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「こんにちは」

「いらっしゃいませ」


 écranからの返答を聞いたあと、私は片桐さんに電話して広告の件を正式に依頼したいと伝えた。片桐さんは開店前なら時間を取れると言ってくれたので、翌日の朝、私は社長を連れてエスポワールを訪れた。社長が同行したのは我が社の本気度を見せるためでもある。


「初めまして。広告制作会社Luna代表取締役の藤堂です。突然のお話で申し訳ございません」

「あなたが社長さんでしたか。僕はこの店のマスターで片桐と申します」

「本日はお忙しい中お時間を作って頂き感謝しています」

「お気になさらず。高瀬さんからのお願いなら断れるわけがありませんしね」


 そう言ってウィンクを飛ばした片桐さんに私は苦笑い混じりで口を開いた。


「あの、橘さんはいらっしゃいますか?」

「いますよ。そろそろ厨房から出てくる頃なんだけど……。ちょっと様子を見て来ますから席に着いてお待ちください」


 笑顔を浮かべて一礼すると、片桐さんは奥へと向かった。


「うーん……自分と同じニオイがする」

「え?」

「いや何でもない」


 社長がぼそりと何かを呟いていたが、聞き逃してしまった。


「それにしても、雰囲気の良い店だね。高瀬さんが気に入るのも分かるよ」


 社長が店内を見回しながら言った。私が褒められたわけではないのに、何故か誇らしげな気分になる。


 誰もいない店内はとても静かだった。開店前だから当たり前なのだが、音楽もかかっていないこの状況は新鮮だ。ここで働いていない限り味わえないだろう雰囲気をたっぷり堪能する。


「お待たせしました」


 昨日と同じ、白いコックコートを着た橘さんの声が響いた。


「どうも。広告制作会社Luna代表取締役の藤堂です。本日はお忙しい中お時間を取らせてしまって申し訳ございません」

「……橘です」


 にこやかな表情の社長とは対照的に橘さんは今日も不機嫌そうだ。その顔のまま向かい側に座る。


「先日は色々と失礼致しました。心よりお詫び申し上げます」

「……いえ、別に」

「それでですね、おおまかな説明は高瀬の方から受けていると思いますので単刀直入に申し上げます。橘さん、うちの広告に、あなたの作ったスイーツを使わせていただけませんか?」


 社長は謝罪の言葉を述べるたあと、笑顔を崩さずに言い放った。文字通り立派な単刀直入である。


「わざわざお越し頂いて申し訳ありませんが、俺はその仕事を受けるつもりはありません」


 こちらも文字通り一刀両断。切れ味抜群の鋭さだ。


「昨日も言いましたけど、俺がパティシエになったのは食べた人を笑顔にしたかったからです。見せ物にする気はない」


 彼は昨日と同じ理由を口にした。……確かに彼の言うことは分かる。誰かの笑顔のために作っている橘さんが、写真を撮るためだけにスイーツを作るなんて気分が悪いだろうことも。


「僕は以前、あなたの作ったパウンドケーキを食べた事があります」


 社長が言った。思わずそちらに顔を向けると、いつになく真剣な表情をしている。


「白い生地とピンク色の生地が交互になっている、チェック柄の変わったパウンドケーキでした。味はもちろん、見た目のインパクトもあってずっと印象に残っていました。まぁ、あなたが作っていた事は昨日まで知りませんでしたが」


 橘さんの眉が訝しげに動いたのを見て、私は慌てて続けた。


「あ、えっと、以前私がここで買って! すごく美味しかったのでうちの会社に差し入れとして持って行ったことがあるんです。他にもクッキーやマドレーヌなんかも配ったことがありますが、どれも大好評でした。一番人気だったのはあのパウンドケーキですけど」


 私の説明に納得したのか、彼は小さく口を開いた。


「あれはサンセバスチャンケーキって言って……本来なら丸型のホールケーキの中身の生地だ。切った瞬間断面に出てくるチェック柄がポイントだ」

「なるほど。それをパウンドケーキにアレンジしたと?」

「……綺麗な柄だからな」

「はい、とても綺麗でした。どうやって作ってるのか不思議で不思議で。それで、食べてみたくなって買ったらすごく美味しくて皆さんにも配ったんです。……橘さん」


 姿勢を正し、私は橘さんの鋭い目をしっかりと見据える。


「私はあなたのスイーツにいつも助けられています。こないだも個人的にすごく悲しいことがあったんですが、ここで買ったクッキーに助けられました。優しい味が心にしみて、少し元気が出たんです。だからもっとたくさんの人に食べてほしくて。……私、今回の広告が橘さんのスイーツを知るきっかけになってくれたらって思ってるんです。あなたのスイーツを食べて、笑顔になる人がもっと増えてほしいんです」


 こくりと頷いたのは隣の藤堂社長だった。


「誰かの心に印象を残すという事は簡単な事ではありません。特に、見ただけで食べたいと思わせるスイーツを作るのは」

「…………」

「実は、今回依頼を受けたアンティーク会社の担当はこだわりが強い方でね。どんなスイーツを見せても首を縦に振る事はなかったんです。それが、昨日ここで撮った写真を見せたら二つ返事でOK貰えて。今までの苦労はなんだったのかと思いましたよ。……橘さん、あなたの作るスイーツにはそれほどの魅力があるんです。そのお力を我々に貸して頂けませんか?」


 橘さんは昨日と同じように右手を口に当てて渋い顔をする。



 そのままどれくらいの時間が経っただろう。片桐さんが気をきかせて出してくれた珈琲はすっかり冷えきっていた。



「…………条件がある」



 溜め息と一緒に低い声が吐き出された。


「なんでしょう?」


 橘さんは私たちをギロリと睨みながら言った。


「……撮影に使ったスイーツは全部残さず食べる事」


 その一言に、私と社長は顔を見合わせる。その様子が気に入らなかったのか、橘さんは不機嫌そうに眉を潜める。


「なんだよ。文句あるのか?」

「いえいえ! 安心して下さい橘さん! 私、ここのケーキなら残さず食べきる自信がありますから!!」


 私の堂々たるデブ活宣言に、隣の社長が吹き出した。

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