レジナルド、劇場にて議論する
「結局のところ、貴方にも捨て置けないことがあるということですね。」と公爵夫人は漠然と述べた。
「正しさや過ち。良い行いや道徳的な清らかさにだって、明確な線引きがありますものね。」
「ええ、その通りです。本国とロシア帝国の間に明確な線引きがあるのと同じことです。」とレジナルドが返す。
「ただ問題なのは、いつも同じところで線引きされるとは限らないことですね。」
レジナルドと公爵夫人は、互いに懐疑心を抱きつつ品定めをしあっていた。その心の内は学術的な興味で満たされている。レジナルドが思うに、公爵夫人はもっと多くのことを学ぶべきであった。特に、乗合馬車の最終便に乗り遅れるのを恐れて、カールトン・ホテルを飛び出すような真似は止めた方が良い。彼に言わせれば、不用意に飛び出してしまう女性というのは、グッドウッド競馬祭が始まる前に街を立ち、流行ってもいない病にかかって運悪く死んでしまうものなのだ。
一方、公爵夫人はレジナルドを場の空気の読めない男だと考えていた。
「もちろん」公爵夫人はやや好戦的な口調で続けた。
「絶え間ない変化や諸行無常、そういった類のことを信じましょうというのが最近の流行りですからね。それに、人類は単に原始的な猿人の改良版に過ぎないと言うではありませんか。……もちろん、貴方はこういった学説には賛成なのでしょう?」
「はっきり申し上げると、あれは早計ですね。僕の知るかぎり、ああいった考え方は完璧からは掛け離れたものだと、大抵の人は考えていますよ。」
「なら、あなたは本物の不信心者なのかしら?」
「いえいえ、そんなまさか。今の流行りは、不可知論者の心を持ち、ローマン・カトリック的な考え方をすることですからね。奥様だって、現代風の便利な生活を望みながらも、一方では中世風の美しさを求めているではありませんか。」
公爵夫人は鼻であしらうのをやめた。夫人は国教会を自分の家庭菜園で育ったもののように見做す類の人であり、教会に対して恩着せがましいほどの愛情を抱いていたからだ。
「でも、貴方にだって、少しくらい神聖視できるものがあるはずでしょう。たとえば、愛国心や大英帝国。それに帝国人としての義務。『血は水よりも濃い』というような、そういったことです。」
返答するまでの数分間、レジナルドは沈黙を続けていた。その間、舞台に立つリミニ卿の声だけが、暫し劇場内に木霊していた。
そして、レジナルドは答える。
「悲劇極まりないことに、残念ながら、人はどうしたって自分自身の意見を耳にすることはできないのです。それは、もちろん、僕も帝国の理念と責務は受け入れていますよ。つまり、どの大陸にいても、どこにいても同じことをすぐに考えるでしょう。いつか、季節が変わって、お暇でも出来たら、血を分けた兄弟愛の正しさとやらを教えて下さい。例えば、カナダに住むフランス系移民と温厚なヒンドゥー教徒の民、そしてヨークシャーマンの間にある色々なことについてですよ。」
「あらまあ、でも『椰子から松に至るまでを支配する』という言葉はご存知でしょう。」
希望に満ちた顔で公爵夫人はキプリングの詩を引用した。
「いいですか、私たちは皆、偉大なアングロサクソン帝国の一員であることを忘れてはなりませんよ。」
「その急速に伸びる帝国の手は、今まさにイェルサレムの郊外まで届かんとしています。そこは非常に過ごしやすい土地ですね。それは認めますよ。そこにいるとイェルサレムは本当に魅力的なものに映る。けれど、所詮は郊外に過ぎないのです。」
「そうね、文明の恩恵を世界中に広めようとしている一方で、自分は遠くで眺めているだけということかしら。慈善活動……貴方の目には、心地よい妄想に映るでしょうね。けれど、貧困や悲惨な生活、飢餓が存在することを知ればいつだって、そこが遠く離れていて手の届かないところにあったとしても、すぐにでも、惜しむことなく最大限の救援物資をかき集め、必要とする人に分け与えるべきでしょう。それも、可能な限りの世界の果てに至るまで、です。貴方だって、それを認めざる得ないでしょう。」
この上ない勝利の気持ちを抱きながら、公爵夫人は一息ついた。夫人はかつて自邸の応接間で客人たちにこの持論を披露したが、その時は非常に好評であった。
「不思議ですね。奥様は、冬の夜にテムズ川の河畔通りを歩いたことがおありですか?」とレジナルドは言う。
「馬鹿なこと仰らないで頂戴! どうして、そんなことを聞くのかしら?」
「いえ、質問ではありませんよ。ただ疑問に思っただけです。奥様の言う慈善活動も、それが実践される世界というのは全て競争に基づいています。それに、慈善活動とはいえ、お金を使うということは、当然ですが貸してくれる人が必要ではないですか。カラスの子供だって餌を求めているからこそ泣くのです。」
「だから、餌が与えられるのでしょう。」
「その通りです。ですが、それだって何かが与えられることを前提としているのです。」
「ああ、貴方、本当に腹立たしいわね。ニーチェの読みすぎで、道徳的なバランス感覚が崩れてしまっているわ。貴方には、何か行動の規範というものがあるのかしら。」
「僕にだって、しっかりとした決まりごとくらいはありますよ。快適な生活を送るために守っておるのです。たとえば、ヨーロッパに赴いた時は、松林の中やホテルの喫煙室で、害の無さそうな灰色の髭の見知らぬ男に出会ったとしても、軽率で無礼な態度はとらないようにしています。だって、そういう男の正体はスウェーデンの王様と相場が決まってますからね。」
「慎みというのは、貴方にとって恐ろしく退屈なものに違いないでしょうね。私の若い時分には、貴方くらいの年頃の子はみんな格好良くて無邪気だったものだけれど。」
「今や、僕たち若者はただ格好良いだけになってしまいました。今の時代に特化しなければいけませんからね。こんなとき思い出すのは、何かの聖典で読んだ人物のことです。その人は最も欲しいものは何か問われ、称号でも名誉でも爵位でもなく、ただ莫大な富だけを望みました。そのおかげで、その他の栄誉も手にすることが出来たのです。」
