第二夜 恐怖の訪問
夜十時。栄吉は"悲劇の家"の門前に立っていた。
辺りには街灯などの灯りは殆ど無く、夜空に浮かぶ満月と、持参した懐中電灯の光りしかない。そんな場所に、"悲劇の家"は不気味な雰囲気をかもし出していた。その家の周りだけ、異常なぐらいに暗いのだ。
栄吉はその光景を目にし、この家に来てしまったことを後悔し始めた。
しかし、もう後には引けなかった。ビデオカメラはすでに起動させている。左手にカメラ、右手に懐中電灯を持って、栄吉は自らを鼓舞した。
――俺は何を恐れているんだ ! 何もないことが分かれば儲けることができるんだぞ!
栄吉は自分にそう言い聞かせ、門を押して敷地内に足を踏み入れた。
庭は長い間手入れされていなかったために、雑草が生い茂っていた。栄吉は雑草を踏みつけながら進み、玄関の扉にたどり着いた。
カギは閉まっているはずだ。栄吉は右ポケットを漁ると、合鍵を取り出した。カギを差し込み、回したところで、栄吉はあることに気づいた。
――開いている……?
カギがかかっているはずの扉は、始めからカギはかかっていなかった。栄吉は身震いした。もしかしたら自分以外の誰かが、この家に潜り込んでいるのかもしれない、と思ったからだ。
栄吉は音を極力立てないように慎重にドアノブを回し、扉を開けた。開けた瞬間に視界に入ったのは、果てしなく続く暗闇だった。栄吉はその暗闇を目にした途端に、先程までの決心が揺らいでしまった。恐れおののき、開けっ放しの扉に後退りした。すると、
バタンッ
「……!?」
突然大きな音を立てて、扉が閉まってしまった。栄吉は驚きのあまりその場に尻餅をついた。が、すぐに正気を取り戻し、持っていたカメラと懐中電灯を放り投げて、外に出ようと扉に飛び付いた。半ばパニックに陥りかけながらも、必死にドアノブを回そうとする。
しかし、どれだけ力を入れても、ドアノブは微動だにしなかった。
栄吉は完全にパニックに陥った。目を血走らせ、全身から汗が噴き出していた。
ぴちゃっ
背後から、水が床にこぼれたかのような……否、水浸しの『何か』が動いたかのような、不気味な音が聴こえた。
栄吉はドアノブを掴んだまま、石のように固まった。その表情は、驚きと恐怖に歪んでいた。
ぴちゃっぴちゃっ
不気味な音は徐々に徐々に栄吉に近づいてくる。
ぴちゃっぴちゃっ……コトンッ
その不気味な音を響かせる"何か"は、初めて違う音を出した。
栄吉が放り投げた懐中電灯に当たったのだ。そのままその"何か"は動かなくなった。
栄吉はその"何か"が動かなくなったのに気づくと、やっと金縛りになったかのように微動だにしなかった体を動かした。そして、勇気を振り絞って首だけ後ろに振り向いた。そこにいたのは――
「ぎ……ぎゃあああああああああ!!」
女だった。しかし、ただの女ではない。顔は黒く長い髪に覆われて見えない。前屈みになって立っている様は異様だ。だがそれよりも特筆すべきなのは――
真っ赤な血に染まりきった、白いワンピースだった。
女は栄吉のすぐ傍に迫っていた。青白い足は血にまみれていて、不気味な音を響かせていた。
栄吉は凄まじいほど恐怖に満ちた悲鳴をあげると、開かない扉を無視して、玄関のすぐ傍にある二階に繋がる階段を這うようにして上り始めた。
もう形振り構ってなどいられなかった。栄吉は二階に逃げれば逃げ道がなくなるということなどは考えもしなかった。ただあの女からできる限り離れようとしていた。
「ヒイイイ!!」
栄吉は恐怖の悲鳴をあげながら、階段から一番近い部屋に逃げ込んだ。その部屋は本来寝室らしく、広くてベランダに面していた。とりあえず栄吉は開けっ放しだったクローゼットに入り、扉を閉めて息を潜めた。
決して広くはない埃まみれのクローゼットの中で、栄吉は震えながら隠れていた。
――頼むから追って来ないでくれ!!
しかし、栄吉の願いは届かなかった。
ぴちゃっぴちゃっ
あの血が滴る不気味な音が、栄吉のいる部屋にやって来た。栄吉の心臓は爆発しそうなぐらいに跳ね上がった。必死に息を潜めて耐えるが、恐怖のあまり、心臓は止まりそうだった。
ぴちゃっぴちゃっ……
音は、栄吉が潜んでいるクローゼットの前で止まった。
カタンッ
クローゼットの扉に手をかける音が、やけに大きく響いた。
――もうだめだ……!!
栄吉は固く目を瞑り、自身の死を覚悟した。しかし、
「……?」
いつまでたっても、想像していたような恐ろしいことは起こらなかった。
栄吉はおかしいと思いながら、固く閉じていた目を開けた。そこにいたのは――
「あんた、こんなとこで何してんだ?」
燃えるような赤い髪と瞳を持った、青年だった。