冬の旅
北国に冬がやってきました。痛葉は、枯木の下でふるえ、森の湖からは凍てつくような水の音がひびいてきます。
灰色にくちた木の下で、一匹のユキウサギが悲しげに空を見つめました。冷たくきびしい北の冬に、ユキウサギはつかれはててしまったのです。
― あたたかなひざし、花のかおり ―
ユキウサギは、小さく祈るようにつぶやきました。するとその心に、夏の日に遊んだカモミール畑のりんごのような甘い香りが、ぱっとひろがりました。それから、ふわりとした暖かなものが空からまいおりてくるような気がしました。
― あれは、カモミールの白い花? ううん。あれは、白いつばさ ―
ユキウサギは、そっと目をとじました。ユキウサギの心から冬の寒さが、淡雪がとけるようにきえてゆきました。
湖では、白鳥たちが群れになって泳いでいました。白鳥たちは、厳寒のシベリアから餌場をもとめて、この国へわたってきたのです。
この白鳥たちの中にスグリという子どもの白鳥がいました。スグリは、りっぱな白いつばさをもっていましたが、大人の白鳥とくらべると、体は一まわり小さめでした。
ある日、スグリは仲間から一人はなれて、ふらりと空にとびたちました。仲間といっしょにいるのがたいくつでたまらなかったのです。
湖畔の上を横ぎろうとした時、スグリは、一本の木の下に白い毛糸玉のよなものを見つけました。
(あれは、白鳥じゃない、ほかの動物だな)
それは、一匹のユキウサギでした。
(眠っているのかな)
ユキウサギは丸くなって、病葉の上によこたえていました。
スグリは、不思議に思いました。彼の知っているユキウサギは、右に左にとびまわり、一時としてじっとしていませんでしたから。
スグリはユキウサギの白い体にそっとくちばしをよせてみました。すると、暖かなユキウサギのぬくもりが、くちばしに伝わってきました。
今度は、鼻づらをちょんとつついてみました。
けれども、ユキウサギは、くちもとをつんととがらせて、眠りつづけているのです。
(つまんないなぁ……おいしいものでも食べている夢をみてるのかな)
「ねえ、凍えてしまうったら!」
空は灰色になり、ほろほろと粉雪がふってきました。スグリは、自分の片方の羽をひらくと、ユキウサギの上にそっと羽をおろしました。
「きみは、たった一人でここにすんでるの? 仲間はいないの」
どれほど時がたったでしょう。スグリは、だんだん体じゅうがふるえてきました。暖かかったユキウサギの体がすこしも、暖かくありません。あんなにやわらかい毛糸玉のような肌ざわりが、今は、かたくこわばっているのです。
スグリは、はっと息をのみました。
コッコッコーン、コッコォーン
スグリは高くするどい鳴き声をあげました。胸をかきむしられるような悲しさが、心をひきさきました。
「あたたかかったユキウサギ……友だちになれなかったんだねぇ」
ユキウサギは、スグリの羽の中で眠ったまま冷たくなってゆきました。
やがて、灰色の空から、まっ白な大きなつばさが見えてきました。それは、スグリの声をきいてやってきた母鳥でした。
「スグリ、どうしたの? スグリ、早くいらっしゃい。みんなのところへゆきましょう」
スグリは、母鳥の姿にほっとして、空へ飛びたちました。それから、ためらうようにユキウサギに目をやりました。
「まあ、スグリ。お前は、あのユキウサギといっしょにいたの?」
母鳥はおどろいていいました。
「うん……でも、ユキウサギの心は、遠くへいってしまったんだ……もう二度と帰ってはこれないところへ」
母鳥は、なぐさめるようにほほえみました。
「帰ってきますよ。体は朽ちても、心は何度でも生まれかわるのだから」
「生まれかわって、またユキウサギはユキウサギになるの? また、一人ぼっちでくらすの?」
母鳥はやさしい瞳でいいました。
「何に生まれかわっても、それがどんなところでも、わたしたちはせいいっぱい生きなければならないわ」
やがて、粉雪は、大きなボタン雪にかわり、いくつもいくつも空からおちてきました。ボタン雪は、静かに湖畔に降り積もり、一夜のうちにあたり一面を白一色に染めてしまうでしょう。
「スグリ、わたしたちはまた、旅にでるの。もっと、食べ物の多いところへ渡ってゆくのよ」
スグリと母鳥は、湖の上でほかの白鳥たちと出会いました。
スグリたちは、小さな鳥が大きな鳥のおこす空気の流れにまきこまれないよう、かぎ型に隊をくみました。白鳥たちは、つぎの土地をめざし旅にでるのです。大きな仲間は、たえず、小さな仲間をかばってとびました。
スグリは、ユキウサギのなきがらの上に冷たいボタン雪がふりつもるようすを思い、涙をぽろりとながしました。
― あの凍てつく湖畔でたった一人のユキウサギ……なきがらになってしまったユキウサギの心は、もうさみしさを感じないのだろうか……それとも、あの心は、生まれかわってどこかへ旅をするのだろうか ―
スグリは、すこし不安になって横を飛んでゆく母鳥の方へ目をやりました。そこには、いつもとかわらぬやさしい瞳が、スグリを見守っていました。
― ぼくらの旅は、北の国をわたりつづける冬の旅だ。ぼくらは、春の声をきくと、北をめざす。きびしく時にはたいくつな旅。けれども、仲間と一緒にいることは、なんてしあわせなことだろう。一人でいることは、なんてさみしいのだろう ―
仲間のことを思う時、スグリは体の中があつくもえるような気がしました。
― ぼくは、今をせいいっぱい生きよう。仲間とともに。冬から冬へとわたりつづける白鳥の1羽として ―
北風にむかって飛びつづけるスグリの心は、冷たい北風とはうらはらに、春のひざしのように暖かでした。
 




