③
翌日午前1時。
溜まり場として無断使用している空き倉庫内で暇を潰していると、後輩の佐々が息を切らせて駆け寄って来た。
「先輩、例の奴を見つけました」
「1人か。珍しいな」
佐々はいつも、安藤という同じ年の男と一緒に行動している。
相方がいないのを些か不審には思ったが、特に追求する事もなく、手にしていたトランプを投げ捨てて立ち上がった。
「で、そいつはどこに居るんだ?」
あの恭平を捩じ伏せた相手だ。恐らく相当強いのだろう。
退屈から解放される喜びに、無意識に笑みを浮かべる。
「そ、それがその……」
佐々は口ごもり、チラチラと後方を気にしている。
「自分も先輩とケンカしたいからって……ここに」
「はぁ?」
一瞬、意味が理解できなかった。
眉を寄せた時、入り口の鉄扉が音を立てて開き、月明かりが差し込んだ。
そこから1人の男が中に入って来るのが見える。
「テメェ、よく面出せたな!?」
いち早く相手の顔を認識した恭平は、勢い良くポケットからナイフを取り出す。
「やめろ。お前は負けたんだろ」
しかし公一が腕を伸ばしてそれを制すると、渋々身を退いた。
「アンタが近藤公一?なんだ。別に普通の奴じゃん」
電気の届かない暗闇から、ボーイソプラノが聞こえてきた。
「煙草を押し当てて喜ぶような変態よりは普通だな」
公一は軽く鼻で笑い、目を凝らして闇を睨む。
まだ相手の顔はよく見えない。
「負けた証っつーの?一生消えねぇし、面白ぇじゃん」
笑い声が倉庫内に不気味に響く。
そして1歩ずつ確実に歩みを進め、公一達の前に姿を現した。
恭平の話から、てっきりガタイのイイ大男だと思っていた。
しかし目の前にいるのは、金色の髪を丸坊主にしている、小柄な男だったのだ。
「お前が近藤か?」
年は同じ位だろうか。それにしても細身過ぎる。
白いTシャツに、今どき流行らないダウンベストを身に付けている。
「そうだけど。つーかアンタも近藤だっけ?奇遇じゃん」
近藤と名乗る男は、くわえていた煙草を足でもみ消し、首を傾げて笑った。
「オレとケンカしたがってるって聞いてさ。わざわざ来てやったんだけど」
これは土産、と何かを放り投げてよこされ、反射的に受け取る。
小さな固いものだ。
一体何かと視線を下げる。
それは安藤が付けていたピアスだった。
血がこびりついており、何を意味するのか気付いた佐々は青ざめた。
「アイツに何しやがった?」
公一は唸るように問う。
勿論聞かなくても、何があったかは分かっていたのだが。
「別に何も?いきなり殴ってきたから、ちょっと仕返ししただけだ。今頃自分の足で病院行ってんだろ」
近藤は「別に死んじゃいねぇよ」と笑った。
その瞬間、公一は地面を蹴って駆け出していた。
「なんだよ、血の気多いなぁ」
拳を振り上げるが、あっさりとかわされてしまう。
「このっ……クソ野郎!!」
瞬時に態勢を整え、裏拳に変える。
軽く肩に当たったが、奴にはあまりダメージになっていない様だった。
「噂通り、そこそこ場慣れしてるみたいだな。1年のクセに、この辺仕切ってるだけはあるわ。アンタにマーキングできたら、さぞスッキリするだろうなぁ」
「はぁ?何がマーキングだ!お前は犬猫かよ!」
卑怯な事だと思いつつも、足元に転がっていた鉄パイプに腕を伸ばす。
しかしその瞬時手を踏みつけられ、痛みに眉を寄せた。
「何してんの?素手が常識だろ。武器は反則」
「っ……!!」
振り上げられた膝が顎に入り、危うく舌を噛み切りそうになった。
口元の血を拭い、立ち上がる。
コイツは強い。
今まで喧嘩をしたどの相手よりも。
喜びがゾクゾクと背中を駆け上がるのを感じる。
「恭平と安藤の分も入れて、半殺しにしてやる!!」
色々な意味でキレた公一には、何も怖くなかった。
左手を振り上げると、不気味な笑みを浮かべる奴の顔に叩きつけた。鈍い感触があった。
「っ……!!」
強烈な1発を顔面に受け、近藤は足元をふらつかせる。
しかしすぐに拳を構えると、頭を殴り付けてきた。
「!?」
瞬間的に目の前が真っ白になる。
公一は脳震盪をおこしかけるが、頭を振って耐えた。
「汚ぇ真似しやがって!!」
「これはボクシングじゃねぇんだ。喧嘩に汚いもクソもあるかよ。素手は素手だろ」
近藤は悪びれもなく笑う。その余裕さが、癪に障った。
「うるせぇ死ね!!」
同じく頭を狙おうと腕を上げる。相手もそれを予測していたのか、余裕の笑みで身を退いた。
しかし公一は、一瞬で構えを変えると、肩を掴んで股間に蹴りを入れた。
男なら誰しも弱いこの場所。蹴りを食らえばひとたまりもないだろう。
卑怯には卑怯で返してやる。
しかし近藤は、僅かに眉を寄せただけで大したダメージは受けていない様だった。
膝は確かに股間にヒットした。が、奴は平然としている。
ココが弱くない奴などいないのに。
「股間だって汚ぇだろうが!!」
考えている隙に、公一は強烈な右ストレートを食らい、吹っ飛んでしまった。
「ちっ……クソッ!!」
折れた歯と共に血を吐き出し、顔を上げる。いつの間にか、近藤が公一を見下していた。
「ほらな、お前の敗け」
背筋が凍るような禍々しい笑みが間近に迫る。まるでサッカーのシュートをする様に、目の前で右足が振り上げられた。
自分は負ける。こんな男に。
今さら逃げても間に合わないのはわかっていた。
覚悟し、せめて致命傷だけは避けようと目を閉じた時だった。
「お前みたいな野郎に公一は負けねぇよ!」
恭平の怒鳴り声が聞こえ、ハッと目を開く。
「公一、やっちまえ!喧嘩に卑怯もクソもねぇだろ!!」
いつの間にか恭平が近藤を後ろから羽交い締めにしていた。
「テメェ!オレに負け癖に、手出しすんじゃねぇよ!」
近藤はもがきながら、吠える。
公一は戸惑った。この状態でやれと言われても、素直に手が出ない。
2対1はフェアじゃない。こんなやりかたで勝つのは、プライドに反するからだ。
しかしこの言葉を聞いた瞬間、そんな戸惑いも消え失せた。
「テメェだって途中から、女呼んだじゃねぇか!」
やっと理解した。
恭平が抵抗できなかった理由。
それは女に捕まえられていたからだった。
いくら恭平でも、自分より明らかに弱い女に手を上げる事ができず、成す術もなかったのだろう。
「女ってのは卑怯だよな」
とは言いつつも、内心疑っていた。
この近藤という男は強い。
そんな奴が、姑息な真似をするだろうか。
しかもなぜ女なのだろうか。
しかし恭平が嘘を吐いているとも思えない。
何より近藤自身が、無言の肯定を見せている。
公一は口元を拭いながら立ち上がり、前髪を掴んで顔を上げさせる。
「今度は俺がテメェにマーキングしてやるよ」
ニヤリと笑い、身動きがとれない近藤の鳩尾に拳を埋め込んだ。
「っ……クソ……」
最後の悪態を吐くと、近藤はぐったりと意識を失った。