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「あ、理央さんのキャラメルも美味しそうですねぇ」
遥香ちゃんのキラキラした瞳が私の皿を見つめる。どうやら祥子さんとの掛け合いは終ったらしい。
「一口食べる?」
「さっすが理央さん!!」
輝きを増した瞳で遥香ちゃんは私の皿に手を伸ばした。祥子さんは呆れ顔だ。
「うまっ! キャラメルうまっ! うわぁ~キャラメルソースとホイップクリームの組み合わせも合いますねぇ~。こっちと迷ったんだよなぁ~…………。よし、今度来たらキャラメルにしよーっと!」
遥香ちゃんが大絶賛しているように、エピのパンケーキは評判通り確かに美味しかった。外はカリッと、中はふわふわというシェフこだわりの生地。素材の味を生かしたそれに絡まる甘いソースは相性抜群だ。店内は若い子を中心に混雑しているが、居心地は悪くない。外観も内装もヨーロッパ風でお洒落だし雰囲気も良い感じだ。さすがは人気店である。
なのに……足りない。
此処には何かが足りていない。まるでピースをなくして完成させる事が出来なくなったパズルのように、明らかに何かが欠けているのだ。はっきりとはわからないけれど、私の心を満たしてくれる何かが。
「あっ、そういえば! 私昨日黒猫見ちゃったんですよぉ」
〝黒猫〟という単語に、私はパブロフの犬も驚くスピードで反応する。条件反射って怖い。
「は? 黒猫?」
「そうなんですよ! この近くの横断歩道でぇ、なんか黒い塊がサァーって走って行ったんです! 暗闇で目だけ金色に光ってるから超ビックリしちゃってぇ!」
黒猫がこの近くの横断歩道を歩いてた? ……ってそれ、まさかヤマトじゃない……わよね? あの子この辺も縄張りにしてたっけ? …………いやいやいや。黒猫なんて他にもたくさんいるじゃない。ちょっと冷静になりなさいよ私。
「それでほらぁ、黒猫って見たら縁起悪いとか不幸になるとか言われてるじゃないですかぁ。だからなんかテンション下がっちゃってぇ」
遥香ちゃんの話を聞いて、私の眉間に無意識のうちに力が入った。
「いやいやそんなのただの迷信でしょ? 今時そんなの気にするかぁ?」
「気にしますよぉ! だって不幸とか不運とか嫌じゃないですかぁ!」
「あー……。あんたは毎朝テレビの占い見て律儀にラッキーアイテム身に付けるタイプだもんね」
「信じる者は救われるんですっ! ちなみに今日のラッキーアイテムは水色のハンカチですよぉ! ほらこれ! これできっと黒猫の不吉はチャラです、チャラ!」
遥香ちゃんは鞄からレースの付いた水色のハンカチを取り出して見せた。
「そんな迷信、信じるだけ無駄でしょ」
「ええー? でも道路に落ちてるカラスの羽を見たら目を瞑って三歩下がらないと不幸になるって話もありましたよねぇ?」
「は? 何それ聞いた事ないし」
「えっ!? 私の地元じゃ皆言ってますよ!」
「いやいや聞いた事ないし」
「嘘だぁー! だって子供の時から言われてますもん!」
「それあんたの地元だけじゃないの?」
「まっ、まさかのローカルネタ!? 私そのせいで学校遅刻した事だってあるのにぃー!」
「わっははははは! バカだバカ!」
「だってあの時は尋常じゃない量のカラスの羽見ちゃってぇ、下がるばっかりで全然前に進めなかったんですもーん」
「ちょ、どんだけ不幸になりたくないのよ引くわ!」
「ううっ……シティーガールの祥子さんには田舎者の苦労がわかんないんですよぉ!」
テンポの良い会話が続く。いつもなら私もこの中に加わったりするのだが、生憎そんな気分じゃない。悪気は無いにしろ、ヤマトの悪口を言われているみたいで不愉快だ。自分勝手な感情なのはわかっているけれど。大体さ、黒い色だから不幸になるとか誰が決めたわけ?
