第一章 第六話
こうして、俺を失意のどん底に追いやっていた問題は、なんだか分からない過程を経て、思ってもみなかった結果だったが、一応落ち着いた。
さて死にそうになっていたところを助けたあのカラス、命名:クロウは、結局、俺の家に住みついてしまった。
親や家族も、俺が柄になく一生懸命看病をしているのを見ていたからか、宗太郎が面倒を見るならいいだろうと、クロウが家に居ることを許してくれた。
と言っても、カゴなんかに入れて飼っているのではない。
まあ、放し飼いというか、どっかに行ったと思うと、ふらっと帰ってきて、餌があったらそれを啄み、休みたかったら勝手に部屋の気に入ったところにとまって休みと、全く自由に暮らしている。
しかし驚いたのはあいつは頭良さ。カラスというのはこんなに頭良いのかと、何度も驚かされた。
たとえば家に入ろうとして、どこも閉めきってあったら、二階の俺の部屋の窓の手すりにとまってくちばしでつついて窓を開けさせるか、それでもダメなら、玄関の向かいの電線に留まっていて、家族の誰かが返ってきた時、一緒に玄関から入るかしてちゃんと家に帰ってくる。少なくとも猫か犬ぐらいのことは余裕でしている。
このようにクロウとの生活は、思った以上にスムーズに始まっていったのだが、問題は『お姫様』の方であった。
翌朝、俺が掃除に出て行くと、彼女はにこやかに待ってた。見ると彼女の手に箒があった。俺だけやらせるのは悪いからと、一緒に掃除するつもりで、自分の箒を持参してきたのだった。
清々しい朝、一人で単純作業に勤しみながら、色々物思いに耽るのも、間違いなくこの朝の掃除の魅力の一つだったし、美女というものは眺めるのは良くっても、側にいるとなると、チキンな俺はどうしてもテンパってしまう。
そしてきっといつか取り返しの付かない大失敗して、またもや目も当てられないような悲惨なるんじゃないかと、想像してしまうのだ。
ということで、どうにか一緒に掃除することだけは、遠慮してもらおうかとも思ったが、完全にやる気でいる彼女。今から言ってもどうも聞いてもらえそうになかったので、上手く断るの良い手も思いつかなかったので、仕様がないと申し出を受け入れた。
雰囲気からすると、何人もメイドさんがいて、全部、してもらっていそうなお嬢様なだが、新山さんはとても掃除が上手く、しかも早い。
結局、今までの三分の一ぐらいの時間で仕事は終わり、さあそれではと解散しよと思ったら、彼女は行こうとする僕を引き留めて、もってきたトートバックを見せた。
「あそこに致しましょう」
そして、そばの公園のベンチに案内され、結局俺は、言われるままにベンチに座った。
彼女はそんな僕にニッコリとほほ笑みかけ、徐にバックから包みを出すと、それに包んであったクッキーを出し、さらに水筒を引っ張り出して、小さなコップに紅茶をついだ。
彼女は掃除している間中も、こうしてお茶をしているときも、特にクロウが傍にいるときには、俺のことをじっと観察していた。
しかしこっちとしては、一緒にいるだけでも固くなるのに、あからさまに見詰められて、意識しないでなんかいられない。
俺が気もそぞろでソワソワしていると、クロウのやつも俺に寄り付こうとせず、結果、彼女の期待していた、俺とクロウとの絡みという状況に、なかなかならない。
初めはリラックスしてくださいね、と微笑んでいた彼女も、三日過ぎ四日過ぎ、一週間たってもどうしても「他人行儀」をやめない俺とクロウに、ため息をつくようになった。
いや、俺はわざとそうしているのではない。こんなに一生懸命な彼女に、抗おうという気はもうすでに失せているのだ。
だけど生来のあがり症の俺、彼女の様な美女の真っ直ぐな視線に平気で居られるようになるなど、数日で出来ることではないのだ。
彼女もそれが分かっているのか、俺に文句を言おうとはしなかった。でも、ふとした時、寂しそうな顔をするのを見るにつけ、こっちも思わずため息が出る。
