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少女と十三人の従者たち

少女と十三人の従者たち

作者: 甘いぞ甘えび

 部外者お断りだと言わんばかりの屈強で背の高い柵がぐるりと覆ったその敷地は、力無き者は近付くことも出来ないほど強力な結界により守られている。広大な敷地だが、それを覆っても余りあるほどの結界は、その術者の意向によってその柵が張り巡らされている範囲までに限定され、そのお陰でその結界が更に強固なものへとなっている。

 そんな屋敷に近付こうと思う者がいるわけもなく、その柵の正面にだけ存在する門はここ何年と他者の為に開かれたことはなかった。

 国内でも屈指の術者であり、その若さゆえに国の将来を担うとも噂されているシーリー・ココラは、人生で初めてその屋敷の門扉の見える位置までやって来た。

 真っ直ぐに屋敷まで続いている砂利道は、結界の境界である柵の外側から内側まで続いていたが、外側に立ったシーリーには内側がぼんやりとぼやけて見えていた。それが結界内に濃い魔力が密集している所為でそう見えているのだと知っているだけに、彼はそっと身震いした。視界がぼやけるほど濃い魔力というのは、歳若い彼は今まで一度も見たことがなかった。

 今回彼がここへやって来たのは、彼が所属する国王付属魔属省魔属生物部環境保全科の仕事だった。将来的に魔属省内でも上位部、それも花形と言われる魔術犯罪部への道が用意されていると噂されるシーリーだったが、今は下積み期間という位置づけで今の部署に所属している。

 シーリーが受けた任務は、この屋敷の持ち主である術師にサインをもらってくることだ。環境保全科は、国に登録している魔術を擁する植物、動物、または魔物を所有する者に対して定期的な登録更新を促す業務を担っている。その更新は基本的に登録者に通知され、登録者が環境保全科のオフィスまで出頭するのだが、何事にも例外は存在する。その例外がこの館の持ち主だ。

 この屋敷は遥か昔、このあたりを国として統べていなかった時代からこの地に住まう一族が所有している。その一族は魔術に関しては抜きん出て秀でていたものの、短命の上に子種が少なく、滅亡の一途を辿っている。今現存している一族も、もう残すところ数人という噂が、嘘か誠か囁かれている。

 シーリーは上司に説明されたとおり、サインしてもらう書類一式と、新しくなった規約を持参し、緊張も露わに柵に取り付けられている呼び鈴を押した。

 呼び鈴は特殊な古式の術がかけられ、そのボタンを押した者の指から採取できるすべての情報を屋敷内へと伝えるシステムとなっている。高度な術だが、それが当然のように使用されている。屋敷や土地を守護するように覆っている結界も然ることながら、このようにして術があまりにも平然と、さも当然のごとく使用されているというのはそう滅多にお目にかかることはない。

 緊張のあまり身に纏っているマントを数回叩いていると、何の前触れもなく門のロックが解除される。ガチャンという錠の下がる音にビクリと肩を震わせたものの、シーリーは何事もなかったかのようにその場を取り繕い、その敷地へと足を踏み入れた。

 外側からではぼやけて見えていた視界が、すっきりとその目に見える様というのはどこか不思議なもので、シーリーは間抜けにもあたりをきょろきょろと見回してから屋敷へと歩き始める。砂利道は迷うことなく真っ直ぐと屋敷へ伸びており、その左右には、まるでその道を外れた場合は何が起きても保障はしないとばかりに植木がきっちりと整備されていた。

 季節的には冬。何重にも着込んだ服の上に、暖かなマントを羽織っていたシーリーは、その結界内が異様に暖かい事実に気がつく。まるで春か夏手前のような陽気だ。こんな暖かい中でマントを着込んでいるのはおかしいと判断し、彼はマントを外した。

 屋敷に辿りつくほんの少し手前で、ほんのりと甘い香りが漂ってきて、彼は反射的に辺りを見回す。環境保全科に所属してから様々な魔術的植物や動物に触れ合う機会のあった彼は、その匂いが何であるかを瞬時に判断する。

 屋敷の玄関扉は鉄製の立派な扉だったが、ふと見遣ると取っ手がない。どこか引っかかりのようなものがあるのかとざっと目を走らせるも、取っ手の代わりになりそうなものは何一つ見当たらなかった。まるで扉の姿をした壁のような印象を受け、彼は他に入り口があるのかと顔をめぐらせる。

 しかし、柵から真っ直ぐに続いている砂利道の先にはこの玄関扉しかなく、それ以外を探そうとしたら砂利道を逸れ、植木の中を突っ切っていかなければならなくなる。もしそんなことをしたりしたら、怪我どころか命の保障もないだろう。

 他の入り口を探すのを諦め、扉をノックする。鉄製の扉はゴンゴンと音を響かせた。

「いらっしゃい」

 まるで待ち構えていたかのようなタイミングで扉が開かれ、シーリーの予想に反して、にこやかな歳若い男が顔を覗かせた。

「お忙しいところ申し訳ございません。環境保全科のシーリー・ココラと申します」

「うん、話は聞いてますから。入って下さい」

「お邪魔いたします」

 シーリーを迎えた男は、冗談かと疑いたくなるようなほど耳にピアスを付け、長めの黒髪をすべて片側に流したスタイルをしていた。洋服は春先に着るような薄手の長袖の長衣で、肌の色は褐色だ。一番目立つのは、その肌の色やピアスなんかではなく、その透けるほど明るい碧の瞳だ。

「あの、あなたは?」

「あぁ、うん。僕はミシャ・ストー。この館の使用人です」

 この国はどちらかと言えば北国に分類される。そのため、国民の肌は白か、あるいは白に近い黄色をしている。髪の色は様々だが、大抵が黒か茶色。金髪も珍しくはないが、数が多いわけではない。ミシャのような褐色の肌は異国の者であるという明確な証明となる。

