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短編集  作者: 石月 ひさか
夜の公園
9/28

「あのさ」


公一の大学があるアメリカに来た深雪は、浮かない表情で見上げる。


「ん?」


「俺って、やっぱりおかしいよな。もしかしたら、ゲイだと思われるかもしれない」


「え?」


公一は首を傾げる。が、すぐに声を上げて笑いだした。


「あははは!なんだよ、そんな事考えてたのか。まぁ、お前の今の見た目ならそう思われるだろうな。でも気にするな。俺は気にしないから」


気にするなと言われても、鏡に映る自分達を見ると、どうしても気になってしまう。


公一の事は好きだが、長年男として生きてきた深雪の体は、女として生きるのを拒絶してしまうのだ。


(このままじゃ……だめだ)


鏡を見つめ、自身を睨む。


このまま男のような格好ではいられない。

いつまでも近藤のままでいるわけにはいかない。


(オレ……いや、私は深雪。近藤深雪だ。男じゃない。女だ)


強く強く言い聞かせる。


毎日鏡に向かって唱えようと決めた。


でないと忘れてしまいそうだったから。


『私は深雪。近藤深雪……』


それから深雪の葛藤の日々が始まった。


短く適当だった髪を整え、伸ばす。


自分をオレではなく私と言うように勤め、口調にも気を遣った。


そうして彼女が近藤深雪となる為に、約2年の年月を費やしたのだ。


────────────


目を覚ますと、そこは見慣れた天井だった。


公一はゆっくり体を起こし、寝ぼけ眼で辺りを見回す。


「夢か?」


薄闇に浮かぶ白い天井を見ながら、返ってこない問いを投げ掛ける。


随分昔の夢を見てしまった。


まだ、青臭い子供の頃だった夢を。


(ガキって本当に怖いよな。馬鹿で無知で……最悪だ)


ここ数年、忙しすぎて過去の出来事を悔やむ暇など無かった。


恥ずかし気に頬を掻き、何気に隣へ視線をやる。


そこには妻が寝息を立てて眠っており、思わず笑みが漏れた。


そっと手を伸ばし、長く柔らかい髪を撫でる。


「ん……」


彼女は軽く寝返りをうち、こちらに背を向けた。


肩にかかっていた髪が落ち、素肌が露になる。


その時視線に入ってきたのは、白い肌に残された、痛々しい火傷の跡だった。


これは10年前、自分がつけてしまった根性焼きの跡だ。


深雪はこれのせいで、腕を出す服を着る事ができず、水着を着る時も周囲の視線に堪えなければならなくなった。


公一はその度に皮膚移植の手術を勧めるのだが、彼女は過去の戒めの為だと言って同意しない。


「深雪……」


名前を囁き、跡に唇を落とす。


「ん……なにしてるの?」


その感覚に目を覚まし、深雪は眉を寄せながら公一を見る。


「いや、別に」


にっこり笑い、首筋に顔を寄せる。


「ちょっと、何なの急に」


突然の事に深雪は驚き、抵抗する。しかし公一は退かない。


「今日は会社があるんだから」


まさか早朝からおかしな真似をされるとは思ってもみなかった深雪は、必死に身を捩る。


しかし今はもう、力では公一に敵わない。


「まだ大丈夫だよ。4時だから」


「4時?なんでそんな時間に……ちょっと!」


素早く深雪の上に乗り、両手をベッドに抑えつける。


「たまにはいいだろ、朝でも」


「それは、休みの日ならいいけど平日は嫌よ」


頑なに拒否し、キッと睨み付ける。


公一は穏やかに微笑み、手を離した。


「わかった。そんなに嫌なら俺を殴ってやめさせればいい」


「え?」


胸を押し返していた手から、力が抜ける。


見上げている瞳が僅かに揺らいだ。


「そんなに嫌なら、俺を殴れ。そしたらやめる。お前ならできるだろ?」


深雪は言葉を失った。


昔は、公一だろうが誰だろうが、構わずに殴りつけていた。


しかし彼女は、目を伏せて手を下ろした。


「公一を殴るなんて、できるはずないじゃない」


「なんでだよ。昔はよく殴り合いしてただろ?しかもお前の方が優勢だった。なぁ、そうだろ」


だからやれよ。


そう言うと、深雪は驚いて目を見開く。が、すぐに涙を浮かべて泣き出してしまった。


「何で急にそんな事を言うの?」


「え、おい」


まさか泣かれるとは思っていなかった公一は、柄にもなく慌てふためく。


「昔がどうだったとか、どうしてそんな事を言うの?」


「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」


夢のせいで、どこかに残っていた昔の自分が蘇ってしまった。


しゃくりあげる深雪を抱き締め、髪を撫でる。


「ごめん。ちょっと悪ふざけしただけなんだ」


「悪ふざけ?なんでそんな事を思い付くの?意味がわからない」


「だよな。俺もよくわからない。とにかく、ごめん」


彼女はもう昔の『近藤』ではない。

今は、誰から見てもただの女なのだから。


「ごめん」


何度も謝り、唇に口付けようとする。


しかし深雪は顔を背け、それを拒否した。


「やめて。嫌いよ」


「嫌いって……」


そして公一自身も、今は妻に激甘な、ただの優男だ。


「嫌いって言うなよ。深雪に言われると落ち込む」


「知らないわよ。公一がそう言わせるような事をするから悪いんじゃない」


どうすれば許して貰えるだろうか。


暫し考えた後、顔を上げる。


「じゃあ気がすむまで俺を殴っていいから」


「だから公一は殴れないの!意味わからない。早く寝なさいよ」


強く体を押し返すと、背を向けて眠りの態勢に入ってしまう。


どうやら火に油を注いでしまったらしい。


しかしこれ以上何かすれば、余計に深雪を怒らせるだけだ。


「……ごめん」


最後にもう一度呟き、後ろから抱き締めて目を閉じる。


深雪は小さく息を吐くと、回された腕に手を重ね、ゆっくりと眠りに落ちていった。


終わり

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