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「ピエールの連絡先、GETだぜ!!」
遥香ちゃんは自分のスマホを掲げて高々と宣言した。なんという執念、そしてなんというコミュ力。男女の愛に言語の壁は無いという事が証明された。……強い。
「あらオメデト。でもあんたフランス語ちゃんと話せんの?」
祥子さんの強烈なジャブが一発。的確に急所を突いている。
「ほ、翻訳アプリで頑張ればなんとかなるはずですもん」
「あっそ。ていうかかまってちゃんのあんたに遠距離なんて耐えられんの? 国超えてんだよ? 時差あんだよ?」
「いっ、今の時代ネットがありますから……! パソコンとカメラがあればいつでもどこでも顔見て話せますぅ!」
「会いに行くにも飛行機代かかるし、電話にしろメールにしろまずは言葉覚えなきゃいけないし、国際恋愛って大変ね。頑張ってくださいかっこ笑い」
「理央さあああああああん祥子さんが虐めるうううううううううううううううう!!」
祥子さんの虫の居所が悪いのは、恐らく先日の飲み比べで社長に負けたのが原因だろう。酒豪vs酒豪の頂上対決は二次会まで続いたらしい。何その地獄絵図。考えただけで恐ろしい。
「ていうか理央さんはこないだ不良少年に送ってもらったんですよね? 進展はないんですかぁ?」
「……あるわけないでしょ」
「じゃあ黒崎さんとは? 飲み会の時言い寄られてましたよねぇ?」
遥香ちゃんがニヤニヤと笑いながら聞いてくるが、彼女はどうして私が橘さんに送ってもらったことを知ってるんだろう。遥香ちゃん、先にタクシー乗ったよね?
「別に……言い寄られてなんてないわよ」
「またまたぁ! 口説かれてたんじゃないんですか? ま、不良が邪魔してたみたいですけど」
ピエールにロックオンだったあの状態で周りの状況まで把握してたのはすごい。でも、気付いてたなら是非とも助けて欲しかった。私はチラリと時計に目をやり、立ち上がる。
「……三井企画との打ち合わせがあるので失礼します」
「あー! 理央さんったらまた逃げたぁ! いっつも肝心な事に答えないまま行っちゃうんだからぁ!」
「理央ー、戻って来たらコイツにしつこく尋問されると思うから覚悟しときなよー」
背中に刺さる声は聞こえなかったことにして、私は歩みを進めた。
*
「ではこちらの案で進めさせて頂きます。よろしくお願い致します」
「こちらこそ。素敵な広告を期待してますよ」
三井企画の本社を出た瞬間、張っていた気を緩めるように息を吐く。打ち合わせは少し時間が押したけど、上手くまとまってくれて良かった。これからの予定を頭で組みながら、駅に向かって歩き出す。ええと、会社に戻ったら報告書を作って、それから「高瀬さん?」
名前を呼ばれて振り向くと、驚いたような丸い瞳と目が合った。
「……黒崎さん?」
「やっぱり高瀬さんだ。外回りですか?」
「ええ、打ち合わせの帰りです」
「俺もです。まさかこんな所で高瀬さんに会えるとは思いませんでしたよ」
黒崎さんは質の良さそうなスーツのジャケットを正すと、私にぺこりと頭を下げた。
「高瀬さん、こないだはすみませんでした」
「え?」
「慰労会の時、困らせてしまったでしょう? 不快な思いをさせたんじゃないかと思って」
「いえ、不快だなんてそんな! ちょっと驚きはしましたけど……」
「本当にごめんね。あの後は無事帰れた?」
「はい。橘さんに送っていただいたので」
私が答えると、黒崎さんの眉がピクリと動いた。難しい顔をしながら確認するように問う。
「……橘さんってパティシエの彼だよね?」
「はい」
「あー……やっぱりかぁ」
そう言って力なく項垂れた黒崎さんは、戸惑っている私に追い打ちをかけるように続けた。
「なんか嫉妬しちゃうなぁ」
「え?」
「だって俺、ずっと前から高瀬さんのことが好きだったから」
私はハッと目を開いた。
「く、黒崎さん?」
「高瀬さん、俺は仕事に対していつも一生懸命な貴方の事がずっと好きでした。貴方が俺をそんな風に見てないのは分かってる。でも、少し考えてみてほしいんだ。返事はいつでもいいから」
真剣な顔で告げる黒崎さんに、私も真っ直ぐ向き合う。
「……はい。わかりました」
「ありがとう。こんなタイミングで告白なんかしてごめんね。……実はさ、せっかく高瀬さんがフリーになったのに、すぐにライバルが出てきて焦ってたんだよ、俺」
「……ライバル?」
「まぁそれは置いといて。さっきの話、考えておいてね。また」
そう言って立ち去る背中を私はぼんやりと見送った。人混みに紛れてその姿が見えなくなると、息を吐き出す。
ど、どうしよう。黒崎さんに告白されてしまった! 時間差で襲って来た驚きと羞恥心に思わず口を押さえる。
いや、確かにこないだの行動はもしかしてそうなの? とか思ったけどさ。まさかこんなにすぐに告白されるなんて想定外だ。黒崎さん……返事どうしよう。私の悩み事が一つ増えた瞬間だった。