 しかし、褐色の肌の国の住人のほとんどが黒か茶色の瞳を所有しており、彼のように明るい色をしている瞳を持つ者はほとんどいない。

「使用人って言い方は間違ってますね。この館の番人? それが正しい言い回しですかね」

「番人?」

 シーリーの問いかけに、ミシャはにやりと笑みを浮かべる。その笑みは彼の整った顔とその不思議な瞳が相まって、どこか不思議な雰囲気をかもし出す。

「うん。君はまだ若いから分からないんでしょう。経験不足かも知れませんね。僕はこの館の管理を任されている魔物ですよ」

「魔物?」

 驚いた顔で問い返すシーリーだったが、対するミシャはニタリと妖艶な笑みを浮かべる。

 シーリーは魔術師になるべくして生まれ、魔術学校で学び、そして国に仕える術師として働いている。働き始めて早五年以上が経過している彼だが、術師の業界からしてみればまだまだヒヨっ子。知識の幅も狭く、特出した技術があるわけでもない。だが、学校で学んだ以上のことを身に着けようと独学で学び、それを身に付けることの出来る知的探究心は他の者にはない能力だ。

 しかしこうして術師として働くにはまだまだ知識も力も不足している。そのことには自覚があるものの、足掻いてどうこうできるレベルの問題ではない。そうと分かっていながらも背伸びしているシーリーにとって、こうして自分の知識にないものが目の前に現れると、自分の知識の少なさを思い知らされ、居たたまれない気分にさせる。

「主人のところへ案内しますね」

 そう言い、ミシャはさっさと歩き出してしまった。シーリーは一歩遅れてそれに続くが、モヤモヤとした気分は晴れず、それを誤魔化すように前を歩く男の姿をじっと観察し始めた。

 ミシャの頭は形のいい丸型で、そこから流れる黒髪は絹糸のごとく美しい。髪をすべて片側に流すという髪型は似合っていてこそ違和感はなく、むしろ片耳を露出させるというスタイルはすっきりとしていて好印象を与える。露出している耳にはいくつものリング状のピアス。耳の形は尖っていたりせず、形のいい普通の耳だ。

 彼の姿はどこをとっても普通の人間の姿そのもので、彼が魔物だと自分で言わなければシーリーは彼を魔物だと見抜くことは出来なかったに違いない。

「気にしないほうがいいですよ。ここにいる者たちは普通の基準では図れませんから」

 慰めるかのような言葉に、シーリーは少し意外な気持ちで耳を傾ける。

 シーリーが事前に調べたところによると、この屋敷には人間の家族が住んでいることになっている。住んでいるのは当然、古くからこの館を所有している一族の末裔だ。その人物は国にいくつかの魔に属する植物の登録を行っていたが、それ以外に魔物の登録は行っていないはずだ。少なくとも、彼が今回持参したリストにはその旨の掲載はなかった。

 しかし、実際来てみるとどうだろうか。目の前には登録が必要なほど高位な魔物が野放しで歩いているし、ぼんやりとだがまだ他にもいそうな気配がしている。これは重罪だ。高位な魔物を有している者は国へ届出をしなければならないというのは随分昔から定められている。

「話くらいは聞いたことがあると思いますが、この館は、というよりはこの土地は、ですね。とにかくここは一族の自治が認められています」

 ミシャが説明する内容は、シーリーも聞いたことのある話だ。しかし、その話はあくまでも噂であり、それが真実かどうかというところは彼の与り知らないところだ。

 ここいら一帯は力のある古い一族の所有であることから、国王もそれを考慮し、不干渉を貫いてきた。国としての秩序を保つ為にある一定の規則の服従は求められたものの、微細な事柄までは徹底せず、一族の判断に任せているという。

 それが真実なら、こうして高位の魔物が未登録のまま使役されていることも、大目に見られているということになる。そうなればこれは犯罪ではなく、合法というわけだ。

「ここでは常識は通じません。ある程度心の準備をしておいた方が良いでしょう」

 既にのっけから常識が通じない人物に案内されているのに、これ以上何が起きるのかと不安を掻き立てられたシーリー。しかし、そこは大人しく助言通りに心の準備をしておく。最初からこの調子ならば、今後何が起きても不思議ではない。

「準備は大丈夫ですか? 着きましたよ」

 緊張する心をなだめすかしている最中に、先を行っていたミシャがぴたりとその優雅な足取りを止める。くるりと振り返り、真横にある観音開きの扉を指す。その扉も玄関扉と同様に、取っ手も、何の取っ掛かりもないつるりとした扉だ。

「えぇ。大丈夫です」

 何でもドンと来いと言えるわけではないが、ある程度何が起きても動揺せず構えようという意志を固く決め、真剣な顔色で断固として頷く。その頼りがいのある態度に満足したのか、褐色の肌の魔物はニッコリと笑むと、すっと扉を押した。

「トレス様、お客様ですよ」

 扉はミシャの手が触れる前にすっと音もなく、その重さを感じさせないほど軽い動きで開かれた。その動きにもすべて魔術が絡んでいると見て取ることが出来たシーリーだが、その魔術がどういった設計で、どういった動きをするものかを理解するまでには及ばなかった。

 ミシャに続いて入ったその部屋は、三方向に窓のある、まるで建物からそこだけ突き出しているような造りをしていた。カーテンはすべてまとめられており、外部からの陽光だけで随分と明るい。ソファやテーブルなどといった応接セットが置かれているところから、そこが応接間として使用されていることが分かる。

「トレス様?」

 疑いかかるようなミシャの口調に、シーリーはギョッとしてその明るい碧の瞳を見遣った。

 普通、魔術師と契約して主従関係を結んでいる魔物は主人に対して絶対服従。何があっても、どんな命令でも主人のいうことには従わなければならず、それを反すると手酷い罰が下される。

 今のミシャの言葉遣いから、彼が自分の主人の行動を疑っていることが窺い知れる。そんなことをすれば厳罰が下されるはずだ。魔物はどんな罰にしろ自分の存在を貶められる罰というものを嫌う傾向があり、罰を受けない為ならどんなことでもするだろう。しかし、今のミシャはどう考えてもそんなことを気にしてはいない様子だ。

「どこにいらっしゃるんですか? いるのは分かってるんですよ」

 シーリーにはミシャの主人がどのような人物か想像もつかなかったが、これぐらいのことならば大目に見てくれる人物なのだろうかと勝手に想像が膨らむ。しかし、こんな尊大な態度に口調の魔物など見たこともないのだから、どう解釈していいものやら判断に困る。

「あ……」

「ああ、そんなところにいらっしゃたんですか。ほら、こちらへ来て下さい。お客様の前ですよ」

 小さな小さな声にそちらを振り向くと、厚手の高級そうな生地をたっぷりと使用したカーテンのまとめられているあたりで、ごそごそと何かが動くのが見える。シーリーは草陰から飛び出てくるウサギを見るかのような気持ちでそこを見ていると、カーテンの隙間からぴょこんと小さな頭が覗いた。

