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「すぐに片桐に連絡して、警察の手配を頼んだ。あとは無我夢中で動いた。本当に……間に合ったのは黒田のおかげだ」
「……………」
「今の話を聞いて不快にさせたなら本当に申し訳ない。文通のことも、黙っていて悪かった」
「いえ、そんな……」
知らなかった情報が一気に入ってきた脳内はパンク寸前だ。私は働かない頭を無理やり稼働させて内容を整理していく。
ええと、なに? 橘さんは前から私の事を知っていて、ヤマトとも知り合いで、文通相手が私だってことも途中から気付いていた、と。えええ……何それ。世間は狭いっていうけどいくらなんでも狭すぎない? それに今までの話を聞いてると……まるで橘さんは私の事が、その……好き、みたいじゃないか。カァーと顔に熱が集中する。いやいや、落ち着け。自惚れるな、私。焦る私を余所に、橘さんは躊躇いがちに口を開いた。
「ひとつ確認したいんだが。黒田を探してたって事は、もしかしてこの数週間、黒田はそっちに行ってなかったのか?」
「え? ああ、はい。いつもは毎日のように来ていたのが急に来なくなって心配になったんです」
「つまり、俺の手紙は読んでない?」
「はい」
「そう……か。無視されたわけじゃなかったんだな」
安心したようにほっと息を吐くと、橘さんはヤマトを呼んだ。
甘えたように身体をすり寄せているヤマトのポケットから丁寧に畳まれた手紙と黒い小さな人形を取り出すと、私の前にことりと置いた。
「……フェーヴ?」
それは、前にエスポワールで見せてもらった黒猫のフェーヴだった。おそらく、文通相手が橘さんである証拠として入れたものなのだろう。
「俺の話を聞いた時点でもう分かってると思うが……良かったら読んでほしい」
橘さんは照れているのか、頬杖をついて窓の外に顔を向けていた。私は言われた通り、テーブルに置いてある手紙を開いた。
*
高瀬理央さんへ
突然こんな事を書いてしまってすみません。
今日は、あなたに謝りたい事があって筆をと
りました。
驚くかもしれませんが、あなたが文通してい
る相手はエスポワールのパティシエ、橘なん
です。今まで黙っていてすみませんでした。
正体を隠していたのは、心地良いこの関係を
壊したくなかったから。このやり取りがあま
りにも楽しかったから。何より、ずっと想っ
ていたあなたとの繋がりを失いたくなかった
からです。
あなたを騙すような真似をしてしまい、申し
訳なく思っています。
でも、いつかは正体を明かそうと思っていま
した。正体を明かして、自分の気持ちをちゃ
んと伝えようと、そう決心していたのです。
高瀬さん、俺はあなたに伝えたい事がありま
す。もし良かったら今度二人で話をさせて下
さい。よろしくお願いします。
橘大和
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「高瀬理央さん」
名前を呼ばれて顔を上げると、橘さんの真剣な瞳と目が合った。
「俺は……この喫茶店に来るあんたの事をずっと見てた。あんたの笑顔に一目惚れした。ずっと、あんたの事が好きだったんだ」
真っ直ぐに告げられた言葉は喜びと共に一気に全身を駆け巡る。胸の奥がきゅうっと締め付けられるように苦しくなって、思わずスカートの裾を握った。一瞬脳裏を過ぎる、綺麗な女性。
「でも、だって! こないだの女の人は!?」
「こないだ?」
「厨房から橘さんと一緒に出て来た美女です!! 仲良さそうに話してたじゃないですか!」
勢いのまま問いただすと、橘さんは嫌そうに顔を顰めながら言った。
「あれは片桐の姉だ。旦那の誕生日に特注ケーキ作れって脅さ……注文を受けてたんだよ」
片桐さんのお姉さん? そう言われてみれば……確かに雰囲気が似ていたかもしれない。彼からしか聞いた事のない「タッチー」っていうあだ名で呼んでたし。
橘さんは溜息にも似た息をひとつ吐き出すと、熱のこもった瞳で再び私を見つめた。
「もう一度言う。俺はあんたが好きだ。俺の作った物を食べて幸せそうに笑うあんたの顔をずっと隣で見ていたい。その権利を、俺にくれないか?」
ドキドキと煩い心臓の音は、橘さんにまで聞こえてしまいそうなほどだ。こんな感覚、今までで初めてかもしれない。私は小さく息を吸うと、同じように彼の目を見て口を開いた。
「……私も、橘さんが好きです」
橘さんは真っ赤な顔を隠すように口元を片手で覆う。その仕草がなんだか可愛らしくて私はクスクスと笑い声を上げた。
言いたいことも聞きたいこともたくさんあるけど、とりあえず、今はこの幸せにもう少し浸っておこうと思う。




