第二十二夜 死死
午後一時過ぎ。健吾は憂鬱な気分で自宅の門をくぐった。
ガラガラと玄関の引き戸を開け、ふとうつ向いていた顔を上げて見ると、そこには無表情の紅蓮が待ち構えていた。健吾は思わず息を呑んだ。
「おかえり、健吾。待ってたぜ」
紅蓮はそれだけ言うと、健吾に背中を向けて歩きだした。その後ろ姿は健吾に、ついて来いと命令しているようだった。
健吾は、表情の読めない紅蓮に言い様のない不安を感じた。あの"心臓"について何か分かったのか――祖母の渚から何か言われたのか――それとも、やはり自分は殺されてしまうのか――そういった疑問や不安が、ぐるぐると頭の中を巡った。
そんな健吾の心情を知ってか知らずか、紅蓮は何の前触れもなく立ち止まり、後ろに振り返った。それを見て、健吾はビクリと肩を揺らした。
「そんなに恐がんなよ。俺はお前に色々話を聞きたいだけだ。ひとまず、お前の部屋にお邪魔してもいいか?」
「……分かりました」
苦笑しながらそう言った紅蓮に、健吾は渋々といった面持ちで頷いた。それに満足したのか、紅蓮は再び歩きだした。
日が当たらないために、昼間なのにも関わらず薄暗い廊下をどんどん歩いて行くと、二人はやっと健吾の部屋の前にたどり着いた。
しかし、紅蓮は襖を開けようと手を伸ばしたところで、ピタリと手を止めた。そんな紅蓮を不思議に思った健吾は、上半身だけ右に傾けて紅蓮の手元を覗いた。が、何も変わったところは無かった。
少なくとも、健吾はそう思った。
「……あの、紅蓮……さん? どうかしたんですか?」
「……」
襖に手をかけたまま微動だにしない紅蓮に、健吾は不安を感じてそう呼びかけた。しかし、紅蓮は何も応えない。ただそのまま硬直している。
「……健吾、」
「はい?」
「お前、しばらくは部屋に入るな」
「え? 何で、ですか?」
「何ででもだ」
紅蓮はようやく口を開いた。しかし彼が口にした言葉は、健吾にとっては理解し難いものであった。
それに加えて健吾は、紅蓮の言葉に少なからず反感を覚えた。元々、第一印象が最悪だっただけに、その感情は膨れあがっていた。
「ここは俺の部屋ですよ? 何で入ったらいけないんですか? 理由を教えてくれないんなら、俺は入りますんで」
健吾はとうとう反抗心を爆発させ、紅蓮にそう切り込んだ。すると紅蓮は、やっと顔だけ後ろに振り返った。
その表情は、何の感情も宿していない、冷たい無表情であった。
そんな紅蓮に少し狼狽えつつも、健吾はさらに反抗を重ねた。
「退いて下さい。俺が開けますから!」
健吾は紅蓮を押し退けて襖に手をかけた。すると紅蓮は、意外にも全く抵抗はしなかった。しかし、尚も無表情なままで健吾にこう言った。
「お前、絶対後悔するぞ」
それはひどく冷たい声色だった。
健吾はその声を聴かなかったことにし、乱暴に一気に襖を開き、室内を見た。
「……っ」
健吾はその途端、言葉を失った。室内には、今朝と同じように漫画や教科書が散乱しており、見るからに散らかった部屋であった。
ただし、唯一違うところと言えば、
「――"心臓"だらけ、だな。流石の俺も、吐きそうなぐらいに気持ち悪いよ」
紅蓮の言葉通り、室内には無数のあの"心臓"のような物が生えていた。
ある物は茶色の勉強机の側面に、ある物は漫画が敷き詰められた本棚に――おびただしい数の"心臓"が至る場所にへばり付いて、ドクドクと脈打つその姿は、健吾に絶望を与えていた。
その数は実に――
「――四十四……死死っていうことか? やべえな、コレは」
紅蓮のそんな呟きは、健吾の耳には届かなかった。ただ絶望の二文字を頭に浮かべながら、放心状態でその場に棒立ちになっていた。
「――け、て」
「……ん?」
しばらく重苦しく黙りこんでいた健吾が、突然何か言葉を発した。しかし、紅蓮は正確に聞き取ることが出来ず、首をひねった。
「たす、けて……下さ、い……。俺が、何で、こんな目に……」
「……」
健吾は恐怖に顔を歪め、涙ながらにそう訴えた。まだ十四歳の少年には、この現実は耐え難いものであった。
泣きじゃくりながらその場に座り込んでしまった健吾に、紅蓮は僅かに瞠目した。
しかしすぐに気を取り直すと、健吾の目線までしゃがんでこう語りかけた。
「お前、何でこうなったのか心当たりあるか?」
「……あり、ます……」
「それを俺に話してくれるか?」
「話し、ますっ」
涙を拭いながらそう応えた健吾に、紅蓮は満足そうに微かに笑った。
「……じゃあ、話し合おうぜ。今から、ここで」
「……っここでですか!?」
紅蓮の驚くべき発言に、健吾は思わず泣くことも忘れて顔を上げた。その表情は、明らかに信じられない、とでも言いたげであった。
それでも紅蓮は発言を撤回しなかった。ただ"心臓"まみれの畳の室内を見渡し、全ての"心臓"を一つ一つ睨みつけた。そして、
「――燃え尽きろ」
紅蓮がそう言った瞬間、部屋中が真っ赤に染め上がった。
「ひっ」
健吾は思わず体を反らして廊下にまで後退し、できる限り部屋から離れた。そして廊下の壁に背中を預けながら、真っ赤に染まった自分の部屋を凝視した。
真っ赤に染まったのは、正確に言えば部屋中を蹂躙する"心臓"だけであった。紅蓮の言葉と同時に全ての"心臓"が真っ赤な炎に包まれたのだ。
その炎は、情け容赦なく"心臓"のみを燃やしていく。
「――これで、しばらくは時間稼ぎになるだろ」
紅蓮はそう呟いて、怯えた様子の健吾に振り返った。そしてニッコリと笑いかけると、こう言った。
「それじゃあ、炎が消えたら話を聞かせてもらおうか、健吾くん?」
この時の紅蓮は、健吾には天使の笑みを浮かべる悪魔にしか見えなかった――