「ブルートはどうしたんですか?」

「あの……、コリファに呼ばれて、行ってしまいました」

「ハァ? あんの馬鹿が……。お嬢様の相手をしていろと言ったのに」

 カーテンの間に挟まっていたのは、シーリーの三分の二ぐらいしかない背の丈の、小さな女の子だった。肩より少し長い黒髪はミシャの髪のごとく美しく、その大きい瞳は漆黒の闇。少し怯えるような様子が窺えるのは、彼女が人見知りだからだろう。異国風の衣服を身に纏ったその少女は、怯えるウサギのごとくびくびくとカーテンを掴んでいた。

「お客様……?」

 カーテンを盾にするように隠れながら尋ねる少女。シーリーはそこまでしっかりと観察してから、はっと気がついて自分の居住まいを正した。

「初めてお目にかかります。環境保全科のシーリー・ココラと申します」

「環境保全科……。ヌーツさんの、ところの方……ですね」

「んなことはどうでもいいですから、自分も名乗るのが常識ですよ」

 まさかこんな怯える子羊のような少女から自分の上司の名前が出るとは思わず、シーリーは咄嗟に反応を返し損ねる。しかし、それをフォローするのか無視するのか、ミシャが手厳しい一言でばっさりと切り捨てる。

「す、すみません。わたしは、クレア・テアナト・トレス。……と、トレスと呼んで下さい」

 ビクビクと怯えているものの、名前は立派な一族を継承している。そのギャップに違和感を感じるものの、心の準備をしてあったお陰か、顔に出さずにはすむ。シーリーは礼儀に従って胸の前で両手をクロスさせ、深々と頭を下げる。自分よりも格が上の者に対する最高ランクの礼儀作法だ。

「よろしくお願い致します、トレス様」

 充分な間を置いてから顔を上げると、顔を真っ赤にしてカーテンに隠れようと必死のトレスの姿が真っ先に目に飛び込んでくる。思わず顔に呆れた表情が出そうになり、辛うじてそれを思いとどまる。こんなビクついた少女が当主とは、この一族の存続が危ぶまれているという噂は本当に違いない。

「トレス様、よろしければ皆をここに呼んで頂けますか?」

「……皆を、ですか?」

「ええ。今日は登録の更新でしょう? そうしたら必要だと思うのですが」

 トレスは顔の三分の二ほどをカーテンから出しながらも、まだほんのり赤く染まっている顔を隠そうと必死になっている。ミシャはそんな態度の主人に慣れているのか、そのことに関しては何も触れずに普通に会話を続けている。

 こんな光景を見せ付けられると、確かにここでは常識は通用しないのだと容易に確信に至る。

「……ですが、今日はお父様とお母様とお兄様がいらっしゃいます。皆を集めるのはその後でも……」

「あぁ、そういえばそうでしたね。どうでもいいことなので忘れていました」

 その会話から、ふとシーリーに疑問が生まれた。彼女の弁によると、彼女には両親と兄がいる。なのに何故当主がこの幼い少女なのか。普通ならば彼女の父が当主で、時期当主が兄になるはずだ。普通の順序からいったらそうなるはずだが、そうなっていないということは何らかの事情があるのだろう。

「では、どういたしましょうか……」

「トレス様、終わった」

 ミシャが何かを言いかけている最中に、その台詞をぶった切るタイミングで陽気な声が降って沸く。シーリーが二度瞬きをする間に、気がつけば部屋のソファの後ろに一人の男が現れた。

「……なんでミシャ?」

「それはこっちの台詞です。トレス様の側にいるように言ったのに、何故ここにいなかったのですか」

 背が高く、鋭い印象を受けるその男は、絡みつくほど長い金髪を邪険に払いながら、同じように邪険にミシャを見遣る。男の肌は白く、その目は背筋がぞっとするような深紅色。その配色は対峙するミシャとは正反対だ。

「俺はトレス様に命ぜられたことをしていただけだ。……その後ろのはなんだ?」

 人間じゃなさそうな人物の登場に動揺をひた隠していたシーリーは、お鉢を向けられて慌てて表情を引き締める。何度も何度も名乗るのは手間だったが、何事も初めが肝心だと自分に言い聞かせる。

「環境保全科のシーリー・ココラです。今日は魔属生物の登録の更新にお伺いしました」

「あぁ。今日だったんだ? ふーん、ご苦労様。俺はブルート・ギーエ。トレス様付きだ」

 ブルートはトレスと並ぶとトレスが小人のようになるほど長身だ。ストレートの金髪は彼の腰か、それよりももっと下ぐらいまでの長さで、金糸のように彼の全身へと広がっている。身に纏っている薄手の長衣は足の付け根の高さからスリットの入ったもので、下には動きやすそうなパンツをはいている。腰にはベルトが何本か巻かれているものの、そこに何がぶら下がっているわけではないらしい。

「トレス様、ブルートは教育係です。雑用なら他のヤツに頼んで下さいと何度言わせれば気が済むのですか?」

「あぅ……」

 こんなにも立派な教育係がついていながら、こんなにも人見知りで怯え癖のある少女に育つとは、一体どんな教育をしてきたのかと疑いたくなるほどだ。しかし、通常の常識は通用しないのがこの一族だ。シーリーは思ったことがあっても決して顔に出すまいと決意を新たに決める。

「ミシャ様!」

 コンコンと窓がノックされ、全員の注目がそちらへと集まる。丁度トレスの斜め後ろの窓の外側に、黒髪の男がいる。男は片手でどこか背後を指差しながら、もう一方の手で何かを示す。その動作が何を示しているのかシーリーには理解できなかったが、名前を呼ばれた本人はその意味するところを正確に読み取ったようだ。

「到着したようですね。そのままトレッジに迎えに行かせましょう」

 窓の外にいた男はミシャになにやら指示されたのか、そのままどこかへと消えてしまった。シーリーには何が進行中なのかサッパリ分からなかったが、所詮自分は部外者なのだと理解しているのであえて何かを訊こうとはしない。

