラしながら様子を見ていると、優しい嶋田さんは軽く笑って珈琲を飲んだだけだった。大人の対応だ。これが祥子さんだったら今頃この辺りに雷が落ちていただろう。
私たちはそれぞれお茶の準備をし、パソコンの前に座る。
広告制作会社Lunaとはその名の通り、依頼された広告の制作を請け負っている会社である。新聞、雑誌、CM、チラシ、店頭POP、パンフレット、カタログ、最近ではWeb広告やホームページ、ブログのデザインまで、仕事の大小を問わず幅広く手掛けている。私はここの正社員として働き、今年で四年目だ。
中小企業の代表のような小さな会社だが、社長持ち前のコミュ力で培った人脈とセンスの良いクリエイターが多いと作品も評判で、業界ではそこそこ名の知れた会社である。
今のところ経営は安定しているので、リストラの心配は暫くなさそうだ。
「はよー」
「やぁみんな、おはよう」
だいたいの準備が整った頃祥子さんと社長が一緒にオフィスに入ってきた。これで全員が出勤完了だ。遥香ちゃんは二人を見付けるとすかさず反応を示す。
「あっれれー? 祥子さんってば藤堂社長と一緒に出勤ですかぁー? あっやしーい!」
「はあ? そこでたまたま会っただけだっつーの」
「いやぁ、祥子の準備が遅いせいで危うく僕まで遅刻するところだったよ。参った参った」
「何ですかそれっ!? その話詳しく!」
「なんで家から一緒に来たみたいに言ってんの? 階段の下で会って同じ場所に向かったら嫌でも一緒に出勤するしかないじゃんそれだけじゃん馬鹿じゃないの?」
「ははは照れない照れない」
「ふざけんな!」
いつも通り朝からわいわいと騒がしい。堅苦しくないアットホームなこの雰囲気が私は割と気に入っている。
試合開始のゴングのように一本の電話が鳴り響いた。空気が引き締まり、皆仕事モードへと変化する。
「はい。広告制作会社Lunaの高瀬です」
さぁ、今日も忙しい一日が始まる。