〈幕間〉取り巻き令嬢の事情
読まなくても大丈夫なモブ令嬢の事情です。
『―――王女という肩書きは、貴女が思っている以上に価値あるものよ』
スーレーンが放った一言は、姫には慰めになったかも知れないが、アーリア・マガダにとっては冷たく重い鉄の塊が胸の中に沈むかの如く、ひどく気分を害するものだった。
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マガダ伯爵領はサウス国の一番南に位置している。必然的に砂漠の民と呼ばれる彼らとは親交が深い。それもそのはずで、大昔はオアシス一帯をマガダ王国が支配―――というよりは管理しーーー治めていたからだ。その経緯もあって今も尚、オアシスの彼らはマガダ伯爵家に好意的である。
マガダ王国がサウス国の支配下に置かれることになった所以は、軍事力の有無と宗教の違いであった。サウス国よりも北に位置する国々は一神教だが、マガダ王国は多神教である。突然の条約破棄に加えて邪教認定と宣戦布告。オアシスを無事に行き来する程度の用心棒しか存在しないマガダ王国は為すすべもなく侵略された。国境付近の村は焼き尽くされ、見せしめとして民はいたずらに殺された。
時の王はサウス国に命を差し出した。
『自分はどうなっても構わないから、民には手を出さないで欲しい』と。
こうしてマガダ王国は世界から消え、サウス国の1伯爵家と砂漠の民とに分かたれた。マガダ王国の民が復讐に立ち上がらなかったのには訳がある。マガダ王国は王をなくしたが、信仰の指導者である『アゼル』を失わなかったのだ。本来なら『アゼル』も更迭されるはずなのだろうが、民の暴徒化やゲリラを起こされる危険を孕むよりかは懐柔してしまう方が統治としては楽なのであった。
サウス国がマガダ王国を侵略した理由は諸説有る。数年後にサウス国はイースト=ウェスト帝国にある大聖堂から枢機卿枠を得るので、邪教徒の制圧を手柄にしたことが伺える。そうしてサウス国は立派な修道院を建立するに至る。それは難民と化した邪教徒の改宗を推し進めようとする大聖堂の思惑通りなのだった。
―――この世は弱肉強食だ。
勝った国が世界の正史を紡ぐことが出来、敗者はただひたすら負の歴史を背負わされる。
マガダ伯爵家は残された『アゼル』の血筋である。マガダ王家とは昔に血筋を分かたれているが、始祖の末裔であることは変わらない。マガダ伯爵家と砂漠の民は口述で歴史を語り継ぎ、いつの日か1つの国に戻ることを宿願としている。
そして現在―――アーリア・マガダは伯爵家令嬢として王女達の友人という地位を得たのだった。
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王女クシャーナが隣国のアーデン王子と婚約し、15歳になる年に留学した。その1月後にマガダ伯爵家にサウス国王から勅命が下った。
内容は『王女の学友としてセントラル国への留学を許可する』ものだった。
隣国の王子との婚約は、砂漠地帯に広がる植物の共同薬効研究が含まれている。これの仲介役をしているのは勿論マガダ伯爵家である。昔から懇意にしている占い師や祈祷師―――の弟子達が主に研究員として研究施設に収集されている。セントラルにも研究施設が有るので、今回は彼らの慰問も含めてマガダ伯爵家に白羽の矢が立った。
この薬効研究についてだが、上手くいけば多くの利益を生み出す事が期待されている。
植物の多くは『栽培限界地点』というものが有る。代表的なのは茶葉であろう。サウス国では茶葉の栽培が出来るが、山脈を越えた先のセントラルでは極南部でしか収穫出来ない。なら尚更、熱帯植物の栽培範囲は狭まる。既にマガダ領内では植物の量産施設が作られ、各研究施設に運ばれている。この植物の専売や特許技術が上手くいけば、砂漠の民達に多くの富をもたらすことが出来るはずだ。
セントラルがマガダに友好的なのには訳がある。
セントラル国は250年ほど前に起きた『宗教改革』に意義を申し立てた国なのだ。それまで聖職者は婚姻をすることが出来たが、度重なる賄賂や癒着した婚姻、性の乱れにより『神の教えの冒涜論』が大聖堂内で巻き起こり、時の教皇は失墜。この騒動の後から聖職者は婚姻を禁じられるのだがーーーこれに反対したのがセントラル国の大司教と枢機卿であった。彼らは「愛を知らずして愛を語ることは出来ない」と主張し、大聖堂から独立を宣言する。それからセントラルでは『教会』を『神殿』、『聖職者』は『神官』、そして頂点に立つ者を『神官長』と呼称を改め独自の路線で進むこととなる。
セントラル国は大聖堂との一線を画するために数個の邪教認定を解除した。それにより、大聖堂から弾圧され潜んで暮らしていた多神教徒らはセントラルに惜しみない協力の確約を誓った。セントラルが帝国に侵略されないのは、各地に散らばる情報屋が逃げ隠れ上手で優秀だからだ。
この宗教改革からイースト=ウェスト帝国は内紛と混乱により内部分裂し、昨今の大小様々な公国に分かれることになったのだがーーーそれは今は割愛しよう。