「では……、わたしたちも行きましょうか?」

 弱々しいながらも決断力を秘めたトレスの言葉に、ミシャは一瞬考えるような間を置いてから、すっと流れるような動作で後ろに下がり、音もなく扉を開いた。

 彼が廊下へ出て行ってしまうと、残されてしまったシーリーはどうしていいのか分からななってしまったが、ふと気がつくと近くまでトレスがやって来ていた。いつの間にかカーテンの間を抜け出してきたらしい。

「お母様とお父様とお兄様を紹介します。……ついて来てください」

 カーテンから抜け出たトレスは、シャンとして毅然としていた。巨人のように背丈の違うブルートを従えて歩く姿は当主といわれても違和感はなかった。先ほどまでのビクついていた姿は嘘だったのかと疑いたくなるような姿だ。シーリーは言われたままに彼女に付き従った。

「……トレッジは、そのままそこに留まるでしょうから、他の者たちを呼ばなくては、なりませんね……」

 まるで独り言のように呟きながら、トレスはちまちまと廊下を歩く。まだ幼い少女というだけあってその歩幅は小さかったが、ほかの者たちに合わせようと必死になって歩いている。その姿が妙に子供らしく可愛らしく見え、シーリーはそっと笑みをこぼす。

「……ココラさま。リストを、お持ちですか?」

 笑ったのがバレたのかと思うほどのタイミングでトレスが振り返り、シーリーはドキッとして一瞬足を止める。しかし、その質問内容が頭に染み込むや否や、営業用の笑みを浮かべて頷く。そして荷物をあさって一枚の用紙を取り出してトレスへ手渡す。

「こちらがリストです。……あと、シーリーで結構です、トレス様」

 シーリーの申し出にビックリした顔をしたトレスだったが、すぐにニッコリと破顔してコクリと頷く。

「ありがとう、シーリー。……出来れば、わたしのこともさまを付けないで呼んでください」

 比較的無理な注文だったが、それを承知しているのか、トレスはシーリーの返答を待たずしてリストに目を落とし、それ以上何も言わなかった。

 返答を求められなかったことでほっと胸を撫で下ろしたシーリーは、これから何が起こっても動揺せず、自分の求められている仕事だけに集中しようと再度決意する。ここでは常識は通用しない。それは例えや比喩なんかではなく、確実確証を持った事実だ。それは既に嫌というほど実感した。

 またしても迷路のような屋敷の廊下を突き進み、一行が立ち止まったのは、どこも似たような造りの扉の前だった。この家の扉は統すべてそうなっているのか、取っ手も凹凸もない不思議な扉だ。さきほどと同じようにミシャが音もなくその扉を押し開ける。

「ちょっと! あなたお茶も出さないのっ?」

 扉を開いた途端、些かヒステリックな女性の声が響き渡る。反射的に眉を歪めたシーリーは、誰がそこにいるのかと部屋を見渡した。

 部屋の中には先ほどと同じようなセッティングでソファとテーブルがあり、そのソファに女性が一人と男性が二人座っていた。男性の内一人は歳若く、シーリーと同じか、彼よりも少し上といったくらいだろう。部屋の中にはその他にも、先ほど窓の外にいた男も同席していた。

「ミシャ様ぁ……」

 窓の外にいた黒髪の男の肌の色は黄色。その目は不思議な金色で、今は少し怯えた表情を浮かべて、助けを求めるようにしてミシャの名前を呼んだ。ミシャはピクリと眉毛を動かしたものの、穏やかな表情を変えずにニッコリと笑みを浮かべた。

「遠いところわざわざお越し下さいまして誠にありがとうございます、グーダ様、ティア様、ウノ様」

「挨拶なんてどうでもいいわ。それより、出すものを出しなさい」

 ミシャのその外見と雰囲気からくるプレッシャーにも動じず、ヒステリックに言い放つ女性。その態度は横柄そのものだったが、その態度、その格好から判断して、彼女はミシャに命令できるような立場の人物であることが分かる。しかし、それにしても彼女の相手を侮辱した態度はある意味素晴らしい。

「お茶とお茶菓子は他の者に用意させております。今しばらくお待ちくださいませ」

「はっ、相変わらず口ばっかりね。その肌の色も気に食わないわ。目障りよ。下がっていなさい」

「お母様……、今日は、その、更新ですから……」

 キビキビと命令を下す女性に相反するように小さな声で、それももごもごとした声で反論するのは、小さなトレスだ。彼女は自分に自信がないのか、少し下の角度を見るようにして顔を伏せながら一歩前に、ミシャの前に出る。

「トレス! まぁ、母様は疲れていらっしゃるだけだよ。ほら、こちらへおいで?」

「お兄様……」

 歳若い男がニコニコと笑いながらトレスに手招き、トレスは躊躇するように相手を呼んでから、ちまちまとそちらへ歩み寄る。男はトレスを自分の座るソファに乗せると、堂々とその身体を抱き寄せる。

 そのあまりにも兄妹とは思えないほどの馴れ馴れしさに驚いたシーリーだったが、他人の家族のことをとやかく言う権利などないのは重々承知だ。黙って成り行きを見守る。

「あっ、あの、シーリー……、こちらは兄のウノ……。こちらは母のティア、そしてこちらが父のグーダです。こちらは……」

 ウノに抱きしめられながらも必死に姿勢を正し、一人ひとり丁寧に手で指し示しながら紹介するトレス。シーリーはその紹介に一々頷き、小さく会釈を返しながら応える。そして、最後に彼女の視線が家族に向き、シーリーを指し示したときにタイミングよく彼女の言葉を引き継ぐ。

「国王付属魔属省魔属生物部環境保全科のシーリー・ココラと申します。本日はよろしくお願い致します」

 先ほどトレスにもしたように、胸の前で両腕を交差させて頭を下げる。最高位の敬礼をされて不愉快に思う人はいないだろうという心遣いも半分含まれていたが、もう半分はこうしときゃなんとかなんだろうというやっつけの思いが占める。はっきり言ってトレスの家族に対するシーリーの感想は一言、最低だということだけだ。

「随分若いのね。それに、礼儀もなっていないようね」

 何様のつもりだと怒鳴りつけてやりたい気持ちを抑え、シーリーはニコニコと営業スマイルを浮かべる。

「登録更新だなんて、ふん……。勝手にやってくれればいいのに」

「失礼いたします」

 ぶつぶつとティアが文句を呟き、その場の雰囲気が完全に悪化している中、明るい声が響き渡ったかと思うと、扉が開いて紅茶のいい香りが室内に充満する。シーリーはそそくさと、その登場に助けられたとばかりにその場所を移動する。

