〈幕間〉子爵の恋と愛と枷1
キンバリー公爵は代が長く続かない。
男子が生まれなかったり短命だったりと理由は様々であるが、1番の理由は王家の裏の仕事を請け負っている点であろう。時には身を挺して強靱から王を守り、脱出が必要な場合は身代わりを引き受けていた。
創立初期から変わらぬ王家より課せられた宿命に、キンバリー公は何度も身を散らしてきた。
長く続かないため王家から分け与えられる領地は最小限で、それに付随して貰える爵位は『伯』と『男』とされた。しかし常と違い、現代のキンバリー公の襲名爵位が『伯』ではなく『子』になったのは、公爵の子には王位継承権が付かないことを内外に示すためと言われている。
***
キトリーの父であるハンフリー子爵は、視察で訪れたノースエンド小国で恋をした。
相手は王宮の夜会に訪れていた亜麻色の髪の令嬢であった。直ぐに意気投合し、帰り際互いに名乗り合って初めて子爵は彼女が姫君であることに気がついた。ノースエンド小国はセントラル国と違い王族は一夫多妻制である。彼女は第2妃の娘で、王位継承権が無いため王族専用の壇上には上がらなかったらしい。
王位継承権が無いもの同士、毒にも薬にもならない関係の中好き合う者が見つかったことに2人は喜んだ。
宿泊している施設に戻ると子爵は早速父親に「彼女と縁談を進めたい」と話した。しかし、子爵が思っていた以上にキンバリー公から反対される。
「妃殿下の出身がどこだか忘れたのか?! 公国だぞ! そして私の妻……お前の母は王女。公女と王女で一時期王宮内は揉めたのだぞ」
「……ですが私には王位継承権はありません」
「揉めることがないよう消したのだ。なのにここでお前が王女を貰ってどうする。王太子殿下の婚約者はファーイースト公国の公女。これは東の陸路獲得のための政略で動かせない案件なのだぞ?!」
「……ここは王国を名乗っていますが規模は公国と同じです!」
「何を言う……! 独立して国をずっと率いていたーーーその歴史に意味があるのだ! 見誤るな!!」
子爵はまさかここまで父が王家に遠慮しているとは思っていなかった。陛下とキンバリー公は年が近い。昔から仲が良く、有事の際は何かと王宮に呼ばれている間柄だ。
(揉める要素がどこにあるーーー?)
「王太子殿下は国のために婚姻するのです。ここに私の妻の出自を問うのはおかしいでしょう」
「姫の母は第2妃だが、俗に言う後妻のようなものだ。王妃としての実権は第2妃が持っている」
「……王太子殿下達は?」
「最初の妃の子達だな」
「なら……」
「関係がないわけないだろう。幼い彼らを育てたのは第2妃だ」
「……」
「兄弟仲は良いと思え」
これは政略結婚でなくとも、自国にとって良すぎる縁談になるのである。更にファーイースト公国では陸路しか得られないが、ノースエンド小国では陸路の他に航路も話がされるであろう。
子爵は危険な任務をこなす度に「自分は結婚するべきではない」と思っていた。いつ死ぬか分からない身で誰かを幸せにするなど出来るはずがないとも。更に従兄弟の王子達が政略的な婚約を結ぶのを見て、愛だの恋だのは自分達の世界には必要ないのだと諦めていた。
―――市井の夫婦の仲睦まじい様子を、どこか羨ましいと感じながら。
子爵は手の平をギュッと握った。絞り出すように声を出す。
「……私は今まで国に尽くしてきました。それはこれからも変わりません………それでも、許されないことなのですか……?」
「……」
「どこか刹那的に生きてきた私が心から愛しいと……共に居たいと思った人と出会えたのです。それを祝福してはくれないのですか……??」
祈るように子爵が呟いた言葉は、公爵の首を縦に振らせることは出来なかった。ならばと、子爵は違う側面から公爵に揺すぶりをかける。
「この婚姻は国に利があるのですよ? 外交官として進めない手はありませんよね」
「むぅ……それは……」
公爵の頭の中は今、2つの縁談によってもたらされる国の経済効果と利益が数字ではじき出されていることだろう。
そして子爵はこの恋を叶えるために更に譲歩した。
『これから先、どんな任務にも文句を言わずに従う』とーーー
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国に戻った後、子爵は多忙を極めた。通常の勤務をしながら密命で地方に馬で駆け、かたや王太子の公務に付き従う回数も増えた。縁談については王太子が最後まで反対したため思うように進まず、歯がゆい日々が続く。
国王からの許しがでてやっと子爵はノースエンドの姫をセントラル国に招き入れることが出来た。だが苦難はまだこれからであった。
『王太子よりも早く子を成してはいけない』
『生まれた子の躾は公爵夫人に任せる』
『子どもの婚姻は王家が決める』
沢山の枷を子爵は付けられた。
幸か不幸か、姫君は自分のせいで夫が危険な任務に就かされていると心を痛めーーーまたは風土が合わないのかーーーなかなか身籠もることは無かった。
そして王太子は、婚姻は早かったが子宝には長く恵まれず、その分臣籍降下した弟達の方からよく吉報が届くのであった。
……続きます。




