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ミルド神殿

 村を捨て森を出たわたしたちには、新たな拠点が必要だった。そこで母が足を向けた先の街がミルドだった。

 風に乗ってくるにおいに変化が現れたころ、母は道を外れ左側の草原に覆われた小高い丘を登り始めた。どこに行くんだろう?と不思議に思ったわたしだったが、母の確かな足取りにわたしは黙って母のつれられるままについて行った。

 そして、丘の頂上について母が眼下を見下ろしたのでわたしも母の視線の先を追ってみると。そこには今まで見たことのない光景が広がっていた。

 まず目に飛び込んできたのが今まで見たことのないような大きな湖。対岸がかすんで見えなかったために初めは海かと思ったものだが、母から大陸東側で一番大きな湖でミルド湖という名前だと聞かされた。

 そして視線を手前に移すと、そこには大きな街並みが横たわっていた。ユスティンダの村の何十倍、いや何百倍ほどの大きさがあるかもしれない。それこそがわたしたちが目指していたミルドの街だった。先ほど感じた今までと違うにおいの風の原因はこの街にあったのだろうか。

 母の顔を見上げてみると、そこには何とも言えない表情で満たされていた。それは久しぶりにやってきたという懐かしさだったのだろうか、村を捨てたという現実感がますます強くなった寂しさだったのだろうか。複雑な感情で満たされていただろうことは想像に難くなかった。

 その場にしばらく佇んでいた母とわたしだったが、やがて母はゆっくりと街のほうに歩み始めた。わたしもそんな母を追いかけるように丘を降りはじめた。これからというもの、何かあるたびにあるときは母とわたしは一緒に、またあるときはわたし一人でこの場を訪れるようになったのだった。


 始めてみる人間が住む街。そしてユスティンダの村の何百倍もいる住民。わたしにとっては目新しさを感じる以前に目がくらむような思いだった。何しろ人の動きが違う。目まぐるしく動くのだ。人間はエルフやハーフエルフと違い成人するとすぐに老化し他界するという。もしかしたらその時間を惜しんでせわしなく動いているのだろうか。わたしには不思議だった。

 そして何よりも辟易したのがそんな住民からわたしたちに向けられる視線だった。一般住民からするとエルフという存在はそれほど身近なものではない。ましてやハーフエルフともなるとなおのことだ。加えてブロンドとダークブラウンのメッシュというこの髪の色だ。生まれつきのメッシュヘアはエルフの中ではもちろん人間の中でも特に珍しく、母に向けられるものと同様、いやそれ以上にわたしに向けられるものも明らかに冷たいものを感じた。かつて冒険者として大勢の人間の中に混じって長い間活躍した母はともかく、初めてエルフ以外の者の前に出たわたしにとってそれは耐え難いものだった。

 (わたしはエルフの村だけでなく人間の街でも歓迎されない存在なんだ)

 そう思うと、さらにわたしのころは深く沈むのだった。

 しかし、だからと言ってユスティンダの村やほかのエルフの村に行くわけにはいかなかった。人間から向けられるものとは比較にならない誹謗がむけられるのは明らかだったからだ。わたしは何とかしてこの雰囲気に慣れていかないといけないのだろうか。そう思うとわたしはこの先が思いやられる気持ちになったのだった。


 そんな中、母は確かな足取りで歩を進め、やがて白く大きな建物の前にたどり着いた。それは大きな石造りの建物で、赤黒い屋根の上には何やら紋章が入っていた。あとで知ったことだが、この建物は人間界では「神殿」と呼ばれるものだった。

 母はそんな石造りの建物の、屋根の上にあるのと同じ紋章がかたどられた大きな扉の前に立ち、目の前にあるドアノブをコンコンと鳴らした。やがてすると、中から若い女性が出てきた。年のころはまだ若く、何より特徴的だったのは純白のチュニックと淡い青色のヴェールに身を包んだ姿だった。そのヴェールの合間からライトブラウンの髪がのぞいた。

「急な訪問恐れ入ります。わたしはこの近くのエルフの村からやってきたエリスと申します。この娘はティアです。リィーフェ神殿長はいらっしゃいますでしょうか。エリスの名をお伝えいただければお分かりいただけると思います」

 母は、今まで普段使っていたエルフ語とは異なる言葉で用件を告げた。わたしも若干は人間界の言葉も勉強していたが、その時母が告げた言葉の意味はほとんどわからなかった。すべての意味を理解したのはしばらくたった後だった。

 相手の女性は何かを理解したらしく、しばらくお待ちをとの言葉を残し奥に下がっていった。それからしばらくして出てきたのは一人の女性だった。背の丈は母と同じくらいだろうか。体格も母とほとんど違いがなかった。しかしそれよりも驚いたのは・・・

 (エルフ・・・?)

