別れ
どちらの世界からも受け入れられない悲哀。ティアさんにとって第二の試練です。
それからさらに8年という月日が経った。わたしは23歳となりすっかり子どもではなくなったということなのか、生まれてからこの方ずっと人間界で過ごしてきたリィのわたしに対する接し方もすっかり大人のそれになってきた。エルフ社会育ちの母のほうは相変わらずわたしを子ども扱いにはしていたのだが。
わたしは変わらず1年の四分の三の期間はミルドの魔術師学院分院で勉強にいそしみたまの休日を母のもとで過ごす、残りの期間は、副業に費やすという日々を過ごしていた。勉学のほうは幾度もの中断があり遅々とはしていたが着実に魔術師としてのステップをあがって行った。アトドナ導師の弁ではわたしは精霊魔術にも通じているせいか筋がよく、時折の中断がある割には上達の度合いも早いとのことだった。併せて、副業のほうもさすがにリィが先払いしてくれている授業料を完済するというところまではいかないまでも、仕事のほうは順調に入り少しずつながらも返済できていた。
そして、いよいよ正魔術師試験に向けた最後の詰めを迎えようとしていたある日のことだった。
翌日が休校日だったためにわたしはいつものように母が待つ家に向かっていた。すると。
(カサカサ、ザザッ)
後方からかすかな音が聞こえてきた。
わたしは内心、身震いするような思いを感じた。思わずグリンに襲われたあの忌まわしい過去を思い出した。まさか、またグリンが?とも思ったが、いかにわたしが成長したとはいえよもやあれほどの手練れがわたしに気配を感じさせるとは思えなかった。
わたしは相手にそうとは悟られないよう敢えてそれまでと同じ歩調で、しかし十分に警戒をしながら自宅に向かった。その後二度と同じ気配を感じなかったのは相手が追ってこなかったのか途中で引き返したのか。
「ティア、お帰り!疲れたでしょう?」
母はいつものように満面の笑顔でわたしを迎えてくれた。
「お母さん、ただいま。ううん、わたしは大丈夫よ、毎日が充実しているけど疲れたっていう感覚は不思議とないの」
わたしもいつもの返事を返すと母はあらそうというまたありきたりな一言を発した。
「今日はあなたのために特製のドレッシングを作ったのよ。今日はそこの畑で作った初採りのレタスでサラダも作ったの。今まで以上においしいわよ?」
そういいながら母はウィンクをした。そんな母を心配させたくない。そう思いわたしは母に先ほど感じた異変を伝えなかった。
しかし、事態はわたしの予想していたよりもはるかに悪化していた。そのことを思い知らされる事件は間をおかずにやってきたのだった。
母娘水入らずの晩食と団らんを終え床に就いていたわたしは、母のただならない表情とともにかけられた声で起こされた。
「ティア、起きて!大変なことになったわ」
「どうしたの、お母さん?」
「人間の村人が家を取り囲んでいるの」
そう聞いてわたしは飛び起きた。まさか、あの時感じた気配は・・・!?
わたしは物音を立てずに母のそばに歩み寄り、窓の外をのぞき見ている母にならって外を見た。
風になびき枝葉がざわめく木々の隙間から漏れくる月明かり。しかし、そんな情景にそぐわないいくつかの明かりがともっていた。その明かりが揺らめいているのは風のなせる業だろうか。明りの正体はたいまつの火のようだった。それが横一列に並んでいた。見える範囲の中では10個前後といったところか。そのうちのいくつかは時折明かりを左右に振っている様子だった。わたしには感じられなかったが、森での活動には長けている母の言うことだ。この家を取り囲んでいるということはきっとこの何倍もの村人がいるのだろう。
それにしても、わたしは思った。こんな風の中、よもや森の中であんなに無造作に火を使うなんて!家を取り囲まれていることで恐怖心に満ちていたわたしではあったが、その一点だけはどうしても許せなかった。もしあの火が森に燃え移ったら・・・森が・・・燃えちゃう・・・!