「遅くなりました。本日はブルーティ、茶菓子はグリーンベリーの焼き菓子にございます」

 真っ白なコックの衣装を身に纏った茶髪の男が、手に持った凝った銀細工のトレイから、これまた凝った細工のカップと同じ柄のソーサー、そして焼き菓子のデコレイトされているお皿を並べておいていく。置く順番はもちろん、グーダ、ティア、ウノ、そしてトレスの順番だ。そして最後にもう一セットをトレイに残し、ふと気がついた様子でシーリーを振り返った。

「あなたの分はどちらに置きましょうか?」

 トレスの両親の登場に、自分がこの家の来客であるという意識が抜けていたシーリーは、どうしていいのか分からず、助けを求めるようにトレスに目を向ける。トレスはウノにいいようにされながらもシーリーの様子が分かったのか、コクリと小さく頷いてみせる。

「コリファ。こちらに……」

「承知致しました」

 コックの男が下がると、ティアは優雅な手つきでカップをつまみ上げ、誰よりも早く紅茶を飲み始める。

「ええと……、お兄様、手を、離してください。全員集めなくては……」

「あぁ、いいとも。でもちゃんとあとで戻って来るんだよ、トレス」

 ウノの手から自由になったトレスは、兄の見えないところでそっと息をつきながら、間抜けにも立ったままのシーリーがいる場所へとやって来る。シーリーは感情を表に出さない為の無表情のまま、トレスを見遣る。彼女は苦笑して見せてから、くるりと家族のほうを振り返る。

「……今ここに、ミシャ、ブルート、トレッジ、コリファ……がいます。ここには……、あと、九人の魔物が、います……」

 ぼそぼそと喋る彼女の口調は聞き取りにくかったが、部屋中が驚くほどに静まり返っているお陰で、その小さな声もはっきりと聞いてとることができた。もしかしたらそこにも何か魔術が使われているのかも知れないが、それを判別することは出来なかった。

 トレスは周りの様子を窺いながら少し移動すると、精一杯両腕を広げた。そしてその両手を素早く打ち付ける。

「全員集合っ!」

 ぱんっと音が鳴り響いた瞬間、シーリーの魔術的なことを察知する六感とでも言うべきものが、ざわりと波立つ。全身の毛という毛が逆立ったかのような感覚に、悲鳴が出そうになるのを必死で堪える。

 そして次の瞬間には、その感覚はまるで嘘だったかのようにサッパリと消え失せていた。そして、その部屋の中の人数が明らかに増えていた。

「端、から……、紹介を、します。リストを、……お返ししますね」

 ソファに座っている家族は慣れているのかはたまたこの異様なまでの魔術的圧迫感に気付いていないのか、何食わぬ顔で紅茶をすすっている。シーリーにはこんな異質な空間で和むことが出来るなんて異常者じゃないかと思えるほどだ。

 トレスからリストを受け取り、反射的にそれに目を落とす。リストには十三の魔に属する生物が羅列されているが、今ここにいる十三人の人型魔物たちとは似ても似つかない表示となっている。

「ええと……、先ほどお茶を持ってきてくれたのが、コリファ・ウィドー。その隣りがトレッジ・ナシス。アタム・ジーメイ、キーヌ・ホイン、ルーブ・スーラ、ハバス・コロー、シプネ・クッス、ディド・アトス、ディシン・ダップ、ラレー・ケケ、ペヅ・トイ……です」

 グズグズとした喋り方をしているトレスが、まさかこんなにすらすらと言ってのけるとは思っていなかったシーリーは、完全に紹介に遅れた。三人目ぐらいまでは分かったものの、後半は名前の欠片も覚えていない有様だ。しかし、紹介されたからといって全員と関わるわけでもない。諦め半分で分かったふりを決め込む。

「リストを、確認しましたが……、間違いも、変更も、ありませんでした」

 そこで初めて、書類を出し忘れていることに気付き、シーリーは慌てて荷物をあさる。丁寧に書類ケースに収められた書類を取り出し、一部をトレスに、もう一部を家族の方へ手渡す。二部しか用意がなかったのはシーリーのミスだが、まさかこんな大人数になるとは思いもしなかったのだから仕方ないところだろう。

「質問があるのですが、このリストに掲載されているのは植物系の、それも低ランクのものばかりです。今ご紹介いただいたのは高ランクの魔物ばかり。これでは一致しませんが……」

「馬鹿な坊やね。数さえ合っていればいいのよ。何匹一族が保有しているか、ただそれだけを確認する為に架空の植物を登録してるのよ」

 ティアの人を小馬鹿にしきった言葉は相手を挑発させるのに充分な効力をもっていたが、シーリーはそんなことよりも遥かに、その内容の方に気を取られていた。

 一族は国王からも一目を置かれ、自治権を有して好き勝手暮らしている。だがしかし、国王としては完全なる自由を認めてしまっては沽券に関わる。その為、国側は一族に対し、多少の条件を提示した。その一つがこれだ。所有している魔物の数の申告。

 しかし、その具体数を不特定多数の人間に知られてしまうことを嫌った一族は、国に逆条件を指定した。それが今ティアが言ったとおり。架空の登録でその数を把握するということだ。国側は数さえ把握できれば詳細を聞かないとしていたため、このような条件がまかり通ることとなった。

 あまりの物事の突拍子のなさに、シーリーは頭がふらつく気がした。しかし実際は、彼の足はしっかりと地面を踏みしめ、無表情に近い顔はじっとどこかを見つめていた。

「で、では更新の契約書類にサインをお願いします。……えっと、この場合はどなたが?」

 この一族に関して詳細を教えてくれなかった上司を恨みつつ、冷静を装って先を促す。

「わたしだ。その子の代理人に指定されているものでな」

「代理人?」

 実の親子間で代理人もクソもないだろうと首を捻ったシーリーだったが、またしてもティアが彼を馬鹿にしきった目つきで見ていることに気付き、ムッとして口を閉じた。

「本当に何も知らないのね。環境保全科は何を考えているのかしら。こんな無能な子を送りつけてくるなんて……」

 国側の配慮により、一族のことは外部に漏らされることがなく、その詳細を知る者は関係者以外にありえないという状況を作ったのは自分たちだというのに、この言い様はなんだと言い返したい思いを辛うじて留め、シーリーはニッコリと営業用の笑みを浮かべる。こういう相手を前に、こういう状況下におかれた場合にすることは唯一つ。馬鹿のフリだ。

