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〈幕間〉弟王子は気づかない

キンバリー邸に訪れていたノースの大使との顔合わせも終わり、ディオルは帰りの途に着こうとしていた。玄関口に向かうと甘い芳香がほのかに漂う。ディオルが視線を香りのする方に向けると、今日持参した花束が生けられていた。ディオルの様子に気づいた亜麻色の髪の幼馴染みが「あぁ」と言って口を開く。


「見事な花でしたから、皆さんが見られるように玄関口に置かせて頂きました」


幼馴染みがふわりと笑っているのに、ディオルは何故か胸にチクリと痛みを覚えた。それを出さないようにいつも通り笑う。


「そうだね、沢山の方に見てもらえたほうが花も冥利に尽きるだろうね」

「えぇ、本当に。こんなに沢山頂きまして、本当にありがとうございました」

「キトリーは、バラが好きだったものね」


ディオルの突然の切り返しに、キトリーは首を傾げながら驚く。


「そうでしたか…?」

「うん。バラの季節は1輪だけ兄上からもらって、とっても大事そうに持ってた」


懐かしいなとディオルが言うと、困ったように彼女は笑った。


「良く覚えておいでですね。私はとうに忘れてしまいました」

「……そう?」

「えぇ」


哀愁も何も感じさせないキトリーの様子をまじまじとディオルは見つめた。キトリーが何も言わずにニコリと微笑むと、公爵家の執事が玄関の戸に手をかけた。


「さぁ、暗くなる前にお帰りにならなくては。ただでさえ時間を超過してしまいましたから、城の皆さんが心配していますわ」

「もう14歳になるんだよ? 同い年の連中なんか、外泊なんてしょっちゅうしてるって…」

「それは護衛と侍従の言葉でしょう? 仕事とプライベートを一緒にしてはいけませんよ」


ディオルはキトリーがたまに見せる『お姉さん』気質が出たことに思わずニヤけた。


「分かったよ、『キト姉様』?」


昔の呼び方で名前を呼ぶと、キトリーは目を丸くした後に苦笑した。ディオルはしてやったと思いながら帰りの言葉を述べる。


「では、また来るね」

「えぇ、また」


笑顔で手を振るキトリーの顔を、名残惜しそうに何度も振り返りながらディオルは馬車に乗った。


そうしてディオルはキンバリー邸を後にしたのだった。




***




馬車の扉が閉まり、ある程度進んだところでディオルは激しく狼狽ろうばいした。


(しくじった! 盛大にしくじった!!)


帰り際の花の様子を見て、ディオルは今回の敗因を振り返った。


(部屋に飾って欲しかったのに! 花束になんてするんじゃ無かった!!)


兄アーデンの鋭い瞳で射貫かれて、ディオルは内心ビクビクしながらバラの花束をキトリーに渡した。しかし双方の思惑などどこ吹く風で、キトリーは素直に花を受け取った。ディオルは安堵した。そして直ぐに彼女は花束を侍女に渡し、侍女の次はメイドに渡された。


(あの時点で嫌な予感はしたんだ……! あぁ! もう!!)


案の定、ディオルが持ってきた花束はエントランスに飾られてしまった。


(1輪だと兄上と同じになるかと思って止めたのに……)


1輪なら貰ってくれるかも知れないとディオルは思ったが、昔の兄のやり方と同じになってしまうと思い出しそれは却下した。だからといって2~3輪では味気ない。それならばと思って多数包んで貰ったのだが、


(こうなるよね……)


彼女の常識的配慮能力にディオルは屈服した。それと同時に自分の至らなさを痛感することになった。


「少しでも僕に気があるのなら、あの花は部屋に飾られたんだろうな……」


憂鬱な気分を抱えたまま、ディオルは窓から見えた月を見ながら1人ごちる。


―――だって、キトリーは言っていたもの


『ま、毎回よこさなくても良いのに…! 部屋がバラだらけになっちゃうわ!!』


まだ3人で遊ぶことが許されていたあの頃。アーデンはバラが咲く季節になると、キトリーが登城する度に1輪のバラを渡していた。どうしてそんなことをするのか不思議に思い、ディオルがアーデンに尋ねると、


「キトリーはバラが好きだから」


と言っていた。ディオルはその情景を今でもよく思い出せる。


(兄上から貰った1輪のバラを、ずっと手に持って歩いて……しなびてしまったんだよなぁ)


しなびたバラを見てキトリーはショックを受けて俯いた。見かねたアーデンが『新しいのをあげるよ?』と申し出てくれたのだが彼女は断った。


『駄目よ! これが良いの……』

『う~ん。なら、お水に漬けてあげようか』

『うん。そうする。ごめんなさい……』


水につけたことによって生き返ったバラを、キトリーは大事そうに抱えて帰って行った。美しい微笑みをその場に残して。


ディオルはアーデンがどうして花をあげるのか分かった。彼女の眩しい笑顔を見るために、それは必要だったのだ。それが分かったディオルは、いつか自分も大きくなったら、この可愛い人に花を贈りたいと思っていた。