そんなわたしの心を知ってか知らずか、いつの間にか手早く身支度を済ませていた母はつぶやいた。
「できるものなら彼らともうまくやっていきたかったのだけれど・・・これではもうどうしようもないわね・・・」
そして母はわたしに耳打ちした。
「ティア、いい?よく聞きなさい。お母さんは先に家を出て、できる限り多くの村人をひきつけます。これだけの村人はいるけど、わたしがひきつけたらきっとこの包囲もどこかにほころびが出るはず。あなたはその包囲のほころんだところから逃げなさい」
さらにわたしに逃走の支度を促したあと続けていった。
「落ち合わせ場所は前にも決めておいた森の北にある二本楠にしましょう。もしそこも危うくなったらミルドのリィを頼りなさい。いいわね!?」
わたしは手近にあったサンダルを手早く履き終わると黙ってうなずいた。
「じゃあ、行くわよ!」
母のその合図とともに作戦が開始された。母は居間の大窓からひらりと外に舞い降り、その身軽さで手近な台を足掛かりに樹上に上がると村人たちを軽々と飛び越えた。そして村人たちの背後に飛び降りると巧みなステップで包囲の外をこれ見よがしに駆け出した。
「一人逃げたぞ!親のほうだ!」
「逃がすな!」
母の逃げ方は巧みだった。わざと見つかるようにしながらしかも村人の手にかからない絶妙な距離を保ち、できる限り多くの村人に追わせるように逃げていく。3分の1ほどの村人が母につられて追走を開始した。それだけの人数が家の周りを離れると当然村人の輪にも間隙ができる。そこをついてわたしも学院から帰ってきてそのままにしておいた荷物を背負い玄関を出ると村人の手薄になった包囲網の突破を試みた。
「娘も逃げたぞ!」
「追え!」
さすがにわたしも見つからないわけにはいかなかった。残念ながらわたしは姿を隠す魔術を身につけていなかった。難なく包囲網を突破したとはいえ、わたしは慣れ親しんだ森での逃避行をとにかく実力で決行するしかなさそうだった。
その次の瞬間。
後方が急に赤に染まった。そして風に乗り漂い始めた木と油が焼けるにおい。
逃げながらちらっと家のほうを見ると・・・
今までわたしがいた家の外の草や畑が燃え、家の隙間からは赤いものが漏れ見えてきた。
家に、田畑に油をかけられ火をつけられたのだ。
(なんてひどい・・・)
わたしは激しい怒りを覚えた。これほどの憤り、後にも先にもあっただろうかというくらいに。だが今はそれどころではない。わたしはことあるごとに一般の人に魔法を使ったり剣をもって立ち向かったりはしてはいけないと母から教わっていた。それに、わたしの後ろには村人の追手も迫っている。わたしは名残惜しさと悔しさをあえて無視するしかなく、この場を後にした。
わたしにとって森の中を逃げるのはまるで鳥が空を飛ぶように容易なことだった。わたしは敢えて家にかけられた火が延焼してくるであろう風下に逃げた。延焼速度はわたしよりもはるかに遅いだろうし、わたしの足跡やにおいなどの気配をできるだけ村人に知られないためだった。村人たちは夜目も利かず森の中の活動にもわたしほど慣れていなかったせいか、見る見るうちに後ろを追う気配が減っていき、ついには感じなくなった。
わたしは念のためにそれからしばらくの間さらに遠くまで離れた後、母と約束していた二本楠のところに向かった。しかし、なにやら二本楠のほうから気配を感じわたしは歩みを止めた。ちらりとたいまつの火が見えた。どうやら母ではないようだった。
わたしは胸騒ぎを覚え、精霊魔術の「風の声」を使った。遠くの声を聞き取ることができる魔術だ。一方の相手は、そよ風が吹いてきたという程度にしか感じないだろう。
(ちくしょう、親はどこに行きやがった!こっちのほうに逃げて行ったようだったが・・・)
(娘のほうも見失っちまったぞ)
(やはり悪魔の母娘だ、隠れることは長けていやがる!)
そのセリフを聞いてわたしはぞっとした。もしかしたらわたしのこの髪を見て悪魔か化け物かと決めつけられたのだろか。気配は少なくとも5人ほどは感じられた。
(ちっ、仕方ない。このあたりをもっと探し回るぞ)
どうやら彼らはまだこのあたりを探すらしい。こうなっては、わたしは二本楠で母と落ち合うことをあきらめざるを得なかった。わたしは気配を消してその場を去り、森への延焼範囲に注意しながらも村人と鉢合わせしないように遠回りしてミルドの街を目指した。
わたしがミルドの街にたどり着いたのは翌朝明け方のことだった。わたしは一晩走り回り歩き回ったのでもうクタクタだった。
わたしは足を引きずるようにしてミルド神殿の扉の前に立つと、かつて母がそうしたように目の前にあるドアノブをコンコンと鳴らした。
間をおかず、扉が内からあけられた。中から出てきたのは一人の人間の女性だった。初めてこの神殿を訪れた時に応対した人とは別人だ。そしてまだ若い。さすがに13年間人間社会で生活してきただけあってわたしも人間の年の頃はある程度分かるようになってきた。見たところまだ20歳にはなってない様子だった。彼女が首をかしげるとヴェールから髪がこぼれ出た。その仕草にはむしろ愛くるしさがあった。つややかな黒髪は彼女の美貌とよく似合っていた。朝早いというのにまるで起き抜けという雰囲気がなかったのはさすがというべきだろうか。おそらくもっと朝早くからお勤めがあったのだろう。
