第八夜 謎の転入生
翌日の朝。穂香はいつも通りに登校していた。道行く大勢の生徒たちにまぎれて歩きながら、穂香はずっと明菜のことを考えていた。
――明菜ちゃん、本当に旧校舎に行っちゃったのかな……。
穂香はどうしてもそのことが気にかかっていた。いつの間にか生徒昇降口に着いていたことにも気づかないほど、ぼんやりとしていた。
「……きゃっ」
突然、穂香は誰かにぶつかってしまった。短い悲鳴をあげてぶつかった相手を見上げた。
「……ちゃんと前見ろよ。危ないだろ」
「え、あ……すみません……!」
穂香がぶつかってしまった相手は、見知らぬ男子生徒であった。短めの黒髪に鋭く光る漆黒の瞳を持っていて、真新しい白のカッターシャツと緑のネクタイを少し着崩していた。
穂香は驚きと恥ずかしさで顔を真っ赤にして頭を下げたが、青年は涼しい顔で手を振りながら先に行ってしまった。
青年が向かった先には職員室がある。穂香はポカーンとしたまま青年の背を見送っていた。
――ネクタイの色は緑だから、同じ学年だよね……。
何度も言うが、穂香はその青年を見るのは初めてであった。おそらく転入生だろう。穂香はそう結論付けて、教室に急いだ。
――明菜ちゃん、もう来てるかな。
穂香は明菜がすでに登校していることを切に願った。
きっと今頃彼女は、昨晩の冒険を自分に話したくて、首を長くして待っているに違いない!
しかし数分後、穂香は知ることになる。明菜はまだ登校していないということに――
***
「今日から転入生が我がクラスに入ることになった。ほら、自己紹介!」
「……鈴村幸人」
穂香の担任教師は、朝礼が始まるなり例の転入生を紹介した。紹介された転入生――鈴村幸人は、見るからにめんどくさそうに顔をしかめて名前だけ応えた。
そんな鈴村の態度に男子たちは不快げな表情を浮かべ、女子たちは「クールな美形が来た!」と浮き足立っている。
そんな中、穂香は鈴村よりも明菜のことを気にしていた。
結局、明菜が時間通りに登校することはなかった。穂香はそのせいでさらに不安に駆られた。
――やっぱり、何かあったんじゃ……?
穂香はそんな不安を無理矢理頭から追い出そうとしたが、どうしてもできなかった。
先程からずっと握りしめた携帯電話は、全く反応を見せないうえに、穂香から何度電話やメールをしても繋がらないのだ。
この状況で悲観的な結末を思い浮かべないほうが難しい。穂香は涙が滲んでくるのを感じた。
「――おい、あんた、大丈夫か?」
「……えっ?」
突然穂香の右隣の"空席"から、一度だけ聴いたことのある声が聴こえた。
驚いて振り向くと、空席だったはずのその席には、転入生の鈴村が座っていた。
鈴村は無愛想に眉間に皺をよせていたものの、少なくとも口調だけは心配そうにしていた。
穂香は再び顔を真っ赤にして、慌てて首を振った。
「ふうん……まあいいけどよ。それより、あんたが気にしてること、今から分かりそうだぜ?」
「え、それって……」
「皆、実は今朝分かったことだが、日渡が行方不明になった」
「!?」
穂香は驚いて正面に向き直って担任教師を見つめた。他のクラスメイトたちも、驚きのあまり口を閉ざした。
担任はクラス全員が話を聞く態勢になったところで、また話を続けた。
「日渡は昨晩の十一時ぐらいまでは家にいたそうなのだが、ご両親が寝静まった後にどこかに行ってしまったらしい。懐中電灯とデジカメが持ち出されていたらしいのだが、誰か心当たりないか?」
担任の説明を聞いて、穂香は思わずうつむいた。
――やっぱり明菜ちゃんは、一人で旧校舎に行ってしまったんだ!!
