僕の大好きな女の子
アーデン殿下の過去回想
僕の大好きな女の子は、何故かいつも怒っている。
「もう! また蝶ネクタイが曲がってる!」
そう言って当たり前のように手を伸ばし、僕の蝶ネクタイを整えるのは子爵令嬢のキトリー・ハンフリー。僕のお祖父様(国王陛下)の弟の公爵様の孫娘。つまり僕の『はとこ』にあたる。この頃彼女が王宮に何度も訪れていたのは、王宮で働いている公爵様に連れてこられていたからだ。まぁ、要するに、僕の遊び相手なのだが……。
「弟のディオル様は身だしなみをしっかり整えているのに、どうしてアーデン様はこうなの?」
「勉強中に、ついつい触ってしまうからかな?」
「触るなとは言いませんけれど! だったら直せば良いではないですか!」
もう、馬鹿なの? と王族に対して不敬極まりない言葉をキトリーは言うが、僕は全く気にならなかった。幼かったからと言う理由もあるが、王子の自分に対してこうも意見をズバズバ言う彼女を、とても面白いと思っていたのだ。
「よし、これでいいわね」
と言いながら、彼女はさりげなく僕の前髪もサッと直す。ツンケンした言葉とは裏腹な態度に、僕は思わず微笑んでしまう。
「いつもありがとう、キトリー」
「全く! 私がいなかったらどうするのです?!」
(キトリーがいなかったら? そんなの考えたこともないな)
僕は思ったことをそのまま口にした。
「それは困るな」
「何を悠長に。王子はもっと、王族としての自覚を持つべきです! いつもしゃんとしていなくては! しゃんと!!」
「しゃんと?」
「しっかりしろ! って事ですわ」
「へぇ、そうなんだぁ」
僕はキトリーのつり上がった目を見つめながら、曖昧に、
「もうちょっと大人になったらしゃんとするよ。しゃんとね」
と返した。キトリーは「生意気ですわ!」とツンツンしながらも、今日も一緒に花園で隠れんぼをしてくれた。
キトリーは、絶対虫が少ない場所(建物)に隠れているから直ぐに居場所が分かるのだが、僕はなかなか見つけられない振りをして、そうっと彼女の背後に回る。「見つけた!」と突然声をかけると彼女は必ずこう言うのだ。
「もう! ビックリさせないでよ!」
*****
「どこ歩いてきたの!? 髪の毛ぐしゃぐしゃじゃない!」
そう言って彼女は、僕の髪の毛を整えていく。
「何でこんなに葉っぱが付いているの?! どこをどうやったらこうなるの??」
今日も今日とて彼女は怒っている。
「これはね、その…」
僕が言いよどんでいると「にゃ~ん」と可愛らしい声が聞こえた。足の短いディオルがようやく追いついたようだ。
「キト姉様! 怒らないであげて。兄上は猫を助けてくれたの」
「……猫?」
「あぁ、木に登って降りられなくなっていたのを助けたんだ」
「どうやって?」
「登って」
あっけらかんと僕が答えると、彼女は目を見開いて驚いた後、みるみる内に顔を真っ赤にさせた。
(泣くのかな?)
心配してくれたのかと思ったが、そうじゃなかった。
「馬鹿! この大馬鹿者!!」
怒鳴られた。
「あなたはこの国の王子様なのよ?! この国の未来を、全国民の命を預かるものなのよ!!」
(正確には次の国王は父なのだが)
と内心思ったが、気が高ぶっている彼女の前で言うのは控えた。
「それなのに……それなのに……1匹の猫ごとき……」
「助けなければ良かったというの?」
「違うわよ! そうは言ってないでしょ!!」
じゃあ一体何なんだ。そう思ったら、
「あなたが助ける必要はないの。あなたは、誰かを呼べば良かったの」
「……あ」
(本当だ)
彼女の言った言葉は、王子として正しい行動の仕方であった。自分がした行動は、本来なら下働きに任せることであった。
(だけど、僕は…)
自分の行動が危ないことなのは分かっていた。それなのに僕は、危険を冒してまで木に登って猫を助けた。もしかしたら、枝が折れて落下することもあったのだ。下にいたディオルも絶対に巻き込まれないとは言えない。
(僕は……)
自分の感情が、どこにあるのか分からなくなった。自分の気持ちなのに、どこか離れて見なければいけなくて途方に暮れる。彼女の一言が妙に自分にのし掛かり、自分がどんな立場の人間なのか、まざまざと思いしらされた。
「怪我したらどうするのよ。馬鹿! バカバカ馬鹿!!」
ハッと気がつけば、さっきまで怒っていた彼女は涙を流していた。僕はオロオロすることしか出来ず「ごめん」「もうしないから」とありきたりな言葉しか言えなかった。
「う……うぅ…」
「キトリー泣かないで」
「アーデン…の、ばか」
「うん。馬鹿だった。ほんとにごめん」
―――今思うと、どうして彼女が自分の遊び相手に選ばれていたのか、何となくだが理解している。彼女の持つ誠実さに触れながら、王族としての意識を強く持つこと。それが、私に求められていたのだと思う。
「にゃ~…」
心なしか猫も悲しい声を上げた。僕は彼女が泣き止むまでずっと側に居ることしか出来なかった。
迎えに来た公爵に事情を話すと、彼女は公爵からげんこつを食らった。僕はげんこつは無かったが、事の次第は父上と母上に報告され、後でたっぷりとお叱りを受けた。
(王族に生まれると言うことは、ままならないことなんだな)
ベッドの中で僕は今日の出来事を振り返った。自分の中で、何かがもの凄く変わった気がしたからだ。良いことなのか悪いことなのか、上手くまだ折り合いは付かないが、少しずつ自分は王族らしくなっていかなくてはいけないのだと漠然と思った。
つと、一瞬何か大切なことを忘れているような気がしたが、その時はまだ深く考えないようにした。
(考えてしまったら、失いそうな気がするーーー)
何を? と自分に問うまえに、僕の思考はまどろみの中に沈んでいった。夢の中の彼女は微笑みながら、
「今日はしゃんとしてるのね」
と言って、僕の手を掴んで走り出すのだった。
願望かよ……。
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