3話 ゼロから始めさせられる使用人生活
(クソッ! もう駄目か!)
「『ネクロ……って、きゃっ!」
魔法を発動させようとした瞬間、女が一歩後ろに下がり、床に転がっていた缶に足を取られ見事に頭から着地を決めた。
(ぷっ、あはははははははは! バーカ! 死体をそんな風に扱うからだ! 俺の体もっと丁寧に扱いやがれ!)
俺は女の目の前で、優雅に煽りの舞を披露して差し上げた。
すると女は仮面の隙間の穴から、突然こちらを睨んできた。まるで幽霊の俺が見えているかのように。
「……うるっさいわね! さっきっからなんなの!? 部屋が汚いだの、丁寧に扱えだの、集中切れるじゃないの!」
(人のせいにするんじゃねえ!……ん?)
コイツ、なんで…………!? 俺のこと見えるし聞こえているのか。
最初にあった男は見えも聞こえもしなかった筈だ。
彼女は再び魔法を発動させようとする。
(おい! ちょっと待て! それ俺の体なんだけど! どうするつもりだよ!)
「…………魔法の媒体よ」
(……え?)
「丁度よく若くて綺麗な死体があったからね、これほどまでにいい材料はなかなか手に入らないもの」
彼女は笑みを浮かべながら、不気味な心臓の杖を撫でる。
(俺の体をそんな風に使う気かよ! 俺は許さないぞそんなの!)
「私は『死霊術師』。死を司る邪悪な魔法使い、それが私よ。丁度これ以上ごちゃごちゃ言うなら力づくで黙らせるまでだわ」
(へっ、幽霊の俺をどうやって黙らせる気だ?)
「あなた、まだ死霊術師がどういう物か分かってないようね」
そう言うと、彼女は俺に心臓の杖を向け、横に大きく振るう。
それに合わせて、俺の体が杖に引っ張られるように思い切り吹き飛ばされた。
(——うわっ!)
そのまま家の壁に激突…………はせずに、そのまますり抜けていった。
コイツ! 俺に干渉できるのか! こっちからは干渉出来ないのに!
「あなたは大人しくしてなさい」
女は再び杖を構えて魔法の準備をする。
クソッ、なんかあの女神といい、腹立つ女ばっかりだ。
俺が求めてるのは、優しくて、スタイル抜群で、美人で、俺を一生甘やかしてくれる人なんだよ。
(なぁ、一つだけ聞いてもいいか)
「何かしら?」
(お前が何をするつもりか知らないけど、その後俺はどうなるんだ? 体が無いまま一生彷徨い続けるのか?)
「……ええ、そうね。成仏出来ればここからは消えるけど、未練があるとずっと、ずっーと彷徨うことになるわね」
(一生このままなのか…………)
「…………」
彼女は再び魔法の詠唱を開始した。
……なんだよ、異世界って聞いてはしゃいでいた俺が馬鹿だった。そんな上手い話乗るんじゃなかった。
せめて、最後にあのクソ女神に一矢報いてやりたかった。
ロクな人生じゃなかったなあ。こんなことなら、向こうでもっと……
「…………ねぇ、あなた名前は?」
突然、魔法を中断して俺の名前を聞いてくる。
「え……渡、廻東渡だ」
女は口角を上げ、悪い表情で俺の方を向く。
「私から提案があるんだけど、どう? まあ、あなたには乗るしか選択肢はないと思うけどね」
嘲笑うように彼女は、そう言った。
しかし、俺にとっては思ってもなかった言葉だった。突然気変わりしたのだろうか。
(提案? どんな?)
「ワタル。あなたを生き返らせてあげるわ」
(え? 本当か!)
まじかよ! もう人生諦めてたのに。まだまだ捨てたもんじゃないな!
「但し、条件があるわ。まず毎日私の世話をすること。家の掃除、家事、料理も全部すること。それから、一緒にクエストを手伝ってくれること。これが条件よ。当然、給料なしのタダ働きよ。もちろん私か貴方のどちらかが死ぬまでずっとよ。まあつまり、使用人にらなれってこと。悪く言えば奴隷ね!」
彼女は笑顔でその提案を持ちかけてきた。
(奴隷!? 死ぬまで!?てか、異世界まで来て労働!? そ、それはあんまりだろ!)
