第十三夜 現れた少女
「――これは、一体どういうことなんですか?」
「見ての通り……としか言いようがないな」
穂香は驚きとショックで思わずそう聞いたが、紅蓮は意味ありげな答えしか返さなかった。
二人の目の前には、静かに佇む等身大の鏡、そしてそれに映っている紅蓮の姿があった。
「……なあ、雪夜はこの鏡に姿を映してもらってああなったんだよな?」
「はい……。確かに、死んだ雪夜くんの姿が映っていました」
穂香はそう答えて身震いした。死んだ雪夜の姿を思い出したのだろう。微かに目尻に涙を浮かべている。
「……死んだ雪夜の姿は映したのに、俺の姿は映さない……これで謎は解けた。あとは仇討ちをすれば一件落着だな」
「仇討ち……ですか?」
「ああ。俺たちの親友を殺した"連中"に挨拶しに行くぞ」
紅蓮はそう言って、不安そうに顔を歪める穂香を安心させるように笑いかけた。
しかし、穂香は内心不安でいっぱいだった。出会ったばかりと比べて、紅蓮に対する信頼感は確かに強くなってきていた。
だが、だからこそ穂香は不安だった。いくらあの『予知鏡』に死んだ姿が映らなかったとはいえ、仇討ちが危険なことには変わりがない。
それに加え、穂香はある疑問を抱いていた。
――結局、明菜ちゃんを殺したのは誰なの?
鏡に背を向けてしまった紅蓮の後ろ姿を見ながら、穂香はそう心の中で呟いた。
しかし、紅蓮は何も言わない。
ただ黙って、穂香に背を向けている。
「……来た、か」
「え?」
穂香が考えを巡らせていると、突然紅蓮がそうぼそりと呟いた。それに驚いた穂香は、うつむいていた顔を上げて紅蓮を見上げた。
「穂香、"お客さん"のお出ましだ。俺の後ろに隠れてろよ」
「……それはどういう……あ!」
紅蓮の背中に隠れたままだった穂香は、何気なく体を横にずらして正面を見た。そして驚きの声をあげ、思わず紅蓮の白いYシャツの袖を掴んだ。
「……あ、あれは……」
穂香の視線は、下り階段に向いていた。そこは昨夜、穂香の親友が死んでいた場所であった。
しかし、今は違う人物がそこに横たわっていた。
――いや、正しくは、そこに何者かが這いつくばっていた。
その人物はまさしく、先程雪夜と共に穂香が遭遇した血まみれの少女であった。
「あ、あ、あ……」
穂香はその少女を再び目にしたことによる恐怖と驚きで混乱し、その場でガクガクと震えていた。
「……」
一方で、怯える穂香に対し、紅蓮はあくまで冷静だった。
紅蓮の背中に隠れている穂香からはその表情は窺えなかった。しかし、穂香は直感的に感じていた。
――紅蓮さんは、全然怯えていない……。
そう感じたことで、不思議と穂香は徐々にではあるが、落ち着きを取り戻しつつあった。
相変わらず紅蓮の背中に隠れてはいるものの、恐怖にも勝る好奇心に負け、穂香はその少女の様子を窺った。
その少女は先程遭遇した少女であることは間違いなかった。血がべっとりとついたセーラー服を着ていて、真っ黒な長い髪で顔を覆い隠している様は不気味だ。その右手には同じく真っ赤な血らしきものがこびりついた庖丁が握られており、それがさらに恐ろしさを増幅させている。
――あれ……?
そこまで細かく観察したところで、穂香はあることに気がついた。先程初めて遭遇した際は、気が動転していて全く気がつかなかったが、冷静になってみるとあることが気になった。
――恐くない……?
