第十五夜 悪魔の囁き
紅蓮と穂香の視線の先には、オカルト研究会部長であり、穂香のクラスメイト――久本純平が無表情で立っていた。
久本は真っ黒はブカブカのローブのようなものを着ていた。いつもの天然パーマは意外にも落ち着いた状態に保っており、黒縁眼鏡が妖しく光っていた。
穂香はそんな久本を、信じられない思いで、ただただ呆然として凝視していた。
しかし穂香は、驚く一方で、なぜか冷静に思考していた。
穂香が注目したのは、久本が着ている真っ黒なローブだった。
――あの真っ黒なローブ……まさか、さっきの"アレ"は……?
「――久本くん……なの? 雪夜くんを殺したのは……?」
穂香はそう呟くように――そして、確信を持って問いかけた。
すると久本は、無表情から一変して、ニヤリと口元を歪めた。
「そうだよ、梶山さん。僕があの男を殺したんだ」
その言葉に、穂香は凍りついた。
「随分と調子に乗ってるみたいだな、久本。これから自分たちがどうなるのか分かってんのか?」
「焼き殺す……とでも言いたいのかい? それは無理だな」
「……」
久本は自信満々な様子でそう言いきった。それに対し、紅蓮は苦々しげに眉を寄せた。
「君たち"断罪者"の能力は、両方ともが"生存"していてやっと使える特殊能力だと聞いているよ。つまり、今の君は無力だ」
「……よく知ってんな」
紅蓮は殺気のこもった目で久本を睨みつけた。その殺気に一瞬怯んだ久本だったが、すぐに気を取り直して話を続けた。
「君たちはあの日渡さんに依頼されてここに来たんだと言っていたね」
「ああ。それがどうした?」
紅蓮がそう聞き返すと、久本はさらに口元をつり上げた。
「正直言って、意外だったよ。君たちは金で動くと噂で聞いていたんだけれど」
久本はゆっくりと、階段を一段一段下りながらそうからかうように言った。
それを見て、穂香は紅蓮の袖を掴んだ手を緩め、後ずさった。
「……俺たちは依頼主の懐事情を考慮して仕事してんだよ。――それに、日渡明菜は俺たちに依頼をするためにお前らから金をもらったんだからな」
「え……?」
――明菜ちゃんが、久本くんたちからお金を受け取った?
穂香は、紅蓮の言葉が信じられなかった。明菜はそんな下劣なことはしない、と信じていたからだった。
「お前の家、結構な金持ちらしいじゃねえか。高校生にとっては大金の三十万、きちんと払ったらしいな」
「……ああ、そうだよ。かなりムカついたけどね。でも、」
久本はそう言葉を切ると、懐から血がこびりついた庖丁を取り出した。
それは紛れもなく、あの雪夜を刺し殺した庖丁だった。
穂香はそれを見て、足がすくむのを感じた。雪夜が殺されるあの光景を思い出したからだ。
「今となっては日渡さんには感謝しているよ。実は僕、前々から人を殺してみたかったんだよね。その願望がさっき叶った。本当に感謝しているよ」
「……っ!!」
久本のその言葉に、穂香は言い表しようのない怒りを感じた。思わず袖を掴む手を握りしめ、唇を噛み締めた。
「……そうかい。なら良かったな。――ところで久本、それと宮原、そろそろ解決編に入るぜ。いい加減お喋りもこのぐらいにしておかないと、"あいつ"がぶちギレるじゃねえか。なあ――」
紅蓮はそう言って、嬉しそうな笑みを浮かべて久本の後ろを見上げた。
その時、穂香は何となくではあったが、"こうなる"ことを予想していた。やはり、彼らは二人一緒でなければならない――
未だに二人が共に行動しているところを見たことがない穂香ではあったが、そう本能的に察していた。
だからこそ穂香は、彼が復活したことを知っても、もう驚くことはなかった。ただ普通に、平常心で彼を見上げ、微笑んだ。
「雪夜」
そこにいたのは、見慣れた深い青色の青年、雪夜であった――
***
「――久本いる? 日渡だけど、この間の噂は……って、何やってんのよあんたたち」
これは、明菜が殺される一週間ほど前の出来事だった。
明菜はその日の放課後、いつも出入りしているオカルト研究会の部室に訪れた。ノックもそこそこにガラリと扉を開け、明菜の視界に飛び込んできたもの。
それは、この部室の主久本と、演劇部部長の宮原。そして、
「……何それ。まさか、薬?」
「こ、これは、違うんだよ日渡さん! これはただの風邪薬で……」
真っ白な粉や色とりどりの錠剤が入った紙袋が、机に山積みになっていた。
その机を挟んで向かい合っていた久本と宮原は、大慌てで明菜に言い訳をした。
しかし、明菜は全く聞く耳を持たなかった。ただその山積みになった薬を凝視し、無言で歩み寄ってその薬の一つを手に取った。
「……これって覚醒剤? それとも麻薬……いや、麻薬ならこんな薬っぽいのじゃなくて、植物みたいなものなんだっけ? 違法薬物だよね、これ……」
確信を持ってそう呟く明菜に、久本と宮原はうなだれた。もう誤魔化しようがないと悟ったからだった。
だが、それでも久本は諦めていなかった。誤魔化せないなら、仲間に引き込んでしまえばいい。そう思ったのだった。
「日渡さん、良かったらそれ、あげようか?」
「……はあ? 何言ってんのよ」
レンズ越しに見える真っ黒な瞳が妖しく光ったのを見て、明菜は思わず身を引いた。明らかに不快げな表情をしていた。