「生き返る対価なんだから当然よね? それくらいはしてくないと割にあわないんですけどー」
俺はふと辺りにゴミが散乱した部屋を見回した。
(お前、掃除も料理も家事も全部できないだけだろ)
「…………そ、そんなことはないわよ! でも面倒だから、誰かにやって欲しいな~って」
この女、絶対何も出来ないタイプの女だ。
生き返るのは嬉しいが、一生こんな駄目女に仕えるのは流石にあんまりだ。いっそこのままの方が楽なのでは?
俺はしばらくの間考え、一つ名案を思いついた。
(俺ってお前以外の人には見えない?)
「基本見えないわ。でも、あなたと同じような幽霊には見えるけど」
やっぱりそうか。なら、このままでいいかも。
やはり俺は天才かもしれん。
誰にも気付かれず、咎められずに、覗きといったことがし放題ではないか。
美人がいたら、その人の家にずっと住み着くことだって出来てしまう。もう俺はこのままでいいや。
「……今よからぬことを企んでいるでしょ? 私は死霊術師よ、またさっきみたいに、あなたを酔うまで振り回して上げてもいいのよ?」
女は俺の心を見通したのか地味だが、割とキツイ脅迫をしてくる。
霊を操れる地点で、従う以外の選択肢は無かったのだろう。
癪だがここは彼女の言う通りにしよう。
「さあ、どうする?」
杖をこちらへ向けながら、悪い顔を浮かべる死霊術士。時間をら与えてはくれなさそうだ。
(分かりました! 下僕にでもなんでもなりますから! だから振り回すのだけわ……)
「よろしい、そういえばまだ名乗ってなかったわね。私はネフェリム。ワタル、今から生き返らせるから、動かないでちょうだい」
(お、おう……)
くくく、生き返れさえすればこっちのものだ!
調子に乗るなよ死霊術師!
生き返ったら玄関までダッシュして逃げれば俺の勝ちだろう!
ネフェリムは俺に杖を向け、魔法陣を展開する。
「じゃあいくわよ。『ネクロマンシー』——!」
ネフェリムの足もとから先程失敗した魔法とは違う模様の魔法陣が展開される。
霊体の俺は激しく揺られ、死体と一体化していく。
うっ!…………頭が痛い。
視界がだんだんとはっきりしてくると目の前には俺の顔を覗き込むネフェリムの顔があった。
近くで見るとなかなかな美少女だ。是非とも仮面なしで拝みたいものだ。ちょっと緊張して目を逸らしてしまった。
「ほら、立って」
ネフェリムは倒れている俺に手を差し出した。
俺はネフェリムの手を取り、立ち上がる。
なんだよ、コイツ意外と優しいとこあるじゃないか。
生き返ったら脱走するつもりだったが、そんな気はいつの間にか消えていた。
俺は自分の体を確かめる。特に異常は無いみたいだ、しっかり細胞の一つ一つに感覚があるのを感じる。
「ふぅ、成功したみたいね。久しぶりに使った魔法だから上手くいくか不安だったわ」
ほっとしたのも束の間だった。ネフェリムの発した衝撃のカミングアウトをスルーすることはできなかった。
「おい、失敗したらどうするつもりだったんだよ!」
「魂が消滅してたかもね。まあ失敗しても私の知ったことじゃないわ。死人に口なしってやつよ」
こいつ!…………
でも命は助かった、これからその対価を払わなくてはならない。俺はロクな人間じゃないが、恩を返さずに立ち去る程のクズじゃないからな。
「まあ……ありがとよ」
「お礼なら行動で示しなさいな。ほらこの部屋見てみなさいよ。三ヶ月も掃除しなかったからぐっちゃぐちゃよ。さぁ! 早速お仕事よ! 私に感謝してるなら、やることは一つよねぇ! ねぇ!」
ネフェリムは俺にゴミ袋を押し付けてくる。
まぁ、それくらいはやってやるか。
見たところネフェリム一人しか住んで無さそうだが、下僕を欲しがっていた理由ってまさか……
「じゃ、そういう訳で掃除しといて頂戴ね」
ネフェリムはゴミ山から本を取り出し、颯爽とソファに寝転んだ。
我慢だ、我慢。何か一言言ってやりたいが抑えろ俺。
元々彼女の下僕という条件のもと生き返ったんだ。
俺は渋々掃除を始めた。はぁ……何時間かかることやら。