「どこの世界の聖典に、そんな人が出てくるというのかしら。」
「出てこないでしょうね。ですが、デブレット貴族名鑑を開けばきっと見つかりますよ。」
原著:「Reginald」(1904, Methuen & Co.) 所収「Reginald on the Theatre」
原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)
(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)
翻訳者:着地した鶏
底本:「Reginald」(Project Gutenberg) 所収「Reginald on the Theatre」
初訳公開:2019年11月3日
【翻訳者のあとがき】
時代背景や固有名詞について説明があった方が親切かなと思う点に関しては、訳者の分かる範囲で以下に註釈を記載しておきます。
(注意:読みやすさのため、本文中には註釈の番号は記載しておりませんので悪しからず)
1. 『ロシア帝国』(the Russian Empire)
この短編が発表された当時の英露関係について、簡単に説明しておこうと思う。19世紀から20世紀にかけて、大英帝国とロシア帝国の帝国主義路線は主としてアジア方面に向かっていた。ロシア帝国は不凍港を求め南下政策を執り、大英帝国は莫大な富を求めインドの植民地を統治する。そんな両国の利権が衝突するのは中央アジアのアフガニスタンであり、両国はアフガニスタンを巡って対立する。世に言うグレート・ゲームである。線引き云々の話は、中央アジアにおける大英帝国とロシア帝国の勢力圏の変遷のことだろう。
この英露の対立は、日露戦争(1904-1905)直前の日英同盟(1902)にも見て取れる。この対立がひとまず終結するのは、この短編より少し後の英露協商(1907)が締結してからのことである。
2. 『リミニ卿』(the Lord of Rimini)
イタリアの劇作家ガブリエーレ・ダンヌンツィオ(Gabriele D'Annunzio, 1863-1938)の戯曲「フランチェスカ・ダ・リミニ(Francesca da Rimini)」(1901)の登場人物。英訳は英国の詩人であり批評家でもあったアーサー・シモンズ(Arthor Symons, 1865-1945)によって1902に出版された。ただし、この戯曲の題材となった13世紀イタリアのフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの悲恋は、その他多くの藝術作品で取り上げられているので、本短編の「リミニ卿」は別の演劇の可能性もある。
3.『カナダに住むフランス系移民と温厚なヒンドゥー教徒の民、そしてヨークシャーマン』(a French Canadian and a mild Hindoo and a Yorkshireman)
いずれも20世紀初頭は大英帝国の国民になる。カナダは16世紀から18世紀にかけてフランスの植民地であったが、フレンチ・インディアン戦争(1755-1763)を経て英国の植民地となる。また、イギリスは19世紀にインドを植民地化している。ヨークシャーはイングランド北部の地方である。この台詞は、大英帝国としての誇りを語る公爵夫人に対する当てつけであろう。
4. 『椰子から松に至るまでを支配する』(dominion over palm and pine)
英国の詩人ラドヤード・キプリング(Joseph Rudyard Kipling, 1865-1936)の詩「退出讃美歌(Recessional)」(1897)の一節。詩集「五つの領邦(The Five Nations)」(1903)に収録されている。大英帝国が椰子の生える南方(南アフリカ、オセアニア)から松の生える北方まで広く植民地を統治していることを示している。
5. 『テムズ川の河畔通り』(the Embankment)
普通名詞の「embankment」は「堤防」の意味であるが、定冠詞がつくと「テムズ河畔通り(Thames Embankment)」となる。テムズ川の北岸にあるヴィクトリア堤防とチェルシー堤防に沿った通りのことである。この堤防は、かの悪名高きテムズ川の「大悪臭(Great Stink)」を解決するため、19世紀に川への下水流入を防ぐべく築かれたものである。テムズ川の北側にあるのは、貧困層と移民に溢れた人口過密地域、イーストエンド・オブ・ロンドンである。米国の作家ジャック・ロンドン(Jack London, 1876-1916)が貧民街の代名詞と呼べるイーストエンドを取材し、その様相を綴った「どん底の人びと(The People of the Abyss)」(1902)が世に出たのもこの短編と同じ頃であった。貧民街イーストエンドでは貧困や犯罪、病気が蔓延っており、そういった地域に面したテムズ河畔通りを冬の夜に歩くことは、公爵夫人のような上流階級の人間にとっては危険極まりないことは自明であろう。そして、公爵夫人が寄り付こうともしない真冬のイーストエンドには、慈善活動の手を差し伸べるべき人びとがどれほどいるのかも、また自明である。レジナルドの疑問は公爵夫人に対する痛烈な皮肉なのであった。
6. 『デブレット貴族名鑑』(Debrett)
デブレット(Debrett’s)はロンドンの歴史ある出版社で、礼儀作法に関する書物ではその道の権威として知られる。「デブレット貴族名鑑(Debrett's Peerage & Baronetage)」は、はじめ「ジョン・デブレットの新しい貴族名鑑(John Debrett’s New Peerage)」として1769年に出版され、それから更新を繰り返すことで250年近く続いている紳士録である。