穂香は激しい後悔に襲われた。どうして自分は、あの時彼女をもっと強く止めなかったんだろう! 穂香は泣きそうになるのを必死に堪えて、静かに手を挙げた。
「お、梶山。何か知ってるのか?」
担任がそう聞くと、穂香はその場に立って頷いた。そして、クラス全員が好奇の目で見つめる中、勇気を振り絞って応えた。
「旧校舎です」
***
その日の昼休み。男性教師三名による捜索で、日渡明菜の刺殺死体が発見された。生徒たちへの詳しい説明はされなかったが、その遺体は見るも無惨なものだった。
庖丁のような刃物で腹を何十回も刺されており、白のカッターシャツは余すことなく真っ赤に染まっていて、シャツどころか体も原形をとどめていなかった。
それに加え、手足が所々おかしな方向にねじ曲げられた状態で、階段に逆さまに倒れていた。
また、発見者の教師たちが特に戦慄したのは、彼女の死に顔であった。
彼女は、"笑っていた"。本来なら彼女の顔は、痛みや恐怖で歪みきっているはずだった。しかし、彼女は"嬉々"とした表情で、にっこりと不気味に笑っていたのである。
発見者の教師たちは、いずれも病院に搬送された。それほどまでに、衝撃的な有り様だったのだ。
***
「あんた、すげえな」
一方の穂香は、とある病院の個室に仮入院していた。その少し前に警察が来て事情聴取をされたのだが、幸いなことに、穂香が犯人だと疑われることはなかった。
それは当然といえば当然であった。あの現状を見た者であれば、穂香を疑うことなど誰にもできないであろう。
穂香はなぜか、例の転入生鈴村幸人と向き合っていた。穂香はベッドで休んでいたのだが、突然見舞いと称して鈴村が訪ねて来たのだ。
鈴村は感心した様子でベッド脇の丸椅子に腰掛け、足を組んでいる。穂香は驚きながら鈴村を見上げていた。
「何がすごいの?」
「クラス全員の目がある教室で、堂々と証言できたことがすごいって言ってんだよ」
鈴村は先程の表情とはうって変わった様子で呆れたように言った。穂香は鈴村の言葉を不思議に思った。
「だって明菜ちゃんは、私の親友なんだもの。親友のためなら、これぐらい普通でしょ? 鈴村くんが私の立場だったら、どうするの?」
「……あんたの立場だったら、か……」
鈴村は腕を組んで、真剣に考える素振りを見せた。が、すぐに腕を解いて応えた。
「多分、ほっとくだろうな……」
「ええ!? 何で!?」
鈴村の衝撃発言に、穂香は驚いて起き上がった。その表情は信じられないものを見るかのように歪んでいた。
「どうして!? どうしてそんなことできるの!? 鈴村くんに親友はいないの!?」
「いや、どうしてって言われてもな……」
穂香のあまりの迫力に、鈴村は顔をひきつらせて苦笑した。どうやら、鈴村は女子が苦手らしい。
「そもそも、"あいつ"は親友と呼べるのか? 違うだろあいつは。あれは悪友だ」
鈴村はぼそっと呟いた。穂香はわけが分からないという表情をしたが、結局それ以上は何も言わなかった。
「……ありがとう、鈴村くん。なんだか、おかげで少し元気になったかも」
「ん? 励ました覚えはないんだが、まあいいや。どういたしまして」
穂香は、はにかむように笑ってそう応えた鈴村を見て、少しずつ心に余裕ができつつあるのを感じた。それでも、完全に明菜のことを吹っ切れたわけではなかった。
鈴村がやって来る前までは、涙も出ないぐらいに呆然とし、自分をひたすら責め続けていたぐらいだ。簡単にその悲しみがなくなるはずがなかった。
「――ところで、鈴村くん。鈴村くんはどうして知り合ったばかりの私のお見舞いに来てくれたの?」
穂香は至極当然の疑問を鈴村にぶつけた。決して下心があったわけではない。単純に不思議に思ったからだった。
すると鈴村は、肩をすくめて真剣な表情になると、こう切り出した。
「あんたの親友を殺した奴を殺すためだ」
そう言って鈴村は、自分の髪を掴んで"引っ張った"。続いて目に触れたかと思うと、"黒"のコンタクトレンズを外した。
穂香は唖然としていた。目の前の青年が、あっという間に風変わりな青年へと変わってしまったからだ。
「俺の名は雪夜。"青の断罪者"だ」
鈴村――否、雪夜は、深い青色の瞳を輝かせて、そう名乗った――