「早朝の訪問恐れ入ります。わたしはティアと申すものです。リィーフェ神殿長はいらっしゃいますでしょうか。ティアの名をお伝えいただければお分かりいただけると思います」
そこまで伝えると女性はあっと声を上げた後、中に入って少々お待ちくださいと言い残して奥に戻っていった。わたしはその言葉に従い、神殿の中の玄関で待たせてもらうことにした。
それからしばらくすると、奥から小走りに駆け寄ってくる見慣れた姿を認めた。リィだった。
「ティア、どうしたの?その姿!」
そばに来るなりリィにそういわれ、わたしははじめて今の自分の姿を見た。とてもミルドのような大きな街を歩く時の姿ではなく、羽織っていた寝巻はところどころ裾がほころび、袖も何か所か破れていた。履いていたサンダルも今にも緒がちぎれそうだった。
「リィさん、わたし、わたし・・・」
わたしはそこまでしかいうことができなかった。リィはそんなわたしを柔らかく抱いてくれた。その暖かさとやさしさにわたしの気持ちが切れた。
わたしはリィの胸の中で号泣した。長い間泣き続けた。でもリィはそんなわたしを辛抱強く待ち続けてくれた。やがてわたしの気持ちが落ち着き、泣き止んだ時を見計らい、頭一つ近く低い高さにあるわたしの顔を覗き込むようにして話しかけてきた。
「家を襲われたのね?」
リィはすべてを察したようだった。わたしは再び湧き出てくる悲しみと涙を何とか抑え込み、首を縦に振った。
「そう、せっかく静かに過ごすことができていたのにね・・・」
リィはそれだけいうとそれ以上何も聞かなかった。リィは以前そうしたように、母と再会して生活を再建できるまでいつまでも神殿にいてもいいと言ってくれた。わたしとしてはありがたかった。きっと母はわたしを探し神殿までやってくるだろう。そうしたら母と再会できる。そして、また生活を再建させることができるだろう。今となってはわたしもすっかり人間の街での生活に慣れている。今度は街の中での生活再建となるのだろう。わたしはそれを希望に古魔術の勉強に励もうと心に誓った。
しかしそんなわたしの期待に反して、何日たっても母は神殿に姿を現さなかった。最初は捗っていた正魔術師試験の勉強も、日が経つにつれだんだん身が入らなくなってきた。アトドナ導師もそんなわたしを心配して声をかけてきたが、もうどうしようもなくなってきた。わたしは母のことを導師に打ち明けることはできなかった。
7日ほどたったある日、わたしはリィに相談した。
「母は、いったいどうしたのでしょう・・・」
さすがにリィも心配この上ない様子だった。
「エリスが一般の村人相手に不覚を取ることはないと思うし、何かあればここを頼りなさいとエリスが言った以上、それならばもうここにたどり着いていてもいいはずね」
そこまで言ったところで、わたしははっとした。ここにたどり着いていてもいいはずの頃合いになってもここにたどり着いていない。ということは、ここに来ることができない何かが起こったということなのだろうか。
リィもわたしの不安を察したかのように一つうなずいた。
リィはわたしに目配せし、目で奥にある小さな会議室を指した。何を言いたいか理解したわたしは歩き出したリィの後を追うようについて行った。
そして入った会議室。リィはわたしにソファーを勧めた。わたしがリィに促されるままにソファに腰かけると、リィもわたしのすぐ右側に座った。体から漂うお香の香りを感じられるまでに近くに。何とかしてわたしの不安を取り除いてあげようと思ってのことだったのだろうか。
「エリスがここに来れない理由のうち一番考えうるのは、村人を撒いてあなたとの待ち合わせ場所に向かうまでの行程の間で何者かに遭遇した。それが村人の不意打ちの可能性も考えられなくはないけれど、それよりもはるかに可能性が高いのはそれとは別の集団が偶然エリスを見かけて不意を打った。最近北のブリスの街でテロリストが暗躍しているそうよ。彼らは周辺地域に触手を伸ばしていて、実力者たちを次々と拉致して次々と手下にしているのだとか。それはこのミルドの街周辺にまで及んでいるんですって。もしかしたらエリスの実力を推し量った連中が拉致のためにことに及んだのかも。そういう可能性があるわね」
リィはここで一つため息をつき
「それにしてもエリスらしいわね。自分たちの身に危険が及んでも一般市民に対して魔術を使おうとしなかったなんて。昔からそうだった。どんな状況になっても一般市民に対して魔術を使うという考えを持ち合わせていないような子だったわ。もっとも、そのことがもっとややこしいこういう事態を招いてしまったんだけどね・・・」
それはまさしく母がわたしに言いつけていたことそのものだった。わたしもその言いつけを守り、今回の逃避行では一切村人に対して魔法を使うことはしなかった。
そこまで言い終えると、リィはわたしの様子を観察するように押し黙った。わたしの反応を待っているようだった。
わたしは、絶望の底に落とされた気持だった。今まで23年間、いつでも会おうと思えばいつでも会えるところにずっと母はいてくれた。その母ととうとう会えなくなったのか。わたしは生き別れになってしまったのだろうか。
やっぱり、ここでも泣いちゃった。
自分で作った物語なのに^^;