「申し訳ございません。もしよろしければご説明頂きたいのですが」

 呆れて物も言えないとばかりの態度のティアは首を振り、説明する気などなさそうな態度でソファに沈み込んだ。それを受け、その隣りに座っていたグーダが苦笑してその続きを受け持つ。

「わたしが説明しよう。まあ、ことはそう単純じゃない。少し長くなるから座りたまえ」

「……用事の、ある者は……、解散を許可します」

 十三人の魔物に見守られている中で話すという圧迫感に抵抗を感じていたシーリーに気付いたのか気付いていないのか、同じく立ちっぱなしだったトレスが魔物たちに言い、集合させたときと同じようにして手を叩いた。すると、数人の姿が消え、部屋の中から張り詰めた魔力の集中が薄れる。

 それでも通常では考えられないほどの魔術による緊張感が漂っている。この空間の中でくつろげる人物がいたら、それはよほどの大物か、よほどの鈍感かのどちらかだろう。

 トレスはウノが差し伸べる腕の中へ、そしてシーリーはその隣りに居心地悪そうに腰掛けた。

「我々テアナト一族の当主継承は複雑だ。多分ここで説明しても君には理解できないだろう。しかし、一応理解の手助けとして説明しておく」

 ティアとは正反対と言わざるを得ない調子でグーダが口火を切った。

「十三の魔物は、我々一族に仕えているというよりも、我々の血に仕えている。先祖はそういう条件にすることで、一族の末代まで庇護されるよう取りはからった。しかし、そうすることによって、当主、つまり魔物に命令を下せる者の決定が魔物によって左右されることになった」

 やや分かり難い説明だったが、シーリーは己の知識にあるものを彼の言葉に補完することに寄ってどうにかその意味を汲み取る。だが、グーダはシーリーが理解できているかなど確認もせず次を続ける。

「当主には、ヤツらが認めた者のみがなることが出来る。しかし、当主が不在である期間はあってはならない」

 トレスの母親であるティアがこんなにも刺々しいのは、彼女あるいは彼女の夫が当主として選ばれず、こんなにも愚図で幼いトレスが当主に選ばれたことを非常に恨んでいるからだろうと推測がつく。

 グーダの説明によれば、ほんの少しでも一族の血が混じっていれば当主継承権が等しく与えられることになる。一族の力を欲する者はこぞって一族の者と婚姻を結び、我が子こそが当主だとはりきったことだろう。だが、物事はそう簡単にはいかないのが現実だ。

「今までは順当に、当主選別の時期に一族の血を有する者たちの中でも一番魔力のある者が時期当主として選ばれていた。しかし、この子の場合だけ例外だった」

 シーリーはまだ他人の魔力を見ただけで測れるほどの能力はない。しかし、そんな彼の目から見ても、トレスには際立って強い魔力があるようには見えなかった。どちらかと言われれば、トレスの倍以上生きているだけあって、彼女の両親の方が強い魔力を感じる。しかし、そのどちらも当主には選ばれなかった。

「我々の他に一族にはあと二家族存在する。その誰もが平均よりも上の魔力を有している。なのに、なのに、だ。こんな魔力の欠片しかないような子が当主に選ばれた」

 ふとシーリーは部屋の端に大人しく立っているミシャとブルートの方をチラリと見遣る。彼らは無表情にその場に佇んでいたが、シーリーが見ているのに気づくと、口許だけをにやりと笑わせてみせた。

「先祖の契約が薄れているのではないかと危惧しているくらいだ。ヤツらは我々を破滅させようとしている」

 グーダの声が興奮してきたのか、段々と大きな声になってきていたが、シーリーはミシャとブルートの見せた茶目っ気あふれる動作が引っかかり、そちらに気を取られていた。

 シーリーの知識にある高位の魔物は、自分の利害でしか動かない下位の魔物とは一線を駕しているはずだ。彼らは契約を重んじ、契約主に大しては精一杯の誠意を示す。時には裏切ることもあるが、高位の魔物に取って裏切りは相手が人間であってもあまり推奨される行為ではなかったはずだ。

「この子にはヤツらを正常に操ることなんか出来まい。さすればどうだ? ヤツらの思うつぼだ。我々一族の長年継承してきた契約は破られ、我々は破滅する」

 あまりにも酷い物言いに、シーリーはムッとして思考を中断させる。グーダは自分の持論を語るのに精一杯で、シーリーの不満げな表情にまで気が回っていない様子だ。彼は完全に軽蔑した視線で我が娘を見下す。

「だから、この子にはウノと婚姻を結ばせる」

「は……?」

「それがこの子の、そして一族の為だ。ウノなら力も申し分ないし、立派にヤツらを使役できるだろう」

 あまりにも突拍子のない発言に、シーリーは間抜けな顔をしてグーダを、そして必要以上にくっついているウノとトレスを見遣った。トレスは身体を縮こませ、顔を伏せていた。ウノはソファにふんぞり返り、トレスを恋人のように抱きしめている。その姿は決して血のつながった兄妹には見えない。

 確かにこの国では血族同士の婚姻はタブーではない。しかし、あまりにも血の近い者同士が婚姻を結んだ場合、子供が生まれる確率は限りなく低い。生まれたとしても、奇形だったりとで五体満足な子供が生まれる確率は低い。その為、血族内での婚約といっても、直系は避けるなどといった暗黙の了解が存在する。

「で、ですがそれですと子供が……」

「分かっている。しかし、そんなことよりも契約の存続の方が大切だ」

 ただでさえ短命の一族なのに、それ以上に出生率まで貶めてしまったら、契約の存続にどれだけの価値があるのか。一族が滅んでしまえば契約など無に帰してしまうものを。

 シーリーは言い返してやりたい気持ちをぐっと力を込めてなんとかこらえる。

「トレス様の意見は……」

「この子に意見なんてないわ。そうすることが一族の為なんだから」

 完璧にトレスの意思を無視したティアの断言に、いい加減苛々が溜まってきていたシーリーは、我慢できずに机を拳で叩いた。ドンッという音に、全員の注目が集まる。徒然、ティアは露骨に不愉快な顔を浮かべた。

