表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤と青の断罪者  作者: 吹雪
第一章 殺人者の夜
7/35

第六夜 炎、そして氷

「――それで? たったのそれだけで、あんたは息子夫婦を殺したのかよ」


 床に尻餅をついて真っ青な顔をした栄吉を、紅蓮は心底軽蔑した目で睨んでいた。雪夜にいたっては、まるで虫けらを見るような目で見下していた。

 栄吉はそんな二人に怯えながらも、視線はあの女……もとい"義娘"に向いていた。いつ自分に襲いかかってくるのかと恐れおののき、ひたすら逃れようともがいていた。


「――俺は、俺を裏切った息子を……息子に俺を裏切らせた嫁が、憎かった……! だから……」

「だから殺したって言うのかよ、くだらねえ」


 雪夜は吐き捨てるようにそう言った。


「ふざけんじゃねえぞおっさん。そんな理由で殺していいんだったら、あんただって殺されても文句は言えねえよな?」

「ひっ、ひいいい……!!」


 雪夜の凄まじい殺気にあてられ、栄吉は情けない悲鳴をあげながら後ずさろうとした。が、すでに背中は扉にたどり着いていた。

 

 一向に開こうとしない扉。今にも自分を殺そうとしているかのごとく殺気立った紅蓮と雪夜。そして――長い漆黒の髪に覆われて見えない顔をこちらに向け、血の滴る真っ白のワンピースをまとった恐ろしい義娘――


 栄吉に逃げ場などなかった。助けてくれる者もいなかった。


 ――もう駄目だ……!


 栄吉は固く目を閉じた。きっと自分は、この中の"誰か"に殺されるのだ……!


「――さてと、"仕事"を始めるか……」


 突然、雪夜が先程とは違うのんびりとした声を出した。

 栄吉はその声に驚き、思わず固く閉じていた目を開けた。目を開けてよく見ると、なぜか雪夜だけが栄吉に背を向け、女と向かい合っていた。


 ―― 一体何をする気なんだ?


 栄吉の困惑など気にすることもなく、雪夜は女に向かって話しかけ始めた。


「なあ、あんた、随分と辛い思いをしたみたいだな。娘も旦那も殺されて、しかも自分まで、な。このくそ野郎が死ぬほど憎らしかっただろうよ。……でもな……」


 途中まで優しく語りかけていた声が一変し、底冷えしそうなほど冷たくなった。


 そして、辺りが"凍りついた"。


 ヒュンッ……ヒュンッ……ピキッ……


 栄吉は一体何が起こったのか、全く理解できないでいた。


 ――床が、凍りついている……!


 床だけではなく、辺り一面が一瞬で"凍りついた"のだ。

 扉どころか窓すら開いていない密閉空間のはずなのに、どういうわけか"風"が吹いている。

 栄吉が座り込んでいる床までも、氷に覆われていた。


 ――寒い……!


 栄吉はより一層顔を青白くし、唇は紫色になって凍えた。両腕で苦しいぐらいにきつく自分の体を抱き締め、ひたすらこの寒さに耐えようとした。

 ふと気になって紅蓮を見ると、大して寒そうな様子を見せずに、むしろ"涼しげ"に笑っていた。


 だが、一番異常なのは、他でもない雪夜だった。雪夜は冷気をまとっていた。殺気なんて生易しいものではない。痛いぐらいに鋭く冷たい、まるで刃物のような、そんな冷気をまとって不敵な笑みを浮かべていた。その目は、まっすぐ女を見つめていた。


