第十七夜 終幕
梶山穂香は、いたって普通の女子高生である。少なくとも、一月前のあの出来事さえなければ、今でも変わりなく普通であっただろう。
彼女には、隠れた趣味があった。
それは、占いであった。とは言えど、せいぜい星占いやタロット占い、もしくは手相占いといった、一般的な占いであった。
べつに隠すほどの趣味ではない。しかし彼女の場合は、隠さなければならない理由があった。
彼女が占うのは、自分自身の運勢などではなく、他人の運勢であった。しかも、とりわけ運勢が"悪い"人を占うのを好んでいた。
彼女は運勢が悪い人を観察し、その人に何か悪いことがあれば隠れて笑い、何もなければ悔しがっていた。そういう、歪んだ趣味を持っていたのである。
そんな穂香は、ずっと昔から興味を持っていた占いがあった。
それは、知る人ぞ知る"コックリさん"であった。
ところが、この占いは一人ではできない。それに加え、実行すれば呪われるなどという噂もあった。
だからこそ、彼女は殆ど諦めていた。引っ込み思案な自分を誘ってくれる人などいないし、何より、今時そんな占いをする人などいるはずがない。
そう自分に言い聞かせて、穂香は己を自制していたのだった。
ところが意外なことに、穂香を誘って"コックリさん"をしようとする人物が、あっさりと現れた。
その人物とは、他でもない日渡明菜であった。
***
「――穂香! ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
「何?」
「一緒に"コックリさん"をしてくれない?」
一月前の学校の昼休み、穂香の親友日渡明菜は、拝むように手を合わせて彼女にそう頼んだ。
この時の穂香は、表情には出さなかったものの、言い表しようのない興奮を抑えてきれなかった。
今まで、ずっとやりたいと思いながらもできなかった"コックリさん"。それをついにすることがてきると思うと、心が満ち足りていく気がした。
「……ちょっと怖いけど……少しだけならいいよ?」
「本当!? ありがとう穂香! 大好き!!」
穂香の気も知らずに、明菜は無邪気に彼女に抱きついて喜んだ。抱きついてきた明菜を受け止めながら、穂香は必死ににやけそうになる顔を引き締めていた。
結局、その"コックリさん"は成功だった。しかし、ある意味では"失敗"だったのかもしれない。
穂香は、明菜ともう一人の友人と三人で"コックリさん"をおこなった。
使用した場所は放課後の自分たちの教室だった。三人は教室の真ん中に位置する明菜の机を囲んでいた。
明菜はその机に、五十音順に全ての平仮名と、"はい"と"いいえ"を書いた白い紙と、十円玉を置いた。そしてその上に、三人は右の人差し指をそっとあてて、"コックリさん"の儀式を始めた。
「コックリさんコックリさん、いらっしゃいましたら、"はい"のほうへお進み下さい」
三人を代表して明菜がそう言うと、十円玉はゆっくりと"はい"の上にすべり、ピタリと止まった。
たったのこれだけで、三人は大興奮だった。
「今の見た!? 見たよね!!」
「本当に動いたよ!?」
「すごいね、びっくりだよ!」
三人はそれぞれの感想を気が済むまで言い合うと、また質問を始めた。
質問の内容は、今度の試験の結果や、誰が誰を好きなのかなど、女子校生らしい他愛もないものであった。それらの質問は一時間にもおよび、最後には全員が興奮でくたくたに疲れきっていた。
「――そろそろ終わろっか?」
「そうだねー」
「うん」
三人はそう言い合って、"コックリさん"を終わらせようとした。
――しかし、それは叶わなかった。
「コックリさんコックリさん、お帰り下さ……きゃあっ!!」
「きゃっ!!」
「えっ!?」
明菜は、終了の合言葉を唱える直前で、思わず小さな悲鳴をあげた。他の二人も同じだった。
三人は、同時に十円玉から指を離してしまった。
その理由は、突然開いていないはずの窓から、三人に向かって突風が吹いてきたからであった。そのせいで、使っていた十円玉と紙は吹き飛んでまった。
三人は呆然とし、しばらくの間は硬直状態でいた。その間は、痛いぐらいの沈黙がその場を支配した。
「……帰ろう」
ポツリと、痛々しい静寂を破ったのは、意外なことに穂香であった。
他の二人は無言で何度も頷き、自分の学生鞄を掴んで教室を飛び出した。穂香もそれに続いた。
しかし、この時すでに、梶山穂香という名の少女の"人格"は失われていた。
***
「――その時のコックリさんで呼び出された霊は、この『予知鏡』に取り憑いていた霊だった」
「それで、梶山に取り憑いたってわけだな」
穂香は震えていた。
紅蓮と雪夜は今までと全く変わらず、無感情な目で穂香を見ている。それが何よりも恐ろしかった。
「――わ、私を、消すの……?」
穂香は震える声でそう問いかけた。その一言は、彼らの言葉を認めたことを意味していた。
「……どうする?」
「……どうもしない」
雪夜は紅蓮に応えて、改めて穂香を睨む。穂香はビクリと肩を揺らした。
「……あんたは梶山に取り憑いた後は、生前望んでいたような普通の学校生活を送っていた。だが、取り憑いて二週間ほど過ぎた頃に、久本たちが薬を流している現場を目撃した」
雪夜の言葉に、穂香は表情を曇らせたまま、無言で頷いた。
「あんたは初めはよく分からなかったんだろ? あれが何だったのか」
「……はい」
穂香はまた肯定した。
