多忙な日々
このあたりから、もともと考えていたストーリーとずれが生じてきます^^;
わたしたちが新しい住まいに転居してから5年の月日が流れた。わたしは15歳となりだいぶ大人の女性の体つきになった。母のわたしに対する接し方も、幾分は子供に対してのものではなくなってきた。やはりわが子はいつまでたっても子という意識があるのか、子ども扱いもされてはいたけれど。そういうわたしも、いつしか母のことを「ママ」ではなく「お母さん」と呼ぶようになった。
リィーフェは10歳の誕生日祝いを神殿で行ってから、毎年わたしの誕生日には欠かさず家まで来てお祝いに参加してくれている。彼女は毎年趣向を凝らしたバースデープレゼントを用意してくれた。
そしてこの年の誕生日の時もリィーフェは家を訪ねてきてくれた。この日は特別神殿の仕事が立て込んでいたとのことだが、どうしてもわたしに勧めたいことがあるということで訪ねてきたのだ。
「ティア、あなた古魔術を勉強する気はない?」
リィーフェは普段の笑顔を絶やさず、しかし幾分普段とは違う真剣な雰囲気を漂わせて聞いた。
「古魔術・・・?」
小さいころから母に教えてもらっていた精霊魔術とは別に、古魔術という魔術があること自体はやはり母から聞いていて知っていた。しかし、当時はあまり強い関心を持っていなかったからどこか上の空で聞いていたのかもしれない。精霊に語り掛けて精霊の技としての術をかける精霊魔術とは異なり、古魔術というのはこの世にあまねく存在すると言われる魔力を特別な言葉を用いて紡ぎだし直接自らの力として行使するものだ。その力は精霊魔術をしのぐとも言われていたが、火球の術に代表される破壊魔法の印象が強くなり、わたしはあまりいい印象を持っていなかった。森にとって火は忌むべき存在であったし、何よりわたしが瀕死の重傷を負ったユスティンダ村の襲撃事件のきっかけが火球の術だったのだから。
「ティア、古魔術というのは別に破壊魔法だけではないのよ?」
母がリィに助け舟を出すかのようにこう言葉を挟んだ。
「例えば変身の術。これを使った魔術師が鳥になって空を飛んだり、猫になってそっと誰にも知られずにどこかに近づいたりその場から逃げ出したりすることができるの」
そう言った母の顔には少しばかり翳があるように感じた。わたしがグリンに襲われた時の出来事でも思い出していたのだろうか。
「さっきの術はちょっと高度だけど、初歩の魔術には姿隠しの術って言うのがあるわ。これは周りの風景に自分の姿を溶け込ませて相手に見つかりにくくするってわけ」
やはり逃げるための術を喩えに出してきた。
「ほかにもあるんだけど、イメージで言う破壊魔法というのはそう多くはない。もちろん覚えることはできても決して使わないという選択もできるしね」
そういうと母はにっこり微笑んだ。
最初はあまり気が進まなかったわたしだったが、愛する母と親愛するリィに勧められるうちにわたしも興味が出てきた。
「それでは、わたしは何をしたら?」
尋ねると、リィはパッと笑った。やっぱりリィはこういう顔をするとステキだと思った。
「実はこのミルドの街にも魔術を勉強する学校があるの。もっとも分院だから規模は大きくないけどね。でも初歩の魔術を覚えるだけならそこで十分だと思う。もう少し高度になったら南にあるオルスの街の学校に行くことになるけど、たぶん初歩の魔術を覚えて正魔術師として認められるまでに早くても5~6年、そこから上位の魔術を覚えるために大きな街に移籍するのにも同じくらいは時間がかかるのかな?」
当時わたしは15歳。だから正魔術師とかいうものになるのはだいたい20歳過ぎくらいか、今まで母と暮らしたことが一度もないわたしだったので、もし魔術を勉強するために遠方の街に住むことになるのならそれまでに母と離れて生活する覚悟を決めておかないといけない。
そして、一番聞いておきたいことがあった。
「そして、そこで勉強するにはどれくらいのお金が必要なのですか?」
するとリィは先ほどまでの笑顔から真剣なまなざしになった。
「正直、これは魔術師学院の入学試験を受けないと分からない。その成績によっては入学金が免除されて授業料も減額されるんだけど、成績が芳しくないと入学金も授業料も満額納めないといけないの」
そう聞くとちょっと不安になってきた。わたし、その成績優秀者になれなったら、いや、もし成績優秀者になれたとしても授業料はどれくらいするのだろう?
