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「戻りましたー」
「どうだった!?」
オフィスのドアを開いた瞬間嶋田さんが一目散に駆け寄ってくる。〝待て〟の状態から解放された犬のようだ。
「一応写真は撮れました。これデジカメとメモリーカードです」
「撮れたのか! 良かった~!」
「あと、昔のメニュー用の写真もいただいてきたのでパソコンに送りますね」
「でかした!!」
「理央さんすっごぉーい!!」
片桐さんからメニューに載せるために撮っていた写真のデータを提供してもらった。その中には店に出すつもりのない創作メニューや趣味で作ったデコレーションケーキの写真などもあり、予想よりたくさんの写真を手に入れることが出来た。橘さんの許可はないが、店長の権限で何ら問題はないらしい。……本当にいいのだろうか。いや、その疑問はひとまず置いておこう。
「よし、じゃあ早速écranに送るから!」
言うや否やすぐに準備に取り掛かる。それと入れ違いで社長が私の元にやって来た。
「お疲れ様」
「あ、お疲れ様です」
「無事パティシエには会えたのかい?」
「ええ……。一応会えたは会えたんですけど……」
「何か問題でもあった?」
「その……仕事の話は聞いて頂けたんですけど。自分がパティシエになったのは誰かに食べてもらいたいからであって、見せ物にする気はないと言われてしまって……」
「……そうか」
「私、彼に失礼なことばかり言ってしまいました。だからもし先方から許可が下りても依頼を受けてくださるかどうか……」
どんよりとした重苦しい空気が漂う。
腕組みをしてずっと思案顔だった社長がおもむろに口を開いた。
「そのパティシエ、性別は?」
「は? ええと……男性でしたけど?」
「なんだ男か。う~ん。女性だったら口説き落とせる自信があったんだけどなぁ」
珍しく真面目に考えてると思えばこの有り様だ。〝口説き落とす〟の意味が別の意味に聞こえたのは私だけではないだろう。その証拠に、祥子さんが三角コーナーの腐った生ゴミを見る目で社長を見ていた。私も同様の視線を送りたい。
「ま、次に僕らがどう動くかは向こうの回答次第だね」
「社長! écranから回答来ました!! ブライアンから許可取れたそうです!!」
「そう。それは良かった」
私達の進む道はあっさりと決まった。問題はどうやって彼を、社長の言葉を借りるならば〝口説き落とす〟かである。
*
帰路の途中、最近行くようになったコンビニの前を通ると何やら人だかりが出来ていた。その中心には消防車やパトカーが集まっていて、辺りは騒然としている。
「ボヤ騒ぎですってよ」
「裏のゴミ捨て場が火元だって」
「タバコか何かかしら?」
「放火の可能性が高いって言ってたわよ」
「あらやだ怖い!」
さすがオバサマ方は情報通だ。おかげで大体の事態は把握できた。しかし、こんな近くでボヤ騒ぎとは物騒だなぁ。怪我人とかいなければいいけど……大丈夫かしら。
黒い文字で〝KEEP OUT〟と書かれた黄色いテープを尻目に、私は家路へと急ぐ。あのテープ、刑事ドラマでしか見たことなかったけど現場で本当に使うんだ。不謹慎だけどちょっと感激してしまった。
とぼとぼ歩いていると、マンションの付近をうろついている黒猫を発見した。……ヤマトだ。もしかして私の帰りを待っていたのだろうか。そうだといいな。そのまま一緒にマンションまで歩く。
部屋に入り、ヤマトに餌をあげている間に着替えを済ませる。昨日ヤマトはうちに来たけれど、手紙は持って来なかった。やっぱりあの内容に引かれちゃったのかな。フラれた腹いせに婚約指輪を猫に預けた頭の可哀想な女、とか思われたりしてるのかしら。……なんかへこむ。
窓を開けると、ヤマトは気持ち良さそうに全身を伸ばしていた。その動作は寝起きにあくびをするのと似ている。餌はもう食べ終えたらしい。
そのタイミングを見計らって、おそるおそるヤマトの首輪に手を伸ばす。ポケットを開けて中を確認すると……あった。丁寧に折りたたまれた、白いメモ用紙。
これは間違いなくYさんからの手紙だ。返信が来たってことは引かれてはいないのかな? ドキドキしながら手紙を開く。
Rさんへ
ちょっと忙しくて返信が遅くなりました。
そうだったんですか。何か事情があるんだろ
うなとは思っていましたが……すみません。
今更ですが僕の無神経な言動を謝罪します。
それにしても、あなたのような素敵な女性を
傷付けるなんて許せませんね。
その男はバカとしか言いようがありません。
気休めの言葉しか送れませんが、落ち込まな
いで下さい。苦しい事やツライ事はここで吐
き出していいんですよ。僕で良ければいくら
でも聞きますから。大丈夫。あなたを想って
くれる人は必ず現れます。あなたには幸運の
黒猫がいるんですから。
あなたが前を向けるよう祈ってます。では。
……この嬉しいような恥ずかしいような気持ちをなんて言ったらいいんだろう。とにかく胸の辺りがくすぐったい。普通の人が言ったら薄っぺらく感じる言葉も、彼から言われると胸にストンと落ちてくる。今までのやりとりで彼の真っ直ぐな性格が分かっているからだろう。頬がじわじわと熱を帯びていく。
私はぼすんとクッションに顔を埋めた。