「例えば、今君が手に取っているそのピンクの錠剤。それ、"スピード"っていうんだ。見た目が可愛いから、女の子に人気なんだよ」
久本はそうセールスマンのように薦め始めた。すると段々、明菜の表情がこわばっていった。
それに構わず久本は言葉を続けた。
「それは覚醒剤ほど依存性もないし、ダイエットにも効くよ? 試験前とかに飲めば、頭も冴えて調子が良くなるし、それに「ふざけないでよ」……え」
言いつのろうとしていた久本の言葉を遮って、明菜は驚くほど冷たく低い声を出した。
それに驚いた久本、話すのをやめて彼女を凝視した。
「馬鹿なんじゃないの? そんな謳い文句には乗らないから。私はダイエットなんて興味ないし、成績にだって不満はない。むしろ、殆どの面で満足してるもの。
それなのに、何でわざわざ人生を棒に降るようなことをしなきゃならないの?」
明菜は怒りに満ちた目で久本と宮原を睨みつけると、二人に背を向けて部室を出ていこうとした。それに慌てて二人は立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「……何よ宮原さん。私はこれから帰るのよ」
腕を掴んで引き止めてきた宮原に、明菜は冷たくそう言った。それでも宮原は明菜の腕を離さなかった。
「ね、ねえ、まさかとは思うけど、このことを警察とかに言ったりはしないよね?」
「……さあ、どうだろ。気分次第かな」
この時、久本は理不尽にも、明菜を殺してやろうかと思った。しかし、この場で殺してしまったら、絶対に足がつくとも考えた。
仕方がなく、久本は妥協案を明菜に提案することにした。
「――日渡さん、お金とか欲しくないかな?」
***
「――という経緯で、お前らは日渡に金を渡したんだってな」
雪夜はそこまで言うと、呆然と固まってしまっている久本に一瞥をくれて、さっさと紅蓮と穂香の元に歩み寄った。
その歩みには一切の迷いもふらつきもなく、至って普通であった。
ただ一つだけ普通ではないところと言えば、雪夜の服だった。
雪夜は先程と同じように、真夏にも関わらず真っ黒なロングコートを着ていた。それ自体は普通だったが、その下に着ている真っ白なYシャツは違った。
それは以前の白からかけ離れて、真っ赤に染まっていた。その原因は、久本が馬乗りになって何度も刺したからに他ならなかった。
それなのに、雪夜はそれ以外の変化を全く見せない。
穂香は安堵と驚きが入り交じった表情で、目に涙を浮かべた。それに気づいた雪夜は、苦笑しながらも笑いかけた。
「……ったく……おい、紅蓮。お前、どうせならシャツの着替えぐらい用意してろよ。血でベタベタじゃねえか」
「俺は予言者じゃないんだから、お前が血でベタベタになるだなんて予想できるわけないだろ。コート貸してやったんだから大目に見ろよ」
――あのコート、雪夜くんに貸すために置いて行ったんだ。
余りにも緊張感の欠けた会話をする二人を目の前にして、穂香は思わず検討違いの感想を心の中でもらした。
場に似合わず和やかなムードを漂わせ始めた紅蓮たちに、とうとう久本が口を挟んだ。
「……一体どういうことなんだ!? 確かに何度も刺したし、手応えもあったのに!!」
「何よあいつ、化け物なの……?」
久本と宮原は、至極もっともな言葉をもらした。
それに対し、冷ややかな視線を向けたのは雪夜だった。
「残念だったな。俺は見ての通り生きてる。……でもまあ、痛かったけどな」
冗談めかしてそう答えた雪夜に、久本は顔を歪めて歯軋りした。その表情には、怒りと憎悪が宿っていた。
「そんなことはどうでもいいから、さっさと話を戻そうぜ」
「そうだな。あの馬鹿どもに一々付き合ってたら、話が全く進まない」
紅蓮と雪夜はそう言って、互いに頷き合った。
***
「お前たちはなんとか日渡明菜を説得し、たまたま部室に残してあった三十万を渡した」
「それは多分、薬を売りさばいて得た金だろうな」
紅蓮、そして雪夜が続いて語る真実は、穂香にとっては知りたいことでもあり、同時に知りたくもないことでもあった。
「日渡明菜は渋々ではあるが金を受け取り、その日は帰って行った」
「その後で、お前らは日渡を殺す計画を立てた」
二人の語りは流れるように続く。
「お前たちは日渡明菜のホラー好きを利用した」
「『予知鏡』の噂を日渡に吹き込んだのもお前だったらしいじゃねえか、久本」
雪夜に名前を呼ばれ、久本はビクリと肩を揺らした。
「日渡明菜は、お前に言われるままに『予知鏡』の噂を確かめに行った」
「それがある意味間違いだったな」
淀みのない語りは、徐々に核心に迫っていく。
「日渡明菜は『予知鏡』によって、未来の姿を映しだされた」
「その姿は、日渡自身の死んだ姿だった」
穂香は思わず身震いした。もしも自分が明菜だったなら――想像するだけでも、恐怖で身がすくんだ。
「日渡明菜は驚き、恐怖のあまり、その場から逃げ出した」
「その直後、血まみれの少女の幽霊に扮した宮原が、日渡を襲い、殺した」
そこまで語り終えたところで、紅蓮と雪夜は同時に溜め息をついた。そして、口を揃えてこう言った。
『茶番劇は終わりだ』
その一言は、ある種の死刑宣告のようでもあった――