「理央さんっ!! 理央さんの地元ではどうでしたかっ? カラスの羽! 見たらどうしてましたかっ?」
「…………さぁ。知らない」
自分でも驚くほどの冷たい声が出た。私は結構不機嫌らしい。
「あ、あれ?」
私の変化に気付いた遥香ちゃんは戸惑ったように首を傾げた。
「あのぉ~…………。私、また何か地雷踏んじゃいました?」
「……別に。本当に知らないだけだから」
「でもぉ……」
おそるおそるといったように様子を伺う。私は飲みかけのカップを触りながら「……ただ、」小さく口を開いた。
「黒猫を見たって別に不幸になるわけじゃないと思う。怖くもないし、むしろ可愛いし。……カラスはどうかわかんないけど」
私の発言に祥子さんも遥香ちゃんもキョトン顔だ。二人はそっと顔を見合わせる。暫くして、遥香ちゃんが確認するように聞いてきた。
「あのぉ……もしかして理央さん、黒猫好きだったりします?」
その問いに、私はたっぷりと時間をかけてからゆっくり首を縦に振った。二人は再び顔を見合わせる。
「へぇ。あんたがそんな風に言うなんて珍しいじゃない。オモシロイもん見れたわ。よっぽど好きなのね、黒猫のこと」
祥子さんが何故か感心したように呟いた。
「ってことは猫飼ってたりすんの?」
その質問にはさっきより長い時間をかけて考える。それからもう一度首を縦に動かした。
「へぇ。そうなんだ」
「あれっ? でも理央さんのマンションってペット禁止じゃありませんでしたぁ?」
ギクリと私の肩が上下する。それに気付いた遥香ちゃんが慌て出した。
「す、すみません! 私また余計な事を……!」
私は内心で溜め息をつきながら白状する。
「……そうよ。遥香ちゃんの言う通りうちのマンションはペット禁止」
「えっ、じゃあ大家さんに内緒で飼ってるってことですかぁ?」
「飼ってるっていうか……世話してるって感じかな。うちによく遊びに来る黒猫がいるの。まぁ知り合いの飼い猫なんだけどね。その猫を可愛がってるだけ」
嘘は言っていない。……はずだ。ヤマトはよく遊びに来る黒猫だし、もう一人の飼い主とは一応知り合いと言えば知り合いだし。まぁ……顔は全然知らないけれど。
「そうだったんですかぁ~」
「ごめんね。その子が黒猫だったから、つい感情的になっちゃって……」
「それだけじゃないんじゃないの~?」
祥子さんがニタリと嫌な笑みを浮かべながら言った。
「その知り合いって男? 女?」
「……はい?」
「あ、当ててあげよっか~?」
祥子さんの笑みは深くなる一方だ。この笑みを見せる時は嫌な予感しかしない。そして残念な事に大抵当たるのだ。
「ズバリ! 男でしょ?」
「ええっ!? もしや新しい恋の予感っ!?」
ほら、やっぱり。
「誰ですか!? あっ! コンビニの店員さんですかぁ!?」
遥香ちゃんのテンションが一気に上がった。ていうかそのネタまだ引っ張ってたのか。それについてはちゃんと否定したはずなんだけど。
「……別に恋とかそんなんじゃないです」
「あ。ってことはやっぱ男なんだ?」
……しまった。誘導尋問に引っ掛かってしまった。祥子さんは見透かしたような訳知り顔だ。マズイ。この流れはマズイぞ。この二人に捕まったら最後。詳細を話すまでスッポン並に噛み付いて離れないのだから。
「……そろそろ昼休みも終わりますね。早く戻らないと社長に怒られますよ」
「あっ! 逃げた!」
「ちょっと! 詳しく聞かせなさいよ!」
私はそそくさと立ち上がる。三十六計逃げるに如かずだ。