「あんたは大した意味もなく、そのことを日渡に話した」
「……」
穂香は雪夜から目を背けて、何も応えない。しかし、それに構わず雪夜は続けた。
「日渡はあんたが見たものを確かめるために、オカルト研究会の部室に行き、そして本当に薬を見つけてしまった」
「……運が悪かったんだろうな」
紅蓮は苦々しげにそう呟いた。それに雪夜も頷く。
「その後大体さっき話した通りだ。……だが、一つだけどうしても理解できないことがある」
雪夜はいかにも不思議そうな表情で言った。
「あんたが何で梶山に取り憑いたのかっていうのは、俺たちは特に気にしちゃいない。死者は大抵生に執着するものだからな。
――だが、なぜあんたは梶山穂香の器を借りた状態でも尚、『予知鏡』であり続けた? 普通に生活してれば良かったじゃねえか」
雪夜は若干苛立った様子で穂香を睨んだ。彼はどうやら、自分に理解できないことがあるのをとりわけ嫌っているようであった。
そんな雪夜に瞠目した穂香だったが、恐る恐るといった様子でその質問に答えた。
「……理由は二つあります。一つは、明菜ちゃんが期待していたから。もう一つは……逃げて欲しかったから……です」
穂香はそう答えると、自分の後ろにある鏡に向き合い、右手でそっと触れた。
鏡には、穂香一人の姿が映しだされている。黒髪の二つの三つ編みを垂らした一見地味な少女――梶山穂香は、自分の姿を見て自嘲的に微笑んだ。
"彼女"は理解していた。自分がどれだけ生に執着し、この梶山穂香という名の少女に取り憑いても、自分は二度と生き返ることができないことを。
それでも、"彼女"が穂香に取り憑いた理由。それは、穂香が"彼女"自身と似ていると感じたからだった。
「――私は生前から不思議な能力を持っていたんです。それは、"未来予知"の能力でした」
"彼女"は鏡を見つめたまま、まるで独り言のように語り始めた。それは、"彼女"がずっと前から誰かに話したいと思っていたことであった。
「私はこの能力を、一種の占いだと考えていました。だから、友達には占いだと言って、予知したことを教えてあげたりしました。――だけど」
「……化け物だと言われるようになった、のか?」
紅蓮の問いかけに、"彼女"は無言で頷いた。
「私はいつしか化け物と称され、苛められるようになりました。それがすごく辛くて……私は結局、この鏡の前で自殺を図りました。……頸動脈をカッターで切って」
"彼女"は自分が切りつけた首筋にそっと触れた。当然だが、今の"彼女"の体は穂香のものなので、触れても傷一つ無かった。
「……それからの私は、この鏡に取り憑いて、夜になると映った人の未来の姿を映すようになりました。……私の能力を証明するために」
「……それが、『予知鏡』の始まり、か」
雪夜はそう呟いて天井を仰いだ。そして深い溜め息をついた。
「あんたは、これからどうするんだ? 念のために言っておくが、俺たちは"人殺し"以外は殺せない。だから、あんたがその梶山穂香から出ていくなら、俺たちの仕事は終わるんだが」
雪夜のその言葉に、"彼女"は意外げな表情で目を瞬かせた。てっきり、全てが終わった後に自分も消されると思っていたからだった。
「なんだよ、その顔は。あんたを消したら、ついでに梶山まで消しちまうだろ? さっさと出ていって、成仏しちまえよ」
雪夜は鬱陶しげに手をひらひらと振りながら、ぞんざいな物言いで"彼女"の背中を後押しした。それに驚き、"彼女"はさらに困惑した。
すると、今度は紅蓮が"彼女"に安心させるようにこう言った。
「心配しなくても大丈夫だよ。雪夜は意外に女には優しいんだよ。今だって、単に照れ「黙れよこの野郎」へいへい」
紅蓮の言葉を遮った雪夜は、照れ臭そうにそっぽを向いた。それを見て、"彼女"は微かに微笑んだ。
「ありがとう、ございました。私、なんだか成仏できそう」
「それは良かった。……じゃあ、いつか、な」
「はい。……穂香ちゃんをよろしくお願いします」
"彼女"は最後にそう言うと、穂香の中からすっと消えてしまった――
***
「――なあ、雪夜」
「んだよ。俺はさっさと済ませて着替えてーんだよ」
旧校舎を後にした紅蓮と雪夜は、穂香を家まで送り届けた後、ある場所を目指して夜道を歩いていた。
夜道とは言っても、あと一時間もすれば日が昇るだろう。二人は急ぎ足で街灯に照らされた、人通りの全くない路地を歩いていく。
「結局さ、"あの子"の名前、聞くの忘れてたよな」
紅蓮はしまった、とでも言いたげな様子でそう言った。それに対し、雪夜は大したことじゃないといった表情だった。
「そんなに気になるのか?」
「んー、何となく」
紅蓮の曖昧な返事に、雪夜は深い溜め息をついた。
二人は会話をしながらも、ペースを緩めることなく暗く埃っぽい路地裏に入った。そんな中でも雪夜はひたすら、固まりかけた血でベッタリのシャツを気にしていた。
「……飯島穂香」
「……へ?」
突然そう答えた雪夜に、紅蓮は思わず間の抜けた声を出した。そして驚いた様子で、右隣を歩く雪夜を見る。
「何だよ、知ってるんじゃないか」
「……まあな」
「何で知ってるんだ? 調べたのか?」
そう聞かれ、雪夜はピタリと足を止めた。ふいをつかれたものの、紅蓮もそれに倣って急停止した。
ほんの数秒間、沈黙が続いた。
「……知りたいか?」
「ああ」
雪夜は軽く深呼吸をして、何かを決意するかのように口を開いた。
「元クラスメイトだ」
第二章終わり