第二十三夜 呪いの謎
健吾は自室にて、紅蓮と向き合って正座していた。
二人の周りには、先程までは散らかっていた漫画や教科書が乱雑に積み上げられ、山と化していた。不思議なことに、あの"心臓"たち以外で燃えたものは、何一つ無かった。焦げ跡すら残らなかったことを疑問に思った健吾は、その理由を紅蓮に問い詰めたのだが、
「俺が"赤の断罪者"だからだよ」
返ってきた答えは、健吾の疑問を更に深くするだけであった。
健吾は仕方がなく、自分たち二人が向かい合って座れるだけのスペースを作るために、漫画類を適当に積み上げて片付けた。そして紅蓮のために座布団まで用意したところで、健吾はようやく室内の猛烈な暑さを思い出した。
先程までは暑さを感じる余裕すら無かったものの、今ではこうして普通に汗をかき始めていた。
「――暑いのか? だったらそこの扇風機でも使ったらどうだ?」
額から流れる汗を拭っていると、紅蓮は健吾にそう言って、部屋の隅に置かれていた扇風機を指差した。健吾は言われるままに扇風機の電源を入れた。途端に、生ぬるいが少しだけ涼しい風が吹き始める。
しかしそこで、健吾はあることに気がついた。
「……紅蓮さん、暑くないんですか?」
室内は蒸し蒸しとした暑さに満たされているというのに、紅蓮は今朝と変わらず真っ黒なコートに身を包んでいた。
そんな紅蓮を改めて見た健吾は、見ているだけでも暑い、とでも言いたげな表情だった。
「んー、別に暑くはないな。気にするなよ」
「はあ……」
そう言った紅蓮に、健吾は納得できていない様子ではあったものの、気を取り直して話を始めようと咳払いをした。
「……えっと、それで、聞きたいことっていうのは……?」
「ああ、そうだったな」
不安げな健吾に、紅蓮は努めて優しく微笑むと、居ずまいを正して質問を始めた。
「単刀直入に聞くが、あの"心臓"が現れた原因に心当たりはあるか?」
「……あります」
健吾は躊躇いながらも、しっかりと質問に答えた。すると紅蓮は軽く目を閉じ、すぐに開いて健吾を射抜くような目でじっと見つめた。
「じゃあ、次の質問だ。あの"心臓"が現れた後で、何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと……」
二つ目の質問に、健吾は復唱しながら考えこんだ。が、すぐにあることを思い出して、顔を上げた。
「夢を、見ました」
「どんな?」
「たくさんの虫に囲まれて、金縛りみたいになって動けない夢、です」
その言葉を聞き、紅蓮は眉間に皺を寄せて考え込むような仕草をした。
「……嫌な夢だな、それ」
紅蓮のその呟きに、健吾は勢いよく首を縦に振った。
「じゃあ、その夢に出てきた虫っていうのは、どんなのがいたか覚えるか?」
そう問いかけられた健吾は、また改めて考え込んだ。あまりにも多くの虫がいたために、簡単には思い出せなかったからだ。
「……蜂、とかカブトムシ、クワガタ、カマキリ、ゴキブリ……あとは……」
思い出した虫の種類を挙げていくと、紅蓮は突然はっとした表情で顔を上げた。そして、
「――蟻はどうだった?」
「……っ」
紅蓮の的を射た言葉に、健吾は思わず絶句した。確かに紅蓮の言う通りであった。
あの思い出すのもおぞましい悪夢の中には、特に存在感があった蟻がいた。妙に黒光りしていたソレは、圧倒的な存在感と威圧感を健吾に与え、本来なら聴こえるはずのない刃をカチカチといわせる音を響かせていた。
「……っそうです。確かに、蟻もいました」
健吾は顔を真っ青にしてそう言った。微かに肩を震わせているのを見て、紅蓮は真剣な表情でこう言った。
「……一つだけ、どうしても分からないことがある」
その一言は、ほとんど独り言のような呟きであった。しかし、その言葉は不思議な響きを持って、健吾の耳に届いた。
「お前は虫を虐めて、その小さな命を冒涜したかもしれない。けどな、俺だってガキの頃には、虫を虐め殺したことがある。それこそ、今言った蟻とかもな」
紅蓮はそう言って腕を組むと、また言葉を続けた。
「それなのに、俺は虫から報復なんてものを受けたことがない。ましてや、あんな"呪い"みたいなものなんか――いや、待てよ? まさか……」
紅蓮はそう言うと、なぜか興奮様子で立ち上がった。それを見た健吾は驚き、若干体を逸らして紅蓮を見上げた。
「あの、紅蓮さん? 一体どうしたんですか?」
健吾は困惑げにそう聞いたが、紅蓮は健吾の声など聴こえていないかの様子であった。
「……そっか、そうだよな。よく考えてみれば、ちょっと虫を虐めたぐらいであんな"悪質"な呪いを受ける理由は無いんだよな。だってお前は――」
紅蓮は興奮気味にそうまくし立てると、炎の如く燃え盛る真紅の瞳を爛々と輝かせて、健吾を見つめた。
「お前は、蟻"しか"虐めてないんだからな」
その言葉に、健吾は力強く頷いて肯定した――