第三十四夜 獰猛な赤
「——お前、何か俺に隠してないか?」
「……は?」
雪夜の突然の問いかけに、紅蓮は絶句した。
二人は現在、都内に借りているアパートの一室にいた。当然のことながら、このアパートには雪夜と紅蓮の二人しかいないし、他の誰にも敷居をまたがせたことはない。
「……いきなりどうしたんだよ。何かあったのか?」
「ああ。お前が俺に、何か重大なことを隠していると確信させるようなことがあったんだよ」
今日の紅蓮は、久しぶりの休日をのんびりと過ごすはずだった。しかしその平穏な休日は、唯一無二の相棒であり、大事な一人息子である雪夜の一言によって、脆くも崩れ落ちた。
ソファの背もたれに深々と身を沈め、新聞を開いていた紅蓮を、雪夜は冷たい目で見下ろしている。その目には、はたから見れば怒りを含んでいるようには見えない。
しかし、この目をしている時の雪夜ほど厄介なものはいないと、紅蓮は常日頃から思っている。
そしてその厄介な予想が、やはり的中した。
「さっき会ったぜ、妙な女に」
「……妙な女?」
まるで夕飯のメニューを告げるかのように、軽い調子で放たれた一言に、紅蓮は驚きよりも恐怖を感じた。
「ああ、妙な女だった。髪から何まで全部、白、白、白の女だ。死装束みたいな真っ白な着物を着た不審者だっていうのに、通行人の誰も気にしやしねえ。幽霊かとも思ったが、あれは違うな。幽霊じゃねえ。生身の人間だ。それに——」
「ちょっと待ってくれ」
息つく間もなくノンブレスで話続ける雪夜の言葉を遮り、紅蓮は新聞を置いて立ち上がった。そしてずっと立ったままの雪夜の両肩に手を置き、凄むようにして近づいた。その顔には、焦りと心配がありありと浮かんでいた。
「"あの女"に会ったのか、本当に?」
「"あの女"……ねえ」
雪夜は蔑むような目で紅蓮を一瞥すると、紅蓮にとっては爆弾発言とも言える言葉を吐き捨てた。
「あいつ、お前の昔の女か? 見るからに不審だったし」
「ちょ、ちょっと待て! それは聞き捨てならねえぞ⁉︎」
予想の斜め上をいく雪夜の言葉を、紅蓮は慌てて否定した。そんな紅蓮を、雪夜は疑わしげに睨んだ。
「何が違うってんだよ」
「全部違う! そもそもな、あいつとはもうかれこれ二十年も会ってないんだよ! そんな奴と付き合ってたなんてありえねえだろ⁉︎」
「ふーん……まあいいけどよ」
この時ほど、雪夜という人間が分からなくなったことはない、というのが紅蓮の感想である。
怒っているのか、呆れているのか、それとも興味が失せたのか、雪夜は紅蓮の手を振り払うと、何事もなかったかのようにソファに腰かけた。
そんな雪夜に唖然としつつも、紅蓮は話を続けるべくその隣に座った。
「……で? その"妙な女"とやらに何かされたのか?」
「……別に。ただ少し話しただけだ」
雪夜の返答はあまりにも素っ気ないものだった。それが逆に紅蓮の不安を煽った。
「教えてくれ、雪夜。奴と一体何を話したんだ?」
「……それが知りたいなら、先にお前から話せよ——あの女は何者だ」
互いに譲らない姿勢で、しばらく重い沈黙が続いた。紅蓮は真剣な表情で雪夜を見つめ、対する雪夜は冷めた目で見つめ返していた。
「……俺を捜してたんだとよ」
「……」
意外なことに、先に折れたのは雪夜の方だった。真剣な面持ちの紅蓮に気圧されたのか、淡々とゆっくり話し出す。
「理由は分からねえ。聞こうとしたらすぐにいなくなっちまったからな。ただ——」
「だだ……?」
紅蓮は続きを促した。雪夜は一瞬躊躇い、そして吐き出すかのように言った。
「——"白の断罪者"の白蓮——そう名乗っていた」
「……そうか」
雪夜の言葉に、紅蓮はそう相槌をうっただけであった。その反応に、雪夜は不満をぶつけた。
「おい、無理に聞き出しておいて、その反応はないだろ。俺はちゃんと答えたんだから、お前も知ってること全部吐けよ」
「……」
紅蓮は無言のまま考え込むだけであった。そんな紅蓮に、雪夜はますます怒りをつのらせていく。
「紅蓮、なんとか言えよ」
「……悪りい。ちょっと考えさせてくれ——」
ようやく紅蓮が自分の方を向いたと思った時、雪夜は一瞬息をのんだ。
紅蓮の赤い瞳は、恐ろしいほどに怒りに燃えた色になっていた。——いや、燃え盛る炎のような赤ではない——むしろ——。
「今度こそ、息の根を止めてやる」
血に飢えた獣のような、獰猛な赤になっていた。