(だからあの時もーーー)




***




「少し、寄っても良いですか?」


ウェスト国の使節団の報告会が終わった後、キトリーはディオルと共に花園(ガーデン)にやって来た。


「こんな所にもバラがあるなんて知らなかったな」

「ウフフ……前にここの庭師に教えてもらったんです」

「そうなの?」


ガゼボからは遠く、花園の外れに大きくて淡いピンク色のバラは咲いていた。花に顔を寄せ匂いをかぐキトリーを見て、


(そう言えばキトリーはバラが好きだって言っていたっけ)


とディオルは思い出した。正確にはキトリーではなくアーデンが言っていたのだが、幼かったディオルの中ではいつの間にかすり替わっていた。そして、兄の代わりに自分が渡そうと思った。


「待ってて。庭師を呼んで、早咲きを摘んでもらうおう」

「え?」

「直ぐに戻るから!」


そう言って護衛と共に走り出し、ディオルが庭師を連れて戻ると、先ほどの場所に彼女はいなかった。


(違うところを散策しているのかな?)


とディオルはあまり気に留めないまま、庭師がバラを切り取るのを待った。渡された早咲きの3輪だけを持って、ディオルは花園(ガーデン)の中を歩き回る。残した護衛の姿が見つかれば直ぐだと思ったのに、それらしき人影が見つからない。


「どこまで行ったのかな~?」


適当に探し歩いているうちに、ディオルはもしかしたら昔よく使った東屋にいるのではと思った。何となくそちらに足を運びながらキトリーの名前を呼ぶ。案の定、東屋の近くには衛兵達がいた。よく見れば兄の近衛兵もいるようだ。


(良かった。兄上と一緒だったんだ)


亜麻色の髪と旅から戻って来たばかりの軽装姿が目に入り、ディオルは一目散に駆け出した。


「も~、いなくなってたからビックリしたよ~」


思った以上に早く駆けてしまったようで、息が少し弾んだ。ディオルは呑気に「まぁいいや」と呟いた。こうやって3人で話すのは久しぶりだと思うと嬉しかったのだ。笑顔で彼女にバラを差し出す。


「ほら、初摘みのバラ、少しだけ貰ってーーーえ? あれ?」


亜麻色の髪は同じなのに、軽装の白のドレスはよく見ると全く違う。瞳の色が、海のような青ではなくて、アイスブルー。


(似ているけど全然違う。別人だ……)


大人達の身勝手にディオルは身震いした。


―――兄の婚約者は、キトリーを彷彿させる容姿では無いか。


「あ、兄上……?」


困惑しながらディオルはアーデンの方を向いた。アーデンは視線で『ディオルも気づいたか』と示し、短くため息を付く。その後は社交辞令に乗っ取って挨拶をしあった。よく考えると何とも間抜けな初対面だろうか。ディオルは己の不甲斐なさに赤面した後、すぐに血の気が引いた。


(キトリーはこの光景を見てしまったんだ)


「あ、どうしましょう。きっと帰ってしまったかも……」


とディオルは言いながらも、彼女は帰ってしまったとハッキリ感じていた。ズキズキと心が痛みながらも兄とその婚約者からの質問に難なく答えていく。心は乱されたままだった。


(冷静なキトリーが、この光景を見て帰ってしまったのは何故?)


普段の彼女の性格を思えば、華麗に流してディオルのことを待っていてくれたに違いない。


(なのに何故?)


兄の姿をチラチラ見ながらディオルは思った。


(分かりきっていることじゃないか。キトリーは否定しているけれど、心の奥底にある気持ちが誰に向いているのかなんて明白だ)


でもまさか……


(僕を待たないで帰ってしまうほどのものだなんて……)


しばらく辺りは沈黙していたが、ディオルは全く気づかなかった。すっかり気を抜いて項垂れていると、アーデンから「いらないのなら私にくれないか?」と言われて慌てる。


(え? なんで? 何に使うの??)


分からないまま花を差し出し、のども乾いていたので促されるまま席に座る。兄の行動の意味が分からなくて焦ったディオルは、いつも以上に余計なことをべらべらとしゃべってしまった。その内に兄が足をグリグリと踏んできた。


(あ、やばい。出しゃばりすぎた)


と思いながらも口は止まらず、先ほど聞いたウェストの話を始めた。この話題を言ったら退席しようと思ったディオルが「お土産をもらった」と言った瞬間、思い切り足を踏まれる。ディオルは言い過ぎたと思いながら、兄に遠回しにキトリーとのやり取りを自慢できたので満足した。グビッと紅茶を飲み干し「僕! もう行きますね!!」と言ってその場を離れた。


ディオルはそのまま走って馬車止めに行った。衛兵から話を聞くと、ハンフリー嬢の帰った姿を目視したと言われる。


(分かってたけど。そう思ってたけど)


足取りの重いままディオルは自室へ赴いた。


(キトリーの笑顔が見たかったのに、悲しい気持ちで帰らせてしまったな……)


本人の気持ちなど本当に分かるわけが無いと分かっていても、ディオルは自分の感じた痛みを少なくともキトリーも感じただろうと思った。そしてふと思う。


―――もし兄上なら、迷わず走って追いかけていたはずだろう。


ふいによぎった最善の行動に対してディオルは、自分が彼女にした失態がどんなものなのか分かり青ざめた。


アーデンの場合、キトリーの姿が見えなかった時点で慌てるだろう。護衛に指示を出してくまなく探す。その光景がディオルの頭の中でありありと浮かんだ。


「あぁ! もう!」


いつも大人しいディオルが突然大きな声を出したので側付き達は驚いたのだが、本人は知るよしも無い。


(何やってるんだ! 僕は!)