「あなた方は魔物を何だと思っているのですか」

 尋ねるでもなく、ただ怒った様子でシーリーは立ち上がった。顔を伏せていたトレスがつられるようにしてシーリーを目で追うが、怒りに任せて歩き出したシーリーにはそんなこと気がつかない。

「確かに我々人間は魔物と契約し、主従関係にあります。ですが、ここにいるような高位の魔物は我々の架した契約など遊びにすぎないんですよ。彼らは破ろうと思えばいつでもこんな契約など破ることが出来る。それを理解していらっしゃいますか」

 ティアもグーダもウノも不愉快そのものの顔つきだったが、シーリーの怒気に呑まれて反論を口にはしない。ただ一人、トレスだけが驚いたような、惚けた表情でじっとシーリーを目で追う。

「彼らがトレス様を選んだということは、あなた方の中で一番彼女に力があったということです。今は隠れて見えないかも知れませんが、いずれその力は頭角を示すでしょう。きっと現存する一族の中でも一番強く、そして魔物に信頼される当主となるでしょう」

 二つのソファの横を怒りに任せてせかせかと二往復し、そこでようやく足を止める。そしてさきほどの営業スマイルとは打って変わって鋭い視線で、トレスの両親と兄を睨みつける。

「一族の存続を考えるなら、血族結婚は避けるべきです。大体、トレス様は現当主です。彼女の意見を取り入れずして物事を進めるなんて、反逆に等しい行為ですよ!」

 バンッと言い切ったはいいものの、ティアの眉毛が限界までつり上がっていく様子が伺い知れ、今更ながら冷静になったシーリーの背筋をイヤな汗が伝った。

 どう考えても彼の大失敗だ。仕事上のお客様であり、魔術業界において最大の大御所を前にして馬鹿げた感情から啖呵を切ってしまった。こんなことをして今後の仕事や、それ以前に魔術師生命が無事でいられるとは思えない。

 しかし、言ってしまった後ではもう取り返しはつかない。

「この若造が……! お役人だからと下手に出てあげたらなんて言様……!」

 頭にくるあまり、言葉が思いつかなくなってしまっているのか、ティアはパクパクと口を動かしながら、絞り出すように言葉を連ねる。その顔は怒りのあまり真っ赤に染まってしまっている。

「あっ……!」

 ガチャンと音がしたかと思うと、ティアはテーブルに置いてあった高そうなティセットを掴み、その勢いのままでシーリーへと投げつけた。

「ディド! ディシン!」

 シーリーが自分に投げつけられた高価そうなティセットを避けてしまうべきか、術を使用して受け取るべきかを逡巡している間、トレスが叫びながらソファを降りた。展開についていけず呆気にとられていたウノはあっさりとトレスを離す。

 自分の用意した選択肢ではどっちにしろ間に合わないと判断し、やってくる衝撃に備えて目を閉じて咄嗟に両腕で顔を覆ったシーリー。しかし、カップと紅茶の攻撃はいつまでたってもやってこず、何が起ったのかと恐る恐る目を開けると、そこには異様な光景が広がっていた。

「お怪我はありませんか? シーリー様」

 頭皮に張り付くような編み込みの三つ編みで頭を覆っている髪型の男がシーリーの正面に立ち、その横には同じ髪型の片手を上げた男が立っていた。

 片手を上げた男の手の周囲には、ふよふよと茶色い物体が空中に浮遊していた。その物体の近くでカップとソーサー、それに付属していたティスプーンがくるくると回っている。一目でそれが術によって受け止められ、その場で保留されているのが分かる。

「え……? あ、ええ……。ありがとうございます」

「お、お母様……、いえ、ティア様! お客様に対してなんてことをなさるんですか!」

 シーリーの盾になるようにして立っていた二人が軽く会釈をして左右に退けると、幼いトレスが拳を握りしめ、精一杯の勢いで自分の母親に食って掛かっている様子がはっきりと見ることが出来た。よく見れば、彼女の肩が小さく小刻みに震えている。

「お黙り! 関係ないことに口出しをしたその坊やが悪いのよ! どきなさい、命令よ!」

「嫌ですっ!」

 頭ごなしに怒鳴られ、トレスの小さな肩がビクリと震えるのが傍目にも分かる。しかし、彼女は引かない。何が彼女をそこまでかき立てたのかはシーリーには分からなかったが、彼女がこうして両親に反抗するのはこれが生まれてはじめてのことなのだろうということは想像が容易だった。

「どかないなら、どかせるまでよ!」

 ティアの口からぶつぶつと呪文が紡がれる。本当に自分の娘に対して術を使用するつもりらしい。

 シーリーは流石に焦って止めに入ろうと一歩踏み出しかけたが、ピッと横に出されたトレスの手によってそれを阻まれる。驚いてトレスを見遣ると、彼女は震えながらも毅然とした顔で、キッとティアを睨みつけていた。

「今まで育てて下さったご恩は決して忘れません。たとえそれがわたしの為を思ってのことではなかったとしても……、それでも、わたしは……っ」

 トレスの背後に位置するシーリーの場所からでははっきりと見ることは出来なかったが、その口調からトレスが泣いている、あるいは泣きそうな様子がはっきりと伝わって来る。シーリーは反射的に腕をトレスへと伸ばしていた。

「この恩知らずが! その生意気な口を閉じなさい!」

「トレス様……っ!」

「皆っ、止めて……ッ!」

 シーリーがトレスの身体をその胸へと抱き込むその瞬間、ティアの魔術が発動する。まばゆいばかりの光が彼女の指先から放たれる。しかし、その次の瞬間には、シーリーとトレスの視界は何者かによって遮られ、その行く末を見ることは適わなかった。

「例えあなたが血族と言えども、主人に危害を加えようとする者は強制的に排除させて頂いております」

「非常に遺憾ではありますが、あなたはご自分で禁を破られた」

 脅しかけるような声にハッと目を開けると、目の前には先ほどのデジャヴかと思うほど同じように男が二人、並んで立っていた。彼らは片手を上げ、その手で術を防ぐかのようにして重ねていた。そしてその間からチラリと除くのは、ティアを挟むようにして立っている、ミシャとブルートの姿。

