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「ごめんなさい。私、黒崎さんとは付き合えません」
数日後、私は黒崎さんに告白の返事をしに行った。彼は答えをわかっていたようで、苦笑いを浮かべながら「うん、そうだと思った。パティシエの彼とお幸せにね」と言ってくれた。ふっきれている様子の黒崎さんを見て、勝手ながら少しだけ安心してしまった。
「ヤマトー。おいでヤマトー」
エスポワールの裏口にしゃがみ、すりすりと顔を寄せるヤマトを両手で撫でまわす。その途端、隣にいる橘さんの眉間にシワが寄った。
「頼むから黒田のことをヤマトって呼ぶのやめてくれ」
「なんでですか?」
「……自分が呼ばれてるみたいで居心地が悪いんだ」
橘さんが気まずげに顔を伏せると、頭上から楽しそうな声が落ちてきた。
「も〜! タッチーってば素直じゃないなぁ。高瀬さんに名前で呼ばれるとドキドキして照れくさいってハッキリ言えばいいのに」
振り返って見上げると、ゴミ袋を持った片桐さんがニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべながら立っていた。案の定、隣からは盛大な舌打ちが聞こえる。
「何しに来たんだ邪魔だ散れ」
「酷いなぁ。僕はゴミ捨てに来ただけだよ?」
「ゴミと一緒に燃えろクズ」
「そこまで言わなくても良くない!? お前の休憩許可してんの僕なんだけど?」
「うるさい消えろ」
「あーはいはい。言われなくても邪魔者は退散しますぅ〜。高瀬さん、ゆっくりね」
「ありがとうございます。私ももうすぐ戻りますから」
ひらひらと手を振って店に戻った片桐さんに対して、橘さんは再び舌打ちを鳴らした。相変わらずのやり取りに笑いを隠せない。こころなしかヤマトも楽しそうだった。
それにしても、まさか橘さんの名前が大和だったなんて思いもしなかった。そりゃ自分の名前をペットに付けたくないよなぁと、最初の手紙で〝ヤマト〟を頑なに拒否していた理由がよくわかった。
「そういえば、返してもらったあの指輪ですけど」
「ああ、あれか」
私はダイヤの指輪を思い浮かべながら言った。そう、橘さんは元婚約者からもらったあの忌々しい指輪を律儀に返してくれたのだ。本当にいらなかったからさっさと処分してほしかったのだが、今思うと取っておいてもらって良かったのかもしれない。自分の手でケジメをつけられたのだから。
「捨てました」
「は?」
「潔くポイッと捨てました。知ってました? ダイヤって燃えるゴミでいいんですって。市役所に問い合わせたんで間違いないですよ」
「……まぁ、分別は大事だからな」
ちょっと的外れな答えが返ってくる。きっと何て言っていいのか分からなかったのだろう。
「でもこれでやっとスッキリしました。橘さんにも迷惑かけてすみません」
「何度も言うが、俺は迷惑だなんて思ったことはない」
「そうですか?」
「ああ。むしろ感謝してる。あれがなければあんたと関わりなんて持てなかっただろうから。……まぁ、あんたを傷付けた事は許せないけどな」
私は思わず赤面する。この人はこういう事をさらっと言うから手に負えないのだ。口下手とか嘘じゃない? その癖いつまでたっても名前で呼んでくれないし。
「ところで、橘さんはいつになったら私のこと名前で呼んでくれるんですか?」
「…………」
「いつまでも〝あんた〟はさすがに嫌なんですけど?」
「……悪い。その……緊張して呼べないんだよ」
くっ……少しだけ仕返ししてやろうと思ったら返り討ちにあってしまった。完全なるキュンですよ。仕方ない、許そう。
私はドキドキした心臓を落ち着かせる。さて、そろそろ昼休憩も終わるし、会社に戻らなきゃならない。ヤマトは帰る気配を察したのか、そうはさせまいと私の膝の上に乗った。うん、可愛すぎる。こんなことされたら離れ難いじゃないか!
「……ヤマトとずっと一緒にいたいなぁ」
「それは俺と? それとも黒田と?」
「なっ!?」
ぽつりと溢れた言葉にとんでもない答えが返ってきた。そりゃ、二人とも〝やまと〟だから文脈的には合ってるんだろうけど! だろうけどさぁ!!
「どっちにしろ、俺と暮らせば一発で解決するけどな」
さらなる爆弾発言に、私はパクパクと金魚のように口を開閉させることしか出来ない。何故この人は突然こんな風になるんだろう。私は真っ赤になった顔を隠すようにおさえた。
「俺は割と本気なんだが」
「え、あ、その……」
「会社だってこっちから通った方が近いだろ? どうだ?」
妙な圧をかけられキャパシティーオーバーとなった私は叫ぶように言った。
「か、か、考えておきます!」
私の反応を見て橘さんはくつくつと肩を震わせて笑っている。いつもの仏頂面からは考えられない、可愛らしい笑顔だ。
「じゃあ、前向きによろしく」
さっきから体の熱が全然引かない。ああもう、こんな真っ赤な顔のまま会社に戻ったら遥香ちゃんになんて言われるかっ……!
膝の上の黒田ヤマトはきゅっと目を細めると、私たちをからかうようにニャーオと鳴いた。
了