ディオルは『負けるはずが無いのに負けそうだ』と悔しく思うのであった。




***




(あの時の失敗は繰り返さないと決めたのに! 僕はまた盛大にしくじっている…!)


その後ディオルは、あの光景を思い出させるのも悪いと思ってバラを贈るのはやめた。代わりに濃い青―――バラには無い色―――のルッキリルを中心とした花束を贈った。青はキトリーの瞳の色である。丁度良いとディオルは思ったのだ。



(あの時のような眩しい笑顔が見たいのに、喜んで欲しいのにーーーその顔を最後に見たのは、いつだったろう?)


もうすぐディオルは14歳になる。キトリーとアーデンが疎遠になってから6年経つ。短くない歳月の営みを思い出してみると、ディオルは()()()()だと気づく。眉間にシワを寄せて、ぶっきらぼうに呟いた。


「でも、どうしようも無いじゃないか。兄上はこの国を背負う立場にいるんだ。だから、私情は捨てないと……」


そもそも始まりがおかしいのだ。キトリーがアーデンの遊び相手に選ばれていながら、ディオルの婚約者候補筆頭と言うのが。


これは幼いディオルが望んで選んだ訳では無かった。むしろ幼かったディオルは、キトリーは自分の姉のようなものだと思っていたし、そうなるのだと思っていた。そうでは無いと知ったのは、アーデンが隣の国の王女と婚約をしたときであった。その時母――王太子妃から言われた事実はディオルを驚愕させ、意識を180度変えなくてはいけないものだった。


キトリーには姉のような思慕を抱いていたのだ。将来結婚すると言われてもしっくりこなかった。それは今もディルの心の奥底で引っかかってる。それを補うためにはーーー


「何が足らないんだろう……?」


兄のように一心にキトリーを愛したいと思うが、なかなか上手くいかない。ディオルは兄に勝ちたいなんて思ったことはない。幼少の頃は多少有ったかも知れないが、兄と自分は違う人間で、同じようには成れないし、アーデンだってディオルのようには成れない。それをディオルは彼の弟としてよく理解している。しかし、


(もしかして愛というのは身分問わず、誰だって同じ舞台に立って勝たないといけない??)


そうなると、同じ舞台に立てない兄は好敵手どころか登らねばならない高い壁ではなかろうか。


「それでも僕は、勝たないといけないし超えないといけない」


―――誰のために?


頭に浮かんでくる疑問をディオルは素直に考える。


「『皆』の為に……」


―――皆って、誰?


「僕はーーー」


(その皆の中に『兄上』と『キトリー』が入っていないと分かっている)


ディオルは目をギュッと閉じて、月から思い切り顔をそらした。


(駄目だ駄目だ! それは考えちゃ駄目だ!)


この与えられた世界の中で上手く生きていかなくてはいけないのが王族の定めである。


(兄上のようには行かないかも知れないけど、いつかきっと、彼女の眩しい笑顔を取り戻してみせる。まずは自分に出来る精一杯のことをしよう。焦らなくていい。少しずつやるんだ。僕なら出来る!)


王城に戻るまでの間に気持ちの整理が付いたディオルは、この先今まで以上に自分の役割を全うしていく。周りの期待にこたえ成果を出していくことに、不思議と苦痛や重荷を感じることはなかった。ディオルはありのままを楽しめる、良く出来た性格だったのだ。


ディオルが明るく天真爛漫に振る舞うことで、キトリーとのやり取りも昔のように笑いが絶えなくなっていった。それだけでもディオルにとっては僥倖だった。


しかし、ディオルは気づいていなかった。


自分がキトリーにする行動が『兄ならばこうするだろう』というもとで成り立っていることを。


『弟』の位置に甘んじていて、無意識に()()を超えないようにしていることを。


彼がその事に気づくのは、ずっと、まだ先なのであったーーー






rukkilillルッキリル:エストニア語で『ヤグルマギク』のこと。古代エジプト、少年王ツタンカーメンの墓に添えられていたのが有名。妻アンケセナーメンが棺の上に添えたのかは不明だが、青い色の花は魔除けの意味があった。化粧品に入っていたりする。ハーブティーとしても飲める。現代ではアールグレイスペシャル、北欧紅茶のセーデルブレンド、トワイニング社のレディグレイ等に入っている。

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