 まさか村の外では会うことがないと思っていた姿かたちのものに思わぬ形で出会ってしまい、わたしは身を固くした。

 着ていた服装は先の女性と同じ色あいながら、その装飾は比べるまでもなく手が込んでいて見るからに高位の人物を感じさせたが、そんな彼女の耳は母のそれと同じ形をしていたのだ。一般的にエルフは信仰心が薄いといい、神々への信仰を持つエルフは皆無といってもいいほどだった。そんなエルフの中で聖職者がいるということ自体珍しいことなのだ。

 わたしは村での出来事を思い出し緊張していたが、その女性は母を見るなり目を輝かせた。

「エリス!久しぶりね!」

「リィ!元気にしてた!?」

 そして二人は抱き合った。まるで長い間あえなかった時間を取り戻すかのように、ずっと抱き合った。わたしは硬直したままそんな様を不思議な気持で眺めていた。母とこの女性とは昔からの知り合いだったのだろうか。

 しばらくしてどちらからともなく解放しあったあと、リィーフェと呼ばれた女性は腰をかがめた。戸惑っているわたしと目の高さを合わせるとわたしの頭にそっと手をのせ

「はじめまして、小さなティア」

 そう声をかけるとにこりと笑った。今まで母以外のいかなる大人のエルフからもむけられたことがない笑顔で、つい体の力が抜け顔が熱くなってしまった。きっとリィーフェにもこの気持ちがわかってしまっただろう。この笑顔でわたしの緊張感は心身ともにずいぶん和らいだように感じた。

「・・・はじめまして」

 わたしはぎこちないながらもエルフ式のあいさつをして言った。

「エリス、あなたが子を授かったということは風の便りで知ってはいたけれど、あなたは幸せ者ね、こんなにも可愛い娘を授かることができたなんて」

 そういってほほ笑んだリィーフェの言葉にかすかな影が潜んでいたことになぜか違和感を覚えたが、その理由を知ったのはしばらく後のことだった。


 やがてわたしたちはリィーフェに促され、神殿の一角の広い部屋に通された。エルフの家は樹上に作られるため構造的に大きな家を建てることはできない。だから今まで見たこともない広い部屋にわたしは目を白黒させた。

 リィはそばにいた女性の従者に何か告げると従者は扉から出ていき、しばらくすると戻ってきた。彼女が手にしていたお盆の上には3客のティーカップが乗っていた。彼女は母、わたし、リィの順にティーカップを置くと一礼して再び部屋を出て行った。

 従者が出ていくのを確認して、リィは母に訪ねた。

「あなたが娘さんを連れてここを訪ねたということは、村で何かがあったということなのね?」

「ええ」

 母は素直に打ち明けた。

 そして、母はリィと別れてからわたしを身ごもり村に戻ってわたしを出産するまでの経緯を簡単に話した後、ユスティンダ村の出来事や襲撃事件の話を続けた。その間、リィは黙って聞いていたが襲撃事件の話を聞いているときは少しばかり涙ぐんでいるようにも見えた。

 母が話を終えてからも気持ちの整理をつけていたのか、リィは何も言わなかった。静かな空間がこの場を支配していた。

「エリス・・・あなた本当に村では苦労していたのね」

 しばらく経ってそう言ったリィはわたし達にお茶を勧めてきたので、母に続いてわたしもお茶に口をつけた。それは村で飲んだことのあるお茶よりもはるかに芳醇で美味しかった。これが人間界の味というものだろうか。この点は人間界に出てきたメリットと思えた。

「わたしは見ての通りのエルフだけど、実は生まれてからずっと人間の街に住んでいてエルフの村のことは全く知らない。そんなわたしでもエルフの村はよそ者にはつらく当たるって聞いていたけれど・・・一時村を出ていたとはいえ元は自らの村で生まれ育った一人のエルフとその子に対してまさかそこまでするなんてね・・・」

 リィは想像以上のエルフの仕打ちに、同じエルフ族ながら信じられない表情をしていた。

「エリス、ティア、今までいろんなことがあって大変だったでしょう?当分の間は神殿にいなさいな。ここにいる限り、そんな誹謗や中傷はみなわたしや神官たちから守ってあげるわ」

「リィ、申し訳ないわね。ひとまず生活を再建できるめどができるまではお願いね」

「リィさん、しばらくの間宜しくお願いします!」

 わたし達はそう言葉を交わしあうと、最初にわたしたちの対応をしてくれた神官に案内され神殿内の仮の住処に案内されたのだった。


 わたしたちがこの神殿に身を寄せている間に、わたしはいろいろな人との出会いを経験した。これは閉鎖的なエルフの村では考えられないことだった。

 まずはこの神殿の長をしているリィーフェ自身だった。母は自身の倍近い、齢500を超えるともいう彼女のことを親しげにリィと呼んでいた。わたしもいつしか彼女のことをリィさんと呼んでいた。さすがにエルフは不老不死といわれるだけあって、この歳でもリィは年齢がはるかに下の母と比べてもそん色がないくらいに若く美しかった。