リィにはわたしの戸惑いが手に分かるかのように、不安を吹き飛ばすかのように続けた。
「でもね、わたしの見立てだからあまり役には立たないかもしれないけれど、わたしはあなたには十分に魔術の素質があると思う」
さらに
「加えて、あなたはすでに簡単な精霊魔術を使えるってエリスから聞いてるわよ?」
その言葉を聞いてわたしは思わず母の顔を見つめた。母はクスリと笑った。
「すでに精霊魔術を使えるってアピールしたらすごいアドバンテージになると思う。精霊魔術と古魔術って、必要な素養が割合似通ってるからね」
そういわれるとなんだか自信が出てきた。
年代的にも特に早すぎるわけではないという。エルフの社会では150から160歳くらいまでは社会的にはまだまだ子供という意識があるが、人間社会では15歳にもなれば立派な大人。母もリィも人間界での生活が長いのでそういった意識も働いているようだった。
こうしてわたしは魔術師学院の入学試験を受け、驚いたことに成績優秀とのお墨付きをもらい、入学金を免除された。授業料の問題は残ったが、
「それは言い出した私が一旦出しておいてあげる。返済は無利子の出世払いでいいからね?」
とリィが言ってくれたから授業料の問題もクリアした。しかし後日返済とはいえ当分の間全額をリィに任せっきりにするのは気が引けた。わたしは授業の合間を縫って稼ぎに出て返済に充てることを申し出た。最初はせめて正魔術師になるまでは勉強に専念しては、と渋ったリィだったがわたしの熱意が勝ったのか承知してくれた。
こうやってわたしの魔術師の勉強と副業という二足のわらじをはいた生活が始まったのだった。
魔術師学院では師匠についての実技と座学の二種類の講座で魔術師の階段を上っていく。わたしが師事することになったのはアトドナという名の女性導師だった。一般的に魔術師となるのは男性がほとんどで特にお金が潤沢にある富裕層の次男坊三男坊が圧倒的に多かったので女性魔術師というのは特に稀有な存在だ。アトドナはミルド分院では唯一の女性導師だった。
アトドナ導師は見たところまだ30歳にもなっていない様子だった。女性でしかもこれほど若くして導師の地位にまで就くというのはとても珍しいことだ。聞くと彼女は若いころから冒険者をしていたということで合点がいった。やはり冒険者だと通常の生活を送る以上に実戦で魔術を使う機会が多く、それだけに実力も上がりやすいということか。
そういうこともあったので、わたしが副業もしながら魔術師の勉強を続けたいことを相談するといともあっさりと承知してくれた。もしかしたらわたしがほかの誰でもない彼女に師事することになったのは女性同士だからというだけでなくこの辺りの事情も絡んでいたのかもしれない。
アトドナ導師とは魔術師としての指導を仰ぐとき以外でもよく話をしたものだ。その中でもよく話を聞いたのは冒険者として大陸中を飛び回っていた時のことだった。ユスティンダの村のほかにミルドと近場の街までの間という限られた範囲でしか行動してこなかったわたしは、その世界の広さや様々な風土、文化を彼女の話から知ることになり、まだ見ぬ街への思いを募らせていったのだった。
大陸の南に浮かぶという「呪われた島」の話も聞いた。彼女自身も島を訪れたことはなく風聞のみでの話ではあったが、またそれまでの話で出た国々とも違う神秘的な印象を持ち興味をかられた。
一方で、人間界の不思議な話も聞いた。なんでもどこぞの国では人間同士がその価値観や利害関係のために戦争をし同族を殺しあっているという。村という中でのコミュニティに終始していたエルフの村出身であるわたしにはとても理解できないことだった。
