⑥
「お前、何か香水使ってたっけ?」
口元についた口紅を拭いながら問う。
「今は使ってるわよ。ローズオードトワレ。今日直輸入店で見つけたんだけど、自然な香りで素敵なの。これからはシャンプーもシャワージェルも、ボディミルクも全部このシリーズにしようと思って」
言いながら、ブラインドの紙袋を見せる。
言葉を失った。
こんな偶然があるんだろうか。
これは母が愛用していたフランスのブランドだ。
深雪もこれに惹かれるなんて。
思わず手を引き、抱き締めて肩に顔を埋める。
これは母の香りだ。
自然に涙が流れた。
「公一?どうしたの」
「悪い。その香り……母さんのなんだ」
深雪に言ったら嫌がられるかもしれない。
マザコンだと馬鹿にされるかもしれない。
だけど言わずにはいられなかった。
「お母さん?公一のお母さんはこのトワレを使っていたの?」
「あぁ。もう、随分前に死んだんだけどな」
あまり言いたくないし、言わないつもりだった。
だけどつい過去の出来事が一気に溢れ、口から次いで出てしまった。
「どうして亡くなったの?病気?」
「いや……違うよ」
乗り越えた筈だった。
だけど本当は立ち直ってなんかいない。
今でも目を閉じると蘇る。
たまに夢を見て、汗だくで目を覚まし、怖くなって深雪を抱き締めて眠っている。
「自殺したんだ。俺が12歳の時に」
認めたくなかった。
口に出して誰かに話すと、それが真実になりそうで怖かった。
だけど本当は事故じゃない。
自殺だった。
後から遺書も見つかったらしいが、読んでない。
言えば見せて貰えるだろうが、今さら古傷をほじくり返す様な真似をするつもりもないし、何より怖かった。
公一は母が好きだった。
その愛情が、伝わっていなかったと知るのが怖かったのだ。
「ごめん。こんな話、聞きたくないよな。だけど、ダメなんだ。忘れられないんだよ。俺の目の前に落ちて来たんだ。俺の……目の前に」
なんの前触れもなかった。と皆は言った。
本当はあった。
ただ皆が気付けなかっただけだ。
涙が止まらない。
こんなに泣いたのは、初めてだ。
嗚咽を漏らしながら、深く息を吸う。
「なんで、自殺なんで選んだんだよ……母さんっ……」
深雪を抱き締めながら、母を呼び続ける。
恐らく不快に思っているだろう。
ハッと我に返り、慌て体を離すが、逆に抱き寄せられた。
「お母さん、素敵な人だったのね。忘れられないわよね」
「いや、それは……」
あぁ、俺は馬鹿だ。
妻に抱きつきながら、イイ年をして母親を恋しがるなんて。
「悪い、今の忘れてくれ。なんでもないんだ」
格好悪すぎる。
これじゃまるでマザコンじゃないか。
そんな公一の心情を察したのか、深雪は小さく笑った。
「お母さんを恋しく思うのは、恥ずかしい事じゃないわよ」
「え……?」
「家族なんだもの。それに、亡くなってしまった人を恋しく思うのは当然の事じゃない。だから、なんでもないなんて言わないで」
深雪は続ける。
「家族は一番大切な人でいいの。私にだってそうよ。公一を育ててくれた人だものね」
柔らかな指が公一の髪を鋤く。
まるで子供をあやす母親のように。
その優しさに、また泣きたくなった。
気付かれるのが嫌で、黙って息を殺す。
「……ごめんなさい」
「何で謝るんだ?」
謝らなきゃいけないのは自分の方だ。
こんな風に泣いて甘えて、嫌な話ばかりして。
どう言えばいいか悩んでいると、深雪は更にポツリと呟いた。
「私、母親はいなかったから、よくわからなくて。何か無神経な事、言ったかと思って」
「そんな事、あるわけないだろ!」
思わずカッとなり、体を起こす。
深雪はビクッと体を震わせ、怯えた目を見せた。
「あ、ごめん……。だけど違うんだ。誤解しないで。俺は深雪に感謝してる。お前が側にいてくれるだけで、どんなに救われているか」
手を伸ばし、華奢な体を抱き締める。
深雪も複雑な家庭で育っている。
だからこそ公一は惹かれた。