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アーリアは、クシャーナ姫とは学友として表向き仲良くさせて貰っている。だからこそ今回のセントラルとの取引でも国王に特に疑われずに留学が決まったと言える。
しかし、アーリアは時たま姫の無知さに辟易することがある。
『アーリアの家なんて、古い時代は王国だったわけじゃない?』
パルティア王国が300年前に吸収されたことは知っていて、400年前に存在したマガダ王国は姫にとっては古い時代のようだ。
アーリアは苛立ちを隠しながらとりとめなく言葉を返した。
しばらくすると姫の婚約者であるアーデン王子と側近のスミスがやって来て、アーリア達に話しかけてきた。スーレーン達は姫との友好関係を主に気にして不敬を承知で際どいところを質問する。それは、パルティア領がセントラルと海岸線を分けた隣に有るからだ。有事の際に1番に衝突するのはパルティアである。2人の関係が友好でなくては困るのは、彼女達も同じだ。
(……でもきっと、姫はその事には気づいていないでしょうね)
いつもクシャーナ姫は知りたいものだけしか知ろうとしない。勉強もマナーもそう。気ままに、ある一定の条件が出来ればそれで良い。
『女が勉強する必要はないってお祖父様が言っているから、それで良いのよ』
アーリアは横柄な態度の姫が好きではなかった。それは今でも変わらない。しかしーーー
「ね? アーデン様は話に隙がないでしょう? ついて行くためには知識が必要でしょう? だから勉強しないといけないのよ」
何も知らなくて良いと言われて育った姫は今、婚約者から『知らないことは罪だ』とでも言われたのか、追い詰められたように勉強に邁進している。自ら考えて行動したことのない姫には酷なことだろう。だからこそ、今の姫の言動は曖昧で痛ましい。優しいカーレーンは敢えてそれを指摘する。
「貴女、やっぱり変よ」
―――『昔と比べて』なのか、『今の姿の事』なのか、アーリアは理解したくなかった。
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アーリアがセントラルに留学して驚いたことは、生徒達の学習水準が高いという点である。サウス国周囲についての知識は他の令嬢よりあると思っていたが、セントラルを中心とした知識をアーリアは持ち合わせていなかった。毎月行われる学習テストでの順位にアーリアは悔しさを覚えた。
(……30位以内にも入ってない)
姫でさえーーーと言ってはいけないのだがーーー30位以内に入っているのにと思うと、アーリアは悔しくて堪らなかった。アーリアが得意としているのは各国の情勢の動きを見ることなのだが、これでは正しく判断する知略に欠けてしまう。
アーリアは1番に名前が挙がっている女子に目をつけた。
(……キトリー・ハンフリー)
世話になっているキンバリー公爵の孫娘だ。
彼女と初めて会ったとき、アーリアはクシャーナ姫と同じ亜麻色の髪によく似た立ち姿に驚いた。しかし共通点はそれ位で、背の高さや目の色の濃さ、マナーや社交術は明らかにハンフリー嬢が秀でていた。
(……このような方がいるのに、どうしてサウスと婚約など…)
更に、彼女の父親は公爵の嫡男なのに名乗る爵位は子爵。その事が不思議で堪らずアーリアは貴族年鑑を図書室で開いた。キンバリー公爵は王弟に下賜される爵位らしく、現当主は7回目。そして、公爵の嫡男に嫁いだ令嬢は『ノースエンド小国』の末の王女だった。
(……王族同士の婚姻だけど)
結局、爵位の格上げがない理由をアーリアは調べられなかった。どこの家にも複雑な事情が有るのだろうと思い、これ以上の詮索はしなかった。
キトリー・ハンフリーほど王の妃に相応しい者はいないだろうとアーリアは思ったが、
(……彼女は、『王女』ではない)
その微妙な立場の彼女に興味が湧いたアーリアは、勉強を教えて欲しいという名目でキトリー・ハンフリーに近づいたのだった。
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キトリーとの勉強はキンバリー邸で行われた。アーリアは本を読んで知識を詰め込むというよりは、キトリーと話をしながら知識を擦り合わせるという方法で勉強を行った。1年時はウエストからの留学生もいたので、より一層知識を深めることが出来た。
キトリーは孤児院や修道院の訪問にアーリアを随行させてくれた。アーリアはそのお陰で随分知見が広がった。その他にもアーリアは研究所にも顔を出し、臨床試験や検証結果を教えて貰うことで、足らない備品やよく使用する薬草を逐一知り、早めに領地に報告することが出来た。現場から経済の流れなどを実感し、着々と潤沢な資金は集まっていった。
そうして学んだことを活かして臨んだ学力テストでアーリアは徐々に順位を上げ、2年の終わりにはクシャーナ姫を押さえて10番と成績を上げた。掲示板の前で表情に出ないように喜びを噛みしめていたのもつかの間。アーリアはスミスに声をかけられた。