他方、授業料を稼ぐための副業のほうは多少難儀した。最初は街で営む店の手伝いというのも考えたが、拘束時間が長い割には収入が少ないことがネックになった。求人情報などを聞いても、決して少なくない返済額の分を稼ぐにはどれだけの期間がかかるのか。またこちらのほうが忙しくなり勉学に支障をきたしては本末転倒だった。魔術師学院に入学する人の多くが富裕層出身者であるのも得心が行くものだった。
一方で、隊商の護衛のような仕事は何日間、何十日間というまとまった期間に仕事を入れることができ、同じ時間を店で働いて稼ぐよりも何倍もの金額を稼ぐことができた。もちろん危険手当込であることは言うまでもないが、短期間でより多くのお金を稼ぐ必要があるわたしにとってはとてもありがたい仕事だった。わたしのような駆け出しができること自体はほとんどなかったが、一人でも多く護衛がいることで助かる相手は決して少なくないと信じていた。
わたしは1年のうち4分の3、およそ270日間は魔術師学院での勉学に励んだり休校日は母の手伝いをしたりして過ごし、90日間は隊商の護衛などの副業で学費を稼ぐ期間とした。もちろん、4分の1を勉学以外のことに費やすことで学院での勉強の進み具合に影響を及ぼさないわけはなかったが、ここは導師の好意に甘んじることにした。わたしは隊商の仕事をしている間もできる限り魔術師としての勉強は怠らないようにした。
ある日、オルスの街に隊商の護衛に行くことになったとリィに報告に行った時のこと、リィはちょうどよかったとばかりに一通の封書をわたしに渡した。
「リィさん、これは?」
「これは、わたしの仍孫娘にあてた手紙よ」
仍孫娘・・・聞きなれない言葉にわたしは目を白黒させた。
「仍孫娘、わたしの7世代下の孫娘よ」
そう聞いてさらにわたしは驚いた。
リィの話によると、彼女には3人の子がいたらしかった。しかしその3人は全員ハーフエルフだったらしい。たとえハーフエルフが不老長寿といわれるとはいえそれは人間と比べてのこと。不老不死のエルフと比べると短命と言わざるを得なかった。リィの子は親に先立って次々と他界していった。
たとえ子がハーフエルフだったとしても、その子がハーフエルフとの間に子を授かるとエルフの子が生まれる可能性は生じる。その子は全員子を、リィにとっての孫を授かったが、それにもかかわらず彼らもハーフエルフや人間でエルフは一人も生まれなかったらしい。結局エルフの孫を授かる前にリィの子は全員他界し、そして孫も子をもうけたがエルフの子をもうけることができずに孫にも全員先立たれ、といった具合に次々と子孫に先立たれるという悲しみを背負っていたのだ。リィが先立たれた子孫は100人を下らないという。今は7世代目にようやく生まれた唯一のエルフの仍孫娘を、目に入れても痛くないほどにかわいがっているらしい。その仍孫娘はわたしとも同年代のようだった。その仍孫娘にあてた手紙をリィはわたしに託したのだった。わたしはその仍孫娘との出会いを楽しみにするとともに、初めてミルドにやってきた日に、リィが母に告げた言葉に影を感じた理由が腑に落ちた。そしてわたしも百何十年か何百年か後には母を悲しませることになるのだろうかと暗い気持ちになってしまった。しかしこれはもはや避けることのできない運命ともいえることだった。わたしは生ある限り母を悲しませることはすまいと改めて心に誓った。
「あぁ、そうそう。報酬は帰ってきてからお支払いするわ。1000ゴールドくらいでどう?」
リィが提示してきた報酬額は魔術師学院の一部免除された授業料のおよそ4ヶ月分に相当する。相場よりもはるかに高いように思われた。