 栄吉は思った。"アレ"は人間ではない、"化け物"だと。怨霊とはまた別格の恐ろしさを秘めた、人の皮を被った"鬼"だと。

 そう思いながら、栄吉は自分には向けられていないはずの殺気と冷気に怯えていた。


「――それでもあんたは、関係ない、無実の人間を二人も殺めたんだ。この落とし前、どうつけてくれる?」


 雪夜の周りはひたすら吹雪いていた。雪夜はおもむろに、まるで凍りついたかのように微動だにしない女に手をかざすと、こう冷たく呟いた。


「凍え死ね」


 それが最期だった。


 女は悲鳴をあげなかった。ただ最期の瞬間に、一瞬だけ、女の怨みのこもった恐ろしい目が長い漆黒の髪の隙間から覗いた。

 女は凍りついた。そして、その氷は、一瞬で塵となって消え去った。

 サラサラとした細かい粒子となった女が、雪夜のまとう冷気で散り散りになった。


 後には、何も残らなかった。


「――終わったな」

「そうだな。"お前の"仕事はな」


 女が消え去った後、和やかなムードが二人の間に流れた。栄吉もほっと一息つき、脱力して安心した……はずだった。


 突如、紅蓮が妖しい笑みを浮かべながら、栄吉のほうに振り向いた。雪夜はもうあの冷気はまとっていなかった。

 しかし、紅蓮は"熱気"をまとっていた。部屋の温度が急激に上がった。栄吉は全身から汗が噴き出すのを感じた。


「社長さん、次はあんたの番だぜ」


 紅蓮はそう、栄吉に死の宣告をした。


「……っ!」


 気づいた時には、すでに手遅れだった。栄吉は体の中から、地獄の業火にも似た、恐ろしく熱い"炎"を感じた。


「ひっ……ひぎゃあああああっ!!」


 気づけば、栄吉は目を血走らせて断末魔の叫びをあげていた。床にごろごろとのたうち回り、凄まじい形相でもがき苦しんでいた。

 それなのに、栄吉の体には、"客観的"に見ても異常は見当たらない。

 栄吉はただひたすら地獄の業火に、"内側"から焼かれているのだ。


「熱いか? 苦しいか?」


 紅蓮はのたうち回る栄吉の側にしゃがみこみ、嬉々とした表情でそう聞いた。

 それに対し、栄吉は汚ならしく涙や鼻水、よだれが混じってぐちゃぐちゃになった顔を紅蓮に向け、辛うじて応えた。


「……た……すけ……て、く……れ……!」


 それを聞いて、紅蓮はニヤリと笑った。


「いいぜ。助けてやるよ」


 意外なことに、紅蓮はあっさりとそう言った。同時に、体内の全ての臓器や骨まで溶けてしまいそうなぐらいの灼熱地獄が、段々と消えかけてきた。

 それを感じた栄吉は、徐々に薄れてゆく苦しみの中でこう思った。


 ――助かった……! これで全てが終わるんだ……!


 だが、ここで栄吉は思い知ることになる。紅蓮の非情さ、残酷さを――


 紅蓮は苦しみから解放されつつある栄吉ににっこりと人のいい笑顔を向けた。


 それが合図だった。


「ひっ!? ヒイイイイイイ!!」


 栄吉は一瞬、自分の身に何が起こったのか分からなかった。しかし、すぐに理解した。


 自分の体が、確かに真っ赤な炎に包まれていたのだ。


「いっ……や、だ……! 死に……たく、なっい……!」


 それが、栄吉の最期の言葉だった。


「燃え尽きろ」


 断末魔の叫びは、夜が明けるまで続いた。


***


「――ご苦労さん、お二人さん」


 明朝――とは言っても、まだ日がやっと登り始めたぐらいの時間。紅蓮と雪夜は"仕事"を終えて、すぐにあの"悲劇の家"を後にした。


 家を出てすぐに二人を出迎えたのは、栄吉を騙してこの"悲劇の家"を売った、例の不動産屋であった。


 その男は嬉しそうな、しかし、不気味な笑顔で二人を労った。それからすぐに、黒光りしたスーツケースを紅蓮に渡した。

 紅蓮はひとまずそのスーツケースを地面に置くと、開いて中身を確かめた。


 中に入っていたのは、大量の札束だった。


「いくら入ってる?」

「三千万だ」

「ふうん」


 紅蓮は気のない返事をして、スーツケースを閉じた。


「あんた、よくやるよな。大した立役者だぜ」

「そりゃあねえ。あの男のせいで、うちの"娘夫婦"は殺されたんだ。これぐらいどうってことはない」


 その男は妖しく笑った。紅蓮も笑ったが、雪夜は渋い顔をしていた。


「ああ……これで、娘夫婦も浮かばれる。あの忌々しい怨霊も消してくれたのだろう?」

「当然だ」

「だったら何も問題ない。昨日が、私の娘夫婦があの"怨霊"に殺された日だった。その日に怨霊も死んだのだから、きっと娘たちの魂も浮かばれる」


 男は晴れ晴れとした表情で天を仰いだ。


 紅蓮と雪夜はそんな男を見て顔を見合わせると、二人同時に呟いた。



『次は、あんたの番なんだけどな』



第一章終わり


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