第四話 諭吉の闇討ち
ああ……。今日も、なんか嫌な予感がするぞ……。
桜の舞う一本道を歩きながら、一人憂鬱に染まっているのは古一だ。
ここ最近いいことがない。彼女の春奈がドジして、クラス中に二人の正体がバレた。春奈は、やっぱりかわいいから許す! そんなところも含めて好きだよ! と言うところだが、残念ながら、ゴジラ野朗は可愛くもなんともない。もとはといえば奴のせいだ。奴が急に教室に入ってきて、悪ふざけに、子供みたいに、授業を始めようとさえしなければ、こんなことにはならなかった。
ブツブツぐちぐち呟きながら、古一は下を向いて歩く。落ちた桜の数は、昨日より少し減っているように見える。錯覚だろうか。きっと、もう春もだんだん終わりに近づいてきているのかもしれない。ふと、木の様子を見てみようと、顔を上げた時だ。
「君! 危ない!」
声が聞こえた。おじさんのような、聞き覚えのある叫び声が。何かと思って背後を振り向くと、急に視界に、誰かの顔が映った。
福沢……諭吉……?
バサッ! と音を立て、諭吉さんは古一の顔面に激突。古一は倒れこんだ。
「おい、大丈夫かね」
男の声がした。大丈夫じゃないです! と、起き上がって、イラつき気味に叫んだ。何故、背後から札束が飛んでくるのだ。しかも、諭吉。かなり分厚い。
「勘弁してくれよ〜。この頃風邪強いんだから」
今注目すべき点はそこではないだろう、と、ボソッと呟いて立ち上がる。制服についた沢山の桜の花びらをパンパンと叩き落とすと、束を拾って、男に差し出した。
「ど、どうぞ」
男は咳払いをすると、どうも、ごめんね、と、なかなかに渋いおじさんのような声で言う。その声のわりには、まだ若々しい二十代くらいの男だ。古一が、それじゃあ、と言って、立ち去ろうとしたときだ。
「君、王冥学園の生徒だね? 急がないと遅刻だよ? あと五分で八時だ」
男は、袖をまくり、右手の腕時計を見ながら平然と言う。古一は、嘘!? と、びっくりして、すぐさま走り出した。今日は早く出たはずなのに、おかしい、と、心の中で連呼しながら。
古一が走り去るのを見送り、男は、にやりと笑った。
ダダダッ、と、コンクリートを蹴り、校門を真っ直ぐに駆け抜けた。突っ立っていたジャージサディスト男は、セ〜フ、と、大声で言う。よっしゃ、間に合った! と古一は、息を切らし、一旦止まり、歩き出した。階段を上り教室に入ると、おかしい。
「あれ……、まだ、四十分じゃないか……」
黒板の上にかけられた電池時計は、七時四十分を指している。教室にいるのも、早い女子が一人しかいない。状況がわからないまま、とりあえずは席に鞄を置き、溜息をついた。
すると、毎日一番に学校にきている元気な女子が、まるで人を待ち焦がれていたかのように、名前以外知りもしない古一に大声で挨拶してきた。
「おはよっ! 新井くんっ!」
暑苦しい……。華やかだが暑苦しい。かわいくないというわけではない。でも、今、古一は春奈以外頭にない。春奈以外に声をかけられても、何も嬉しくない。適当にあしらおうと、おはよう、と、小さい声で言ってそっぽを向き、鞄から教科書やノート類を取り出し、机に詰める。それでも、女子は食い下がる。
「新井くん、今日早いねえ」
笑顔で話しかけてきているようだが、顔は一切見ない。見てはいけない。まともに、話してはいけない。うっとおしいからだ。
「ていうか私の名前、覚えてくれてる?」
まずい、質問された。これは、うん、うん、じゃ回避できないパターンだ。だが問題ない。古一は今までもこういうことが何度もあり、質問されても、嫌われない程度に回避する術を知っている、と、本人は自覚している。
「確か、山田……さん? だっけ」
とぼけた口調で、黒板の右上に張ってある出席番号・氏名の表をチラチラ見ながら言う。小さな声で。山田は、覚えててくれたんだ〜、と、喜んでみせる。無邪気な笑顔にすら、嘘の存在を感じる。
なんか、つまんないな……人間って。
新井 古一は、改めて思った。