死者の世界
幽霊が見える、なんて言う人を僕は決して信用したりはしない。
別に深海の謎も宇宙の広さも何一つ分かってないこの世界において、人の霊魂やそういう思念体? みたいなものが形を伴って現実に顕現する可能性を頭から否定するわけではないけれど、なんだか、幽霊が見える、なんて言ってるような輩は、大抵がそれを利用したお金儲け(言ってしまえば詐欺)だったり、真偽の確かめようがないのをいいことに好き勝手に人にモノ申している連中が多い、というイメージが僕の中には慄然としてあって(テレビの影響だろうか)、要するにそういう台詞をはく人種がどうも生理的に好きになれないのだ。
あるいはそういう奴らは「人には見えないものが視える特別な自分」に酔いたいだけで、いわゆる中二病的な価値観を持った、これまた僕があまり好まない性質を持った人間だから、とにかく信用できないし、好きにはなれないのかもしれない。
話を戻そう。
僕は幽霊が見える人を信じないが、それ以外が視える人は全面的に信頼している。いや、信頼したいと思っている。
何が言いたいかというと。
僕は、僕の視線の先では死体が歩いている。
その死体は、ズタボロで……体中が擦過傷まみれで、血まみれで、痛々しげで……。そして瞳孔は開ききっていて、肌はやたら青白くて生気がなくて。
とりあえず、一目見て死んでいるとしか思えない様子だ。
死体が話しかけてきた。
「サカシモくん、今日も遅刻? いい加減にしないと首にするよ」
「…………」
「返事しなさいよ返事」
「……はい」
死体は表情一つ動かさず、口元も動いていないのに言葉を紡ぎだして僕に語り掛けてくる。話す内容は本日の仕事内容、今は繁忙期だから店は忙しくなるとか、今度新人バイトの面接があるとか、そういう普通の、飲食店における店長とバイト(僕)の会話だ。
僕は客席越しの窓を見る。窓の外は普通の街並み普通の風景……いや、残念ながら違う。
外も死体がいっぱいで、死体がうようよと我が物顔で歩いている。もう、数年前からずっとそうなのだから、僕もいい加減なれっこではあるんだけど、それでもどうしても這い寄ってくるため息を抑える事が出来ない。
知覚異常、というらしい。
僕は交通事故で頭を打って、それ以来人間がすべて死体のように“視える”ようになってしまった。親も、妹も、友達も、隣人も、赤の他人も、芸能人も、どこかの国の大統領も、生きとし生ける人すべてが、はたして、生きてない生きてない人々のように、視えてしまうのだ。脳が誤作動を起こして、そういう風に僕の認識を作り変えてしまったらしい。
世の中には文字を認識できない人や、他人の顔を認識できない病気の人がいるとは聞いたことがあるけれど。
しかしながら、生きている人を認識できない病気とは、これまたいかに、といったところだ。
これからも僕は、この病気を抱えて死者の世界で生きていかなくてはならないのかと思うと、少しどころではなくウンザリとしてしまう。
「はあ……」
僕はまた一つ、大きなため息を吐いた。そこに、今日最初の客が入ってくる。
「……嘘だろ?」
驚いた。その人は、その女性は……死者ではなかった。僕の目にはまるで生きているかの如く、生気を伴って颯爽と歩いているように見える。
彼女はこともなげに着席して、気だるそうにメニューを見て何とも言えない表情をしている。
「……あれ?」
おかしい。スタッフは僕だけではないのだが、誰も彼女の方を振り返らず、注文を取りにもいかない。そして彼女もそれをさも当たり前にように、座ったまま、キョロキョロ辺りを見回すのでもなく、ボーっとしているように見える。
何かがおかしい。
「…………!」
僕はふと思い立った自分のバカげた考えを頭を思い切り振って振り払った。だって、そんなこと、そんなことがあり得るはずがないと、僕のこれまでの人生の中で培ったあらゆる常識がアラートを上げたからだ。
僕の知覚異常という病気は、「生きる者が死者に視える」という病気だ。
なら、今僕の目の前に映っている彼女が生きているように視えるということは。
それはつまり。
「…………」
彼女は僕の視線に気づいたのか、ゆっくりと席から立ち上がる。
そして蠱惑的な笑みで、こちらに微笑みかけてきた。
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