「ミシャ、ブルート! いけません!」

 トレスのかわいらしい声が驚愕とともに発せられ、シーリーはまだ自分が彼女を抱きしめている状態にあることに気がつき、慌ててその手を離す。しかし彼女はそんなことにも気づかず、慌てた様子で前に並ぶ二人に駆け寄る。

「これは規則ですよ、トレス様。しかし、処罰をお決めになるのはあなただ」

 ミシャの整った顔に妖艶な笑みが浮かぶ。まるで事態を楽しむかのようなその笑顔は、見る者をぞっとさせる。トレスは今にも泣きそうな顔をしながらも、拳を握って顔を上げる。

「こ、殺してはなりません。確かにティア様はわたしに攻撃を加えようとしました。ですが……、それでも、ティア様はわたしのお母様なのです……! 傷つけてはなりません……!」

 黒髪のミシャと、金髪のブルートに挟まれているティアは何やらもの言いたげな顔をしていたが、その状況下で軽率な口をきけるような度胸はないらしく、大人しくその場に留まっている。両側にいる人物は人間にしか見えないが、彼女がどう足掻こうとも決して適わない上位の魔物であるということが最大の抑止力になっているのだろう。

「ではどういった処罰が良いのですか? 殺さずに? 何をしますか」

「それは……」

 まだ幼いトレスには処罰と言われても何があるのかさえ分からない。彼女はどうしていいのか分からず、言葉尻を窄めながら顔をうつむかせた。

「一族の敷地からの追放。もう二度と、決してトレス様に近づかないこと」

「え……」

 冷静さを取り戻して、というよりはトレスの行動に勇気付けられて、シーリーは一歩前へ踏み出した。顔はキリッとして前を向き、決して相手には服従しないという意志をはっきりと持った眼光でティアを睨みつける。

「それでも充分、甘い措置だと思います」

「でっ、でもそれだとトレスが可哀想だろう? 家族に会えなくなるんだぞっ?」

 今まで成り行きに流されっぱなしで黙ったままだったウノが慌てて口を挟む。魔物の言に反論することは出来なくとも、同じ人間になら反論できるようだ。シーリーは相手を蔑むような視線をウノに向ける。

「あなたたちのような者よりもよほど、ここにいる十三人の魔物の方が家族として立派ですよ」

「なっ! お、オレたちが魔物に劣るというのか? ふざけるのもいい加減にしろよ!」

「ウノ! ……黙りなさい」

 シーリーの言葉に逆上したウノが反論するが、すぐにグーダによって制されてしまう。ウノはグッと口をつぐみ、父の様子を伺う。力のある者に対して絶対的な服従心が生まれるのは、魔術に関わる者の大半に窺える性質だ。

 グーダはティアやウノほどに感情的になっている様子はなく、むしろ冷静に物事を判断している数少ない人間だ。彼はそっとため息をついてから、その視線を現当主、トレスへと向けた。その視線には先ほどまでの差別的な色は含まれていなかった。

「今回の件に関しては我々が悪かった。それは認めよう。追放処分に処すならそれも甘じんで受けよう。……ただし、それがお前の意見なら、だ。もし彼や彼らに左右されているのなら、服従しかねる。お前が、当主としての判断で下す命ならば、我々は大人しく従う」

 トレスが当主という肩書きでこういった決断に迫られたことは今までに一度もなかっただろう。魔物たちは当主として彼女を扱うが、それもあくまで当主になる子供として見ている。こうして当主として、責任ある立場の者としての判断は、今の彼女には経験がない。

 しかし、トレスは深く目を閉じ、先ほどの泣きそうな顔を払拭する。次に彼女が目を開いたとき、彼女の表情は毅然とし、まるで同一人物とは思えないほど立派な顔つきをしていた。

「……では、これは当主としての命令です」

 一族のことに関しては完璧に部外者であるシーリーは、後ろからトレスの姿を見つめながら、その幼い身体に一体どれだけの重圧がのしかかっているのだろうかと考える。彼も様々な期待を背負って育ってきた。しかし、トレスの全身にかかるプレッシャーに比べれば、そんなもの微々たるものだ。

 彼女はこれから家族を失い、こんなに幼い内から独りになってしまう。共に暮らす魔物は彼女の生活を助けてくれるだろうし、彼女の身に降り掛かる火花は振り払ってくれるだろう。しかし、彼女を支えてはくれない。彼女はこれから当主を交代するまで、ずっと独りでその重圧に耐えていかなければならない。

「グーダ、ティア、ウノの三名を追放処分に処します。わたしが当主である内は、この屋敷はもとより、敷地にも踏み入れてはなりません」

 トレスが言い終わるのを待ち、ミシャとブルートがほぼ同時に頷く。

「了解致しました、当主様」

 ただ決定を受け入れるだけの言葉が紡がれ、数秒と経たないうちに、その場から刑に処された三人の姿が消え失せる。残されたのは、使用済みの食器類と、食べかけの焼き菓子だけだ。

 呼吸を二回繰り返すほどの時間をおき、唐突にトレスの頭ががくりと下を向く。シーリーは驚いて彼女の前へと回り込む。

 彼女は両手で顔を覆い、泣いているかのように肩を震わせていた。

「トレス様……」

「ひ、独りになってしまいました……。お母様にも、お父様にも認められず……、わたしは一体何になればいいのでしょう……?」

 躊躇ったものの、シーリーは腕をトレスの身体に回すと、その細っこい身体をそっと抱きしめた。彼女はビクリと身体を震わせたものの、嫌がるでもなくそれを受け入れる。

「わたしが力になります。あなたが孤独を感じるとき、わたしはあなたの側にいましょう。あなたが寂しいと思うとき、わたしが慰めてさしあげましょう」

 純粋な気持ちで、シーリーは彼女を支えてあげたいと思った。小さい身体でその身体の何倍もある重圧に耐えなければならない幼い少女の負担を、少しでも自分が代わってあげられたら。昇進や名声などにはなんの縁もない、もしかしたらこれからの出世街道への支障となるかもしれなくとも、それでも構わないと思わせる。それだけの何かがそこにはあった。

「だから、泣かないで下さい。わたしがいます。わたしが……」

 抱きしめる腕の中で、トレスが頷く動作をするのが伝わってきた。何度も何度も繰り返すように動かされる頭。彼女の小さな身体を抱きしめながら、シーリーは彼女と同じように自分が泣いていることに気づかなかった。


〈了〉

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