第三十二夜 終わりと始まり
"青の少年"は、狭苦しい部屋で対峙する二人の"赤の青年"を見比べていた。
二人はほとんど同じ真っ黒なコートを身に纏っていた。しかし、一方の青年は不敵に妖しく笑い、もう一方は恐怖と驚きで顔を歪ませていた。
幸也は思った。今夜、ここで全ての決着がつくのだと。そして、自分の運命を左右するのは、不敵に笑うこの男なのだと。
「ーーお前は、いつもそうだ」
片方の"赤の青年"は言った。その声は、怒りと憎しみを押さえつけているかのように、震えていた。
「お前はいつもそうやって、簡単に俺の欲しいものを奪っていく。俺はいつだって、何をやってもお前にだけは勝てなかった……!」
作り物の赤い瞳は、明らかに憎悪の炎を宿していた。固く握られた拳からは、余りにも強く握られていたために、血が滲んでいた。
しかし、そんな嘗ての親友の姿を前にしても、"真の赤"は揺らがなかった。寧ろ、更に不敵に、いやそれ以上に、軽蔑を込めた笑みを浮かべていた。
「ーー言いたいことは、それだけか?」
それは、驚くほど冷たい声だった。"偽りの赤"はビクリと肩を揺らし、怖気ついたのか、徐々に後退り始める。
「お前の言いたいことはよく分かったよ。要するに、俺が全部間違ってて、俺に人を見る目が無かった……ただそれだけのことだ」
その言葉は、驚くほど簡潔で、あっさりとしていた。まるで全てを諦めたかのようは言い方に、雅人は絶句した。
「俺はお前が憎いよ、雅人。お前は瑞季を殺した。俺への嫉妬と、瑞季が自分に振り向いてくれない苛立ちを理由に、お前は瑞季を殺したんだ」
紅蓮の顔から、不敵な笑みが消えた。その赤い瞳は、目の前にいるはずの嘗ての親友すらも映し出してはいなかった。
「お前が瑞季を殺したことは許せない。だがそれ以上に、どうしても許せないことがある」
ここでようやく、幸也と紅蓮の視線が交わった。幸也は微かに瞠目した。
「なぜ、幸也までも手にかけた?」
幸也は息を呑んだ。幸也にとってそれは、大して意味の無い問いかけであるにも関わらず、紅蓮は"幸也の死"にばかり固執していたからだ。
そんな紅蓮に対し、雅人は精一杯の虚勢を張って答えた。
「そんなこと、決まってる……そいつは、お前の息子だからだ!」
ただ、それだけのことだった。雅人の怒りの矛先は、すでに瑞季にではなく、その息子である幸也に向かっていた。
その理由がどれだけ理不尽なものであろうとも、雅人にとっては、正当な理由に他ならなかった。
「お前は、俺から多くのものを奪った。だから、俺もお前の大事なものを奪ってやるんだよ……!」
雅人は人工的な赤い髪を振り乱しながら、吐き捨てるように叫んだ。最早その先の言葉は罵詈雑言で、正確な意味を理解することは不可能だった。
紅蓮はそんな嘗ての親友を、軽蔑の目で一瞥した。そして、感情の篭っていない声で呟いた。
「もう、いいよ」
その瞬間、幸也の視界は真っ赤に染まった。
***
「……紅蓮」
「どうした? "雪夜"」
秋の訪れを告げる、涼しい風が吹いた。
"雪夜"は母の墓前でふと我に返った。
「随分とボーッとしてたけど、大丈夫か?」
「……いや、大丈夫だ」
軽く頭を振り、気持ちを落ち着かせてから立ち上がると、見慣れた"赤の青年"が優しげな目で自分を見つめていた。
幸也はもういない。二十年前の冬の夜、母を殺した男によって、その命を奪われた。
「"雪夜"、お前は……後悔してるか?」
死んだ幸也は、"青の断罪者"として新たに生命を宿した。それはつまり、実の父親と同じ道を歩むということを意味する。
"雪夜"は、迷わなかった。
「……これは誰に強制されたことでもない。俺の意思で、俺はここにいるんだ」
あの時の紅蓮のように、"雪夜"は不敵に笑った。
「俺はまだ、"父さん"の答えを聞いてないぜ? "もし、俺が死んだらどうする?"」
"雪夜"の問いかけは、紅蓮にとっては心を抉られるような辛いものだった。しかし、それでも答えないわけにはいかない。自分は、"雪夜"の父親であり、相棒なのだから。
嘗ての親友を葬り去ったあの日、紅蓮は悟った。自分にはもう、"雪夜"しか残されていないのだと。
だからこそ、紅蓮は言った。精一杯の愛情と、親愛を込めて。
「お前が死ぬその時こそが、俺の最期だよ」
第四章終わり