 なんでも二人は元冒険者仲間だということで実は生き別れとなっている父とも面識があるとのことだったが、残念ながら父の所在は彼女にも分からないとのことだった。


 そして、わたしたちがこの神殿にやってきてから7日ほど後にはギルムという名のドワーフがやってきた。母やリィの三分の二ほどの身長や逆に胴回りは二人の倍ほどもあろうかという体格は話に聞いたことがあれども実際にこの目で見たのは初めてだった。エルフとも人間とも異なるその姿かたちに最初わたしは大いに戸惑ったが、母やリィーフェと親しく談笑しているところを見ると、彼も母やリィーフェと同じ冒険者仲間だったのか、冒険者時代に深いつながりがあったのだろうか。

「ギルム、リィからも聞いていると思うけどわたしから達てのお願いがあるの」

「うむ、聞いておるぞ、おぬしらの家を建てるというのじゃな?それにしてもお前さんがこのわしにお願いというのは珍しいの」

 そういってギルムはガハハと大きな笑い声をあげた。今まで言葉を交わしたことのある人物がエルフばかりだったわたしは面食らったが、直感的に信用できる人かなと感じた。

 そして、彼は背を若干屈めて小さいわたしと視線を合わせ

「お前さんにこんな愛くるしい娘がいたとはのう」

 と言いながらわたしの頭をガシガシと撫でた。

 今まで体験したことのない強い力で頭を撫でられ首が悲鳴を上げそうだった。愛くるしいといわれて悪い気はしない。しかしエルフと風貌がまるっきり違う相手にそういわれるのは若干複雑な気持ちを抱かないでもなかった。

 わたしたちはミルドの街の近くにある森に家を建てることにした。その森はユスティンダの村がある森とはつながっていないので、かつての村人とも遭遇する恐れはなさそうだった。ドワーフは物づくりに秀でた種族であり、特に手先の器用さにおいては右に出るものはないという。彫刻や工芸品などで手の込んだ作品のほとんどはドワーフの作だという噂もあるくらいだ。

 母がギルムに過去どのようなことをしたのか詳しくは知らない。しかしギルムは母に大きな恩義があるらしく建築費は材料費と若干の工賃といくばくかのエール代だけでよいとのことだった。母が冒険者時代に蓄えた財で賄える金額だったようだ。もっとも彼が飲むエールの代金にはさすがの母も目を白黒させていたのだったが。


 そして、この後わたしにとって生涯の大きな転換点を作ってくれた人物と会ったのはギルムの来訪からさらに数十日たった後だった。オーランドウッドというエルフの男性だった。たまたまオルスの街からミルドのさらに北にあるブリスの街まで行く用事があったので、わざわざ神殿を訪ねてきてくれたそうだった。

「オリー、よく来てくれたわね!」

 そういう母の顔はとても晴れ晴れとしていた。

「エリス、あなたも息災でよかった」

 オリーという愛称で呼ばれた彼は母に向かってエルフ式のあいさつをして言った。オリーも久しぶりの再会を喜んでいたようだった。

 わたしは最初、エルフの男性を見るだけで身を固くしたものだった。ユスティンダの村でのつらかった記憶を拭い去ることがこの短期間ではできなかったからだ。

 しかしオリーはそんなわたしの想いを見抜いたかのように身をかがめ柔和な笑顔を浮かべた。そしてまるで子猫に対してのようにわたしの頭を柔らかく撫でた。その笑顔はどこか幼馴染のロークを髣髴とさせ、その手の優しさはまるでギルムと真反対でもあった。ロークがもし大人になっていたらこんな素敵な男性になっていたのかな?

「君がティアだね。やっぱりエリスの娘さんだ、目元なんてお母さんそっくりだ」

 もちろんエルフであるオリーがわたしのようなハーフエルフにここまで親愛を示してくれること自体もうれしかったが、それ以上に母と似ているといってもらえたことで気持ちが舞い上がる心地がしたものだ。

 オリーはもともとから母と深く知り合っていたというわけではなかったらしい。ただリィとは古くから親交がありその関係で母ともつながりがあったようだった。

 話によるとオリーはとても交友関係が広く、その中には冒険者も多いようだった。今回ブリスの街に行くことになったのも冒険者の知り合いの一人から請われてのことのようだった。わたしはそんなオリーに興味と好意を持ったのだった。


 それから数か月がたったのち、ギルムから家が完成したと連絡が入った。わたしたちは転居の支度ができ次第新しい家に移ることになった。転居の日、リィは今後あってほしくはないことだけれど、と前置きしながら

「もし困ったことがあったらいつでもいらっしゃい」

 と言って送り出してくれた。わたしたちも長い間仮の住まいを貸してくださったことに感謝の意を伝え、新しい住まいに向かった。


 こうしてわたしは母との二人暮らし生活を再開させることができた。街から離れての二人生活を母が決断したのはもしかしたら人間界の生活になじんでないわたしを想っての母の配慮だったかもしれない。しかしその決断がさらなる悲劇を招くことになるとはだれも予想していなかったのだ。

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