豆炭
とある冬の日、関東大震災よりしばらく前のことであった。
東十条は三十歳になった頃であった。
町人が、東十条の住居を訪ねてきた。建物は、大政奉還以前の江戸の造り、そのままであった。
「東十条の旦那! ちょっと来て下せぇ」
徳川家の遠縁という家柄から、町の若い衆から信頼されていた。
「何でぇ、どうした」
東十条は、一間の巨体をのっさりと軒先に現した。
「これ、これ、なんです」
若い町人は、黒くて固い小さな塊を差し出した。
「これに火をつけると、水では消えないって評判なんです」
「ほぅ、豆炭でねぇか」
東十条は若くして漢学蘭学の知識もあるせいか、それを一目で豆炭と見抜いた。
「流石、旦那、よくご存じで」
「蒸気機関車で走らす石炭を小っこいのだ、豆みてぇだから、豆炭」
「皆がどうすれば火が消えるか悩んでおります」
「そういえば、うちの先代の先代が、豆炭を初めて見たときの話だ。豆炭に火をつけて、どう消すか悩んだんだ」
「東十条のご先祖様も?」
「又聞きの又聞きで小耳に挟んだ話だけどな。火事で長屋が焼けちまいそうだったから、水に濡らした布団を被せたそうだ」
「それで?」
「火が消えなかったそうだ。水の量も少なかったらしい。そしたらば」
「そしたらば?」
「自分の体で火を消そうと、熱い豆炭に覆い被さったらしい」
「そんな無茶な」
「そうだろ? 結局、火が消えなくて、そうこうしているうちに、でっかいタライに水を貯めてもらって、その中で火を消したそうだ」
「水をぶっかけただけでは、焼け石に水でしたよ」
「そうだな。で、そのご先祖様が、”肉布団”の奴さん、と呼ばれ始めたんだ」
「八王子の大馬鹿、二代目で、そんな話を聞いた覚えがありやす」
「八王子は、曰く付きの噂話ばかりだからな」
「全くで」
「どれ、火をつけてみな」
町人が小高く盛られた豆炭に火をつける。水を汲んだ桶を脇に置いてあった。
豆炭に水をかけて消火しようにも、焼け石に水であった。
「八代目吉宗公の噂だと、冬でも木綿一枚で過ごしたらしい」
「聞き覚えあります」
「実のところ、火鉢に豆炭でも炊いて、暖を取っていたんじゃねかな」
「あり得る話で」
/* ※囲炉裏の灰に、炭を埋める、というのは、常識ではなかろうか? */
「それでだ。五行では火には水という理屈だ。化学では、酸素や空気があるから燃焼する。空気を遮断してしまえばいい。つまり、土を被せてしまえばいい」
「だんな、それは土ではなく、灰ですが?」
「土のようなものだろ?」
「灰ですが?」
「”はい”と”いいえ”?」
「灰ですが?」
「”Ash ”と言え」
「”あっし”ですか?」
「英語で”灰”を”Ash”というそうだ」
「無学で失礼やした」
「西洋で化学という。五行の土が火に勝る。だから、化学とは面白い」
熱した豆炭は、少しずつ冷めていった。
「で、大変なことに、この豆炭が江戸の下町で売られているらしいのです」
「川下の江戸城本丸か?」
「荷車の点検したときにも、荷下ろしの際にも見かけたと聞きます。蒸気機関車に使うだけでなく、日々の炊事煮炊きににも使っているらしいのです」
当時、東十条宮三十路を迎えた頃、1920年、豆炭が発明された。
江戸の下町は、煉瓦造りの建築が増え始めたばかりで、大政奉還前の未だに木造建築が多かった。
/* ※歴史考証が必要 */
長屋住まいの町人は、台所はいらず、料理屋や仕出しの弁当で済ませていた。火を使わないこともしばしばであった。
「下町では”火の消えない炭”として密かに流通しているみたいで」
下町では、火の用心の御触書が忘れ去られようとしていたのかもしれぬ。
「危ねぇことするなぁ、”江戸の火付け盗賊改め”がまた必要になるんでねぇの?」
「左様で」