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 数秒後、ギギと音をたてながらゆっくりと扉が開いた。そこから現れたのは真っ白いコックコートを身に付けた背の高い男性。眉間にこれでもかと言うほどシワを寄せて、店長さんを鋭い眼光で睨み付けている。


「……その呼び方ヤメロ」


 開口一番、彼は店長さんに文句を告げた。不機嫌さを微塵も隠そうとしない低い声が耳に残る。


「細かい事は気にしない気にしない! そんな事よりタッチーにお客様だよ! それもとびきり美人の!」

「…………客?」


 私という第三者の存在に気付いていなかったのか、彼はぐっと覗き込むように首を動かす。そして私の姿を捉えると驚いたように目を見開いた。ぺこりと頭を下げるが彼は微動だにしない。鋭い三白眼に見下ろされ続けるのは随分と居心地が悪い。なんだか蛇に睨まれた蛙のような気分だ。


「ほらほら、とりあえずこっち来て座りなよ」


 店長さんの言葉に従って、彼は私の目の前に腰をおろした。視界いっぱいに広がる白が眩しい。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。僕は片桐かたぎり斗真とうま。この喫茶店のマスターです。片桐マスターとかマスターって呼んでくれると嬉しいな!」

「あ、はい。よろしくお願いします片桐さん」

「あれ? 僕の話聞いてた? ……まぁいいや。で、こっちの彼は、」

「パティシエのたちばなです」


 片桐さんの言葉を遮るように横から低い声が聞こえた。


「そう! 彼はうちの専属パティシエ兼僕の古くからの友人……いや親友です! タッチーって呼んであげてね! 喜ぶから!」

「……あのな、お前とはただの腐れ縁だ。友人でも親友でもなんでもない。それとそのふざけた呼び方はヤメロっていつも言ってるだろ。迷惑だ」


 橘さんは片桐さんをギロリと睨み付けながら否定する。もうさ、その視線だけで人ひとりくらい簡単にあの世に逝かせられるんじゃないだろうか。それほどまでに彼の眼光は鋭く尖っている。一方、片桐さんは慣れているのか、まったく気にせずにこにこと笑顔を絶やさない。


「こちらこそ申し遅れました。高瀬理央と申します。お店ではいつもお世話になってます」


 私は鞄から名刺を取り出す。テーブルの上に二枚並べると、片桐さんだけではなく橘さんにもぺこりと頭を下げられた。その瞬間、ふわりと甘い匂いが鼻をかすめる。それが、目の前でしかめっ面を晒している彼から漂っているということに気付くまで暫く時間がかかってしまったのは仕方のない事だと思う。鋭い眼光と甘い香り。まぁ、パティシエだから美味しそうな甘い香りは当たり前といえば当たり前なのだけれど、ギャップが激しすぎる。


「ご丁寧にありがとうございます。広告制作会社……ああ、あのビルの。高瀬さんはあそこに勤めていらっしゃたんですねぇ」


 片桐さんは名刺を眺めながらしみじみと呟く。隣の橘さんも同じように名刺をじっと見つめていた。


「……で? 俺に何か?」


 名刺に目を向けたままぶっきらぼうに言われたが、ここで怯んではいけない。


「あの、こちらで出されているスイーツ。ショーケースの中のケーキや焼き菓子は全て橘さんが作っているものだとお聞きしました」

「……まぁ、そうですが」

「そこで橘さんにお願いがあるんです。弊社の勝手な都合で本当に申し訳ないんですけど……」


 何を話されるのか見当がつかないのか、彼の眉間のシワは深くなる一方だ。


「橘さんの作ったスイーツを撮影して、広告に使わせて頂きたいんです」


 彼の右眉がピクリと動く。


「実は、アンティーク食器の広告依頼を受けたんですが、クライアントはその食器にスイーツを添えた写真を希望しているんです。そこで、食器に合うスイーツを探していたところ、このお店のスイーツを思い出したんです。あ、ご存じないかもしれませんが私このお店の常連で。レジ横のショーケース、来るたびに美味しそうだな綺麗だなって覗いてたんです。もちろんテイクアウトで家でも食べてて!」


 私はテーブルに視線を向けながら続けた。


「大変失礼ながらクライアントが納得してくれるかどうかはまだ分かりませんので、まずは候補という形での依頼になってしまうのですが……いかがでしょうか?」


 そろりと顔を上げると、あの鋭い眼光が私を真っ直ぐ捉えていた。思わずヒッと悲鳴をあげそうになったのをなんとか堪える。マズい……これめちゃくちゃ怒ってるんじゃない?


