東十条宮と呼ばれた男
「あ~飲んだ、飲んだ」
東の空が薄紫色に輝る綺麗な朝焼けの頃、迎え酒で夜を明かし、二日酔いの状態で家路を辿る独りの男がいた。
「食べたのに、食い物に欠けると書く。飲んだ、飲んだ」
酔った男が、ぬかるんだ畦道を歩いていると、桃の香りが漂ってきた。道沿いに桃の木など一本も見あたりはしなかったが、畦道から外れた所から芳醇な薫りがする。それは、沼のような泥水の溜まり場のように見える。
男もそれが泥水とは分かったが、二日酔いのためか、気にならなかった・
「いい香りだ。旨そうだな。どれ、一つ、味見といこうか」
と思いたった男は、畦道から土留めへ、さらに、匂いのする方へ歩み寄ってみた。足場は悪かった。
ところが、酔いどれは土留めから足下を滑らせ、桃の香りのする沼のような泥水の溜まりに、ぼっとんと落ちてしまった。
すると、桃の匂いは消え失せ、糞尿のアンモニア臭が男の身体を包み込んだ。
桃の匂いの正体は、発酵した肥溜めの臭いであった。
幸い、肥溜めは浅く、足が底に届いた。
全身糞塗れになったまま、土留めを乗り越えようとしたが、また足を滑らせ、肥だめに足を取られて、もう一浸かりしてしまった。 土留めに匍匐前進しつつ、畦道まで這い上がる。
「くそっ、ひでぇ臭いだ」
男は悪態をついた。
「かぁちゃんにまた怒られる。ひとっ風呂浴びてぇなぁ」
ぼやきながら、再び家路を辿ることにしたとき、向かいから稲ワラ担いだ農夫が歩いてきた。
「匂うぞ、匂うぞ、おやっ! 東十条の旦那、どうしたんです?」
農夫はわざとらしく気付いた振りをした。
「見てたか?」
「しっかりと」
「ならば、分かるだろ? 肥溜めに落ちた」
「肥溜めまで飲みたかったのですか? 酒だけでは飽き足りなかったんですか?」
「馬鹿を言うな。酔いから醒めていなかっただけだ」
「それにしても、酷い臭いで」
「全くだ。それに酸っぱいというか苦い」
※実体験談はあるか?
「糞尿は苦いのですか? 食べたことも、飲んだこともないので分からんのです」
「お前さんも飲んでみるか?」
「遠慮しておきます。東十条の旦那、とりあえず、この稲藁で拭いて下さい」
東十条と呼ばれた男は、農夫は担いでいた稲ワラを受け取った。
「かたじけない」
東十条が全身の肥を稲ワラで拭き取っていると、。
「そういえば、東十条の旦那は、西暦1890年生まれ、卆生まれでしたね」
農夫のトドメ打ちとばかりにツッコミに東十条は苦笑いした。
「卆生まれだからって、糞まみれか!」
「全くです」
全身肥まみれで同情を買ったこの男こそ、徳川家の遠縁にあたる松平白川卿定信を先祖に持つ東十条宮その人であった。
松平白川卿定信が、初代将軍徳川家康の御三家、八代目将軍吉宗公の御三卿に習い、来る次世代、明治の世にて市民平等の時代にて平民として御公儀を支える三本の矢とする分家筋であることは確かであった。
東十条宮と呼ばれた、この男のの本名は本人すらよく知らない。生まれは「黒書院の陸兵衛」しばしば、「六兵衛」とも呼ばれる、江戸幕府第十五代将軍徳川慶喜公の影武者であった。東十条の宮の祖父の趣味は絵画であったが、舶来品の写真にも興味を示し、小西六兵衛商店(後の、小西六写真工業)にて、写真機の輸入小売もしていた。、関西中部の京都大阪、東海道よりも東にあり、川下の江戸城本丸より少々西にあるということで、小西という屋号を名付けていた。
「今度の内閣総理大臣は、東條英機というお方らしい」
「東十条の旦那も出世しましたな」
「旦那の大活躍も、今や遠い昔の話。関東大震災の大火事の活躍なんて覚えている輩も少ないだろうに」
「これまでの支払い、ソーリー、ソーリー、では、済ましませんぜ」
「ちぃと字が違いますぜ、旦那」
”特別高等警察”、所謂”特高”が井戸端会議に口を挟んできた。
「おぃ、貴様ら、反政府活動家か?」
「いぇ、東條英機閣下の登場について語っておりました。軍部からの出世につき、戦争の気配を感じ取っております」
「今日は見逃すが、言葉に気をつけ給え」
「「ははぁ、ご無礼をご容赦ください」」
「さぁ、さっさと立ち去り給え」
東十条の屋敷近隣をうろついていた二人組が立ち去ると、特高警察は、
「東十条宮の閣下、いえ、殿下、いやその何と御呼びしたら、不審な輩は立ち去りました」
そう告げて、巡回に戻った。
屋敷の八畳間での居眠りから起きた東十条は、
「関東大震災が数え年で参拾四歳のとき、東條英機首相が四拾歳、今度の戦争は五拾壱と還暦前か」
月日が経つのは早いものだ。