「そんな・・・!リィさんからそんな報酬をいただこうなんて・・・第一わたしはリィさんから・・・」
しかしわたしの言葉はリィによって遮られた。
「いいのよ、学費は学費、報酬は報酬。ちゃんと受け取ってね?もちろん、そのお金の使い道はお任せするけどね」
そういわれるとわたしとしてはこれ以上断ることができなくなった。わたしは無事に手紙を届けて戻ってきた後の成功報酬とはいえ、リィからのこの申し出を引き受けることにした。
オルスの街はとても大きかった。生まれて初めて人間の街を訪れたときミルドの街の大きさに目を白黒させていたわたしだったが、そのミルドよりもけた違いに大きな街だった。なんでも大陸の中でも屈指の大きさらしい。
そのオルスの古い街並みをわたしは歩いていた。無事にオルスまでの隊商の仕事を務めあげたわたしはリィから引き受けた「仕事」のために仍孫娘がいるオルス魔術師学院に向かっていた。
オルスの街は大きいだけに人も多い。おそらく様々な人が住んでいるのだろう。すれ違う人々もさほどわたしの奇抜なメッシュヘアも気にしていない様子でそれがわたしにはとてもありがたかった。
わたしは魔術師学院に入ってすぐのところにある受付に用件を伝え、リィから託された手紙を手渡した。受付はわたしがまだ見習いとはいえ魔術師を目指していることが分かったのか、特に疑うことなくわたしの要件を取り次いでくれた。
わたしは受付から手紙を渡し終えたことの報告を受けるまでの間ロビーで待たせてもらうことにした。リィからそのように言われたからであって、特にほかの理由はなかったのだが。
数十分ほどして、
「あなたがティアさんね?」
受付とは別のエルフの女性が近づいてきてわたしに声をかけてきた。
わたしは見た瞬間にあっと思った。
パッと見はわたしと同年代か彼女のほうが若干年上か。輝くほどのブロンドヘア以外には見覚えがなかったが、初めて来たオルスの街で、初対面なのにわたしの名前を言い当てたということは・・・
「あなたがリィーフェさんの?」
心底驚いた。リィはきっと手紙にわたしのことを書いていたのだろう。そしていちど彼女と会ってみたいと思っていたわたしの心をお見通しで、会えるように取り計らってくれたのだろうか。
「初めましてティアさん。わたしはパメラ。ご想像の通り、あなたが持ってきた手紙の受取人よ」
そういっていたずらっぽく笑った。パメラはユスティンダ村で会ったどのエルフとも違い、快活で好奇心にあふれた娘だった。どちらかといえば村のエルフよりもリィに近い印象も受けたが、リィとも印象が似てない気がしたのはそれだけ人間界で生まれ育った両親や祖父母などの祖先の教育の影響があるのだろうか。それともリィとの血縁の遠さだろうか。もしかしたらその両方かもしれなかった。
それから長い時間、わたしはパメラと語り合った。魔術師の高みを目指す者同士、古魔術にまつわる話だけでなく、オルドの街でのグルメ情報や母とわたしが村を追われてからリィを頼り魔術師学院に入学したことや、パメラがどれだけリィから愛情を注がれていたのかというプライベートにかかわる話までとにかくいろいろな話をしたものだ。
「あ、いけない、もうすぐ次の講座が始まっちゃう!」
パメラのその言葉でこの場のお話はお開きとなった。
「今日はとっても楽しかったわ。今後またオルスの街に来ることがあったら前もって連絡してね?わたしが街で見つけた、とっておきのお店を紹介してあげるから!」
「そうなの?それじゃあ楽しみにしてるわね!」
そしてわたしたちはクスクスと笑い合った。