 橘さんも片桐さんに負けず劣らずの非常に綺麗な顔立ちをしているので、睨まれるとその効果は倍増だ。美人が怒ると怖いってやつと同じ原理だろうか。……あれ、違う?


「俺がパティシエになったのは食べた人を笑顔にしたかったからだ。美味しいものを食べて、幸せを感じてほしかったからだ。見せ物にするためじゃない」


 不機嫌顔を隠しもせず、橘さんは続ける。


「俺は誰にも食べられないモノを作る気はない。それに、スイーツは食器の引き立て役じゃないんだ」


 彼の言うことは間違ってはいない。──でも、


「……私は橘さんの作ったスイーツに惹かれました」


 橘さんの目を真っ直ぐ見つめた。


「橘さんのスイーツには人を惹き付ける何かがあるんです。だから私、会社でどこか心当たりはないかって聞かれた時にエスポワールを思い出したんだと思います。それに……これはあくまで個人的な意見なんですけど、橘さんの作るスイーツをもっと多くの人に知ってもらえたら嬉しいなって思ってるんです」

「……は?」

「スイーツが引き立て役だなんて思ってません。だって……私はここのスイーツにいつも助けられてます。疲れた時に食べると癒されるし、悲しい時に食べると元気づけられる。嬉しい時や楽しい時は幸せな気分になります。私、橘さんの作るスイーツが大好きなんです」

「…………」

「生意気なことを言ってしまい申し訳ありません」


 橘さんは眉間のシワを更に深くさせて、右手で口元を覆った。あのシワを取るのは随分と骨の折れる作業らしい。怒らせてしまっただろうか。図々しいことは自分でも分かっているけど、私は思った事を言っただけだ。


「ここでごちゃごちゃ言ってたって仕方ないだろ。もしこっちが承諾したとして、相手が何て言ってくるかわからないんだから」

「……はい。そこで、ご無礼を承知でお願いしますが、ショーケースに並んでいるスイーツの写真を撮らせて頂いてもよろしいでしょうか? クライアントとうちの担当者に見せたいのですが」

「…………」

「あの、橘さん?」

「……勝手にしろ」


 吐き捨てるように呟くと、橘さんは音もなく立ち上がった。口元に手を当てたままさっさと奥の扉に向かって歩き出す。


「えっ? あ、あの!」


 慌てて叫んでも彼は振り向きもしない。白いコックコートは扉の奥へと消えた。……ヤバい。本格的に怒らせたかも。


 顔面蒼白の私を気遣うように、片桐さんが苦笑いで口を開いた。


「……ごめんね高瀬さん。アイツあんな感じで言い方キツいし目付き悪いし怖いし無愛想だしどす黒いオーラ発してるけど悪い奴じゃないんだ。根は真面目で優しい奴なんだよ? ツンデレだし」


 ……フォローに最後の台詞いるか?


「今のだって別に怒ってるわけじゃないんだ。むしろ今日は機嫌が良い方だし」

「……そうなんですか?」


 あれで? と喉まで出かかった言葉は無理やり飲み込んだ。余計なことを言って話を拗らせてしまっては面倒だし。


「それに……いや、これは言わないでおこうかな」


 片桐さんはクスクスと笑って意味深な台詞だけを残す。


「さて。じゃあ写真撮りに行きましょうか」

「え、でも……」

「ああ大丈夫。タッチーの勝手にしろは良いよって意味だから」


 それは随分とわかりにくい返事である。


「まぁまぁ。いざとなったら僕がタッチーを説得するからさ。高瀬さんは好きなだけ写真を撮って行ってください」

「ありがとうございます」

「お礼を言うのはこっちの方です。タッチーのスイーツ、見付けてくれてありがとう」


 片桐さんがふんわりと笑った。私もぎこちない笑みを浮かべ、写真を撮りに向かった。

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