穂香は心の中でそう呟いた。そして、そう感じた理由を突き詰めてはっとした。
「――気づいたか?」
頭上から、紅蓮のそんな言葉が降ってきた。それに対し、穂香はじっと正面……正しくはその少女を見つめながら頷いた。
「……あの女の子……幽霊じゃないんですね」
穂香がそう自分に言い聞かせるように呟いた声は、不思議なぐらいにこの場に響いた。
それと同時にその少女が初めてピクリと反応し、肩を揺らした。
「いい加減にそんな馬鹿らしい芝居は止めたらどうなんだ? ――演劇部部長の宮原理香子さんよお」
「え……!?」
穂香は、紅蓮が口にしたその名に過剰なまでに反応を示した。
「嘘……? 本当に宮原さん、なの……?」
思わずそうもらした穂香に、その少女はまるで応えるかのようにゆっくりとその場に立ち上がった。
「――あーあ、バレちゃったか。自信あったのになあ」
「……っ!!」
そうはっきりと応えた少女……宮原は、ニィっと口元をつり上げて、被っていた鬘を乱暴に外した。
途端に露になったのは、鬘と同じく真っ黒な髪と、ダークブラウンの瞳だった。
肩口につくぐらいの黒髪に、一重瞼の少し小さめの瞳。容姿は良くも悪くも平凡であった。
ただ少し違うのは、その平凡な容姿に異様なぐらいに化粧を塗りたくっているところであろうか。ファンデーションにピンクのチーク、マスカラ、アイラインといった様々な化粧を施していた。
ちょうどいい頃合いに、窓からさしてきた月明かりに照らされて、その顔がはっきりと見えている。
穂香は絶句して紅蓮の脇に控えたまま、呆然としていた。
穂香は信じられなかった。なぜ宮原がこんな場所にいるのか。――いや、それよりも、なぜ彼女がわざわざ少女の幽霊のふりをして、自分たちを驚かせたのか。
そもそも、穂香は宮原とまともに向かい合うのは初めてであった。クラスメイトではないのだから、それはある意味仕方がないことだとも言える。
しかし、例え二人がクラスメイトであったとしても、それ以外に接点などなかったであろう。
「ど、どうして、宮原さんがこんな所に……?」
穂香は震える声でそう尋ねた。すると宮原は、大したことではないと言わんばかりの表情で、右手に握る庖丁を振りがら答えた。
「梶山さんがここに行こうとしてるって話を聞いちゃったからよ」
「はぁ?」
穂香はその言葉の意味が理解できずに、首を傾げた。
そうしていると、先程から黙っていた紅蓮がやっと口を開いた。その赤い瞳は鋭く光っていた。
「お前だな。日渡明菜を殺したのは」
「えっ」
紅蓮の突然の言葉に、穂香は驚きの声をあげて見上げた。しかし、紅蓮は穂香と目を合わせることはなかった。ただ真っ直ぐ、目の前の宮原を射抜くように睨んでいた。
宮原は、そんな紅蓮に一瞬怯んだものの、すぐに表情を戻してこう聞き返した。
「……何でそう思うの?」
そんな単純な一言であったが、その言葉には僅かな戸惑いと恐怖がこもっていた。
「俺は昨日までずっと、この高校の内部調査をしていた。理由は心霊関係の噂が多すぎだったからだ」
「……心霊関係の噂……ですか?」
復唱した穂香に、紅蓮は目も合わせずに頷いた。
「¨昔¨っからこの高校には妙な噂が出回っていた。トイレの花子さんやら一段多い魔の階段やらの有りがちな噂に加え、聞き慣れないような不可解な噂もあった。その一つが、この『予知鏡』だった」
紅蓮はそう言って、自分の後ろにあるその『予知鏡』をチラリと横目で見た。その時にはすでに、鏡は元通り紅蓮と穂香の後ろ姿を映しだしていた。
そのことを確認すると、紅蓮はまた正面の宮原に視線を戻した。
「そもそも俺たちがこの高校にいるのは、ある人物からこの鏡の調査と、¨もしも¨の時に助けてほしいという依頼を受けたからだ」
「……¨ある人物¨って誰よ」
それまで黙って聞いていた宮原が、やっと言葉を発した。その声は投げやりなようにも聴こえたが、考え方によっては不安を隠すために強がっているようにも聴こえた。
紅蓮はそんな宮原にニヤリと笑いかけると、その質問に答えた。
「日渡明菜だよ」