⑧
「殺っちまえ!」
「行けぇ!!」
たくさんのギャラリーに囲まれ、近藤はガタイのイイ男と睨み合っていた。
互いに傷だらけになり、肩で息をしてタイミングを窺っている。
「テメェ、目障りなんだよ!!」
角材が降り下ろされるが、近藤は間一髪で身を翻す。
鈍い音を立て、腐りかけの木棒がコンクリートに叩き付けられた。
「それはこっちの台詞だ!イキがりやがって!」
「んだと!?」
あからさまな挑発に乗り、男はめちゃくちゃに角材を振り回す。
何人かのギャラリーにそれがぶつかり、血が飛んだ。
「今日こそテメェを殺してやる!!」
そう叫ぶ男の目は尋常ではなかった。
項がチリチリとむず痒くなり、笑みが抑えられない。
「殺せよ。テメェにできんならなァ!!」
叫び、懐からナイフを取り出した時だった。
「深雪!」
どこからか慣れない名前を呼ばれ、ピクリと反応する。
深雪とは自分の名前だ。が、少なくともこの場にいる人間で、その名前を知る者はいないはずだ。
その名前で呼んだのは一体誰か。
血相を変えて振り向いた瞬間、手を引かれて輪から連れ出された。
「な、なんだよテメェは!!」
振り払おうとしてもできない。
手を掴み、前を走っているスーツ姿の男に悪態を吐く。
しかし男は振り向く事無く、近藤を路地裏へと連れ込んだ。
「お前、素手主義じゃなかったのか?」
小馬鹿にしたような声を聞き、目を見開く。
口調は違うが、この声には聞き覚えがある。
「なんでこんな馬鹿な場所にいるんだよ。高校に行けって言っただろ」
その言葉を聞いたとたん、頭の中にある人物の顔が浮かんだ。
あり得ない。
まだ4年経っていないのだから。
頭の中でそう繰り返す。
しかし勝手に体が動き、恐る恐る近付く。
「ま……まさか、公一か?」
月を隠していた雲がゆっくり流れ、男の顔を写し出す。
「あぁ。ただいま」
それは正しく公一だった。
この2年間一度も姿を見せなかった、悪友の。
「なんでここに……大学は4年なんだろ!?」
思わず涙が溢れそうになり、慌てて顔を反らす。
「まぁ大学は4年なんだけどな。お前を迎えに来たんだ」
公一はどこか照れた様に笑った。
「迎え……?なんだそれ」
何故自分を迎えに来るのか。
意味がわからず、顔を上げる。
その瞬間、公一に抱き締められていた。
「お前が18歳になったら、一時帰宅しようって思ってたんだよ」
男である自分が、男の公一に抱き締められるなんて、あり得ない。
しかし振り払おうにも、全く腕が動かない。
「なんで俺を──」
「結婚しよう」
低い声が耳元で囁く。
言葉を失った。
更に公一は続ける。
「お前は確かに強い。強いし、ライバルだ。でもやっぱり俺の中では女なんだ。お前を好きになって、結婚したいと思った。だから外国に行ったんだ」
突拍子もない、まさかのプロポーズの言葉に耳を疑う。
今まで公一は、こんな優しい言葉使いをした事はなかった。
しかし深雪は、何故かとても懐かしく、嬉しいと思った。
文句の変わりに出たのは、自分でも予想外の言葉だ。
「オレは、公一に相応しくない。高校にだって行かなかった。毎日ここで喧嘩ばかりしてきた。だから──」
駄目だと思っても、涙が流れてしまう。
公一はそんな深雪の頭を優しく撫でる。
「お前だから俺の家族に相応しいんだ。うちの親だって反対しないさ。だから、結婚しよう」
「……」
目を閉じ、抱き着く。
スーツに顔を擦り寄せると、懐かしい匂いがした。
その時やっと気付いた。
いや、気付かされた。
深雪もずっと前から、公一を男として見ていたのだと。
だけど彼は、深雪を女としては見ていない。
そう思っていたからこそ、ずっとライバルで在り続けたかった。
「公一」
「なに?」
素直に自分の気持ちを伝えるのが、こんなにも難しいとは思わなかった。
だが言わなければならない。例えどんなに恥ずかしくても。
「オレも公一が好きだ。ずっと……」
その言葉に、公一は穏やかに笑う。
「知ってたさ。だから迎えに来た。一緒に行くぞ」
「……あぁ」
どこに行くのか。
何をしに行くのか。
既に冷静な判断はできていない。
殆んど勢いで、男である事を捨て、本来の姿へと戻る道を選んだ。
しかし、それは簡単な事ではなかった。