⑤
「お前の名前は」
取り敢えず応急措置を施し、公一は涙目で睨んでいる近藤に問う。
「だから近藤だ!」
「苗字じゃなくて名前だ」
「知らねぇよ。なんでもいいだろ!」
女と知られたのがよほど屈辱だったのか、そう言ったきり口を閉ざしてしまった。
仕方なく佐々に視線をやる。
「お前、コイツの事知ってんだろ?」
「はい、一応。うちの1年ですから」
「1年?」
耳を疑った。てっきり自分と同じ、高校1年だと思っていた。
だが佐々が通っているのは中学だ。という事はつまり──。
「お前中1か!?」
「…………」
自分達は13歳の少女を相手に殴り合いをしていた。
それを知らされ、複雑な気分にならざるを得ない。
「コイツの名前はなんて言うんだ?」
「確か、近藤深雪とかって」
「近藤深雪──」
見た目にそぐわず、妙に女らしい名前だ。
それが罪悪感に追い打ちをかける。
「マジかよ。ガキの女相手に」
顔を覆い、ため息を吐く。
「いい加減にしろよ!女だからなんだっつーんだ!?性別で相手選ぶのかよ!」
「当たり前だろ。女なんか殴れるか!」
濡れタオルを投げ付け、立ち上がる。
正直公一は動揺していた。
女の扱いに慣れている筈が、気付く事ができなかった。
そして何より、女相手の喧嘩を楽しいと感じてしまった事に。
恭平を始め、周りもかなりショックだったらしく、根性焼き続行の声は上がらなかった。
「おい」
近藤は黙りながらこちらを睨む。
「お前、うちの仲間に入るか?」
「え!?先輩、何言ってんですか!?」
とたんに周りがざわめきたつ。
しかしその言葉に1番驚いていたのは公一自身だった。
「アンタ、俺に負けたから悔しいんだろ?」
誘いの言葉に、近藤はニヤリと笑う。
まるでずっとその言葉を待っていたかのようだった。
「確かにそれもある。だけどお前が初めてなんだよ。喧嘩して、楽しいと思った奴は」
コイツは女として見られる事を拒んでいる。
だとすると、この言葉が一番妥当なのだと思った。
「お前は俺のライバルだ。だからどうしてもって言うなら入れてやらない事もない」
そう言いつつも、近藤が首を縦に振る事を確信していた。
そして案の定、奴は僅かに笑みを浮かべて頷いた。
「まぁ、アンタがどうしてもっつーなら、入ってやるよ」
「素直じゃねぇ奴だな」
互いに顔を見合せ、笑う。
彼女──いや、彼が本来の性別を疎ましく思っているのはありありと感じられる。
近藤には喧嘩の素質があった。
その成長ぶりを見たい気持ちと、このまま野放しにはしておけない危機感と、複雑な感情が公一を動かした。
この時2人の間に男同士の友情が生まれた。
それは誰が見ても明確にわかるものだった。
それから2人は、同列の人間ならば誰も太刀打ちできない程の強いコンビとなった。
近隣の中学は勿論、高校生ですら彼等には敵わない。
互いに性別の事は忘れ、毎日ケンカに明け暮れる。
近藤は、相手が泣こうが喚こうが容赦はしなかった。
理性の奥底に潜む、人間としての冷酷さと残酷さ。
形は違えども、その度合いは等しかった。
公一はイキがっている人間が懇願し、それを踏みにじる事を楽しみ、近藤は証を焼き付ける事を楽しんだ。
そしていつしか近藤は、あんなに恨んでいた従来の仲間ですら一目置く程の『男』へと成長していった。
それは決して格好が良いものでも、褒め称えられるものでもない。
頭ではわかっていたが、思春期の彼等には欲望を抑える事が出来ない。
何の疑問も罪悪感も抱かず、自分達に歯向かう者は弱者でも強者でも構わずに殴り倒し、屈伏させた。
辺り一面に横たわる気絶した人の数々が、まるで自分がこの世の支配者の様に錯覚させる。
世の中は下らない。
まともに生きる価値等ない。
それが2人の共通する考えだった。