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「おはよう」
「おはようございます」
女の子と二人で掃除するなどと、俺的には、全くもって妙なことになっての二週間、それはアッという間に過ぎていった。
そしてその朝も、彼女は、いつもの場所に行くと待っていた。
僕が彼女から預かっていた箒を渡すと、ハイとうけとると、さっさと掃除をはじめる彼女。
毎日やっているうちに、何となく決まってきた分担みたいなものに沿って、各自、掃除を進める。
ん? どうしたんだろ
しかし俺は朝の挨拶の時から、彼女の様子がいつもとちょっと違う気がしていた。微妙に上の空、どこか緊張している感じ。
仕事は、お互い初めの時よりずっと慣れてきたので、更に効率よく進み、あっという間に終わってしまう。
「今日はレモンティーにしてみました」
もう、すっかり習慣になりつつある朝のお茶会。気が付くとなんかホッとしている自分がそこにいた。
半月前には、絶対にありえないシチュエーションのはずなに、人間と言うのは結構、慣れるの早いものだと、感心してしまう。この分だと、もう少し頑張れば、彼女の期待に答えることが出来るかもしれないなどと考える。
でもそんな俺とは対照的に、最近、以前に比べ、さらに口数の少なくなったお姫様だった。どうも、俺的にはいい方に向かっているように思えていても、彼女の思惑通りとは違うみたいだった。
まあ、彼女が証明しようとしていること自体に問題があるのだ。
俺が何やら凄い「カラス使い」などというものであるというのは、正直、無理があるだろう。それを証明しようというのだから、行き詰るのは必然ということになる。
でもここにきて、俺の言い分が正しいということを素直には喜べなくなっていた。ガッカリする彼女を見たり、彼女の期待に沿えない自分がいたりすると、俺自身が意気消沈してしまうのだ。
「はい、では、今日はこれで」
空になったクッキーの入っていたバスケットを片付けながら、彼女はそう言った。
「じゃあ」
早朝の公園でお茶をした後、いつものようにじゃあと、彼女の箒を預かろうとすると、何故か彼女はそれに応じなかった。
「あのう、御深山さんにお願いがあるのですが」
「そうですか?」
…… なんだろう。
すっかり彼女の妙な興味に付き合わされているというより、俺の奉仕を一緒にやってくれる、有り難い同僚みたいな気分になっていたし、何だか沈みがちな彼女を見てて、何かできることがあるんだったら、手伝っても良いと思った。
「出来ることなら、何でもしますよ?」
そう答えると、彼女の真っ白な頬がほのかに色づいた。
「そ、そうですか?」
ホッとしたような、でいてもっと緊張したような変な反応。
「では、いきなりなので申し訳ありませんが、御深山さんのお宅の前まで、お供させていただいても良いですか?」
とりあえずと言う言葉が耳に残ったが、家に案内するだけなら、こんなに別に気合い入れて頼まなくても良いのにと思いながらも、良いですよと答えて、ほんの数分行ったところにある家まで、彼女を案内した。
築20年を超える建て売り住宅、そんなどこにでもある普通の家である我が家。ロケーションは田舎の駅ではあるが駅から近いので、生活に必要なものは、一応揃っているので不満はない。
「……こちらだったんですか」
ちょっと意外そうな声だったが、自転車をうちの家の前に置き、今度こそ、俺に持っていた箒を俺に託すと、行儀よく家の前に立った。
「あ、それじゃ」
「はい」
俺は新山さんを置いて、家に入る。
帰ると小学生の弟たちは朝食は、既に済ませたようで、俺の朝飯だけテーブルに置いてある。親父はもう出勤したようで、母さんはいつものように、ダイニングでどたばたやっていた。
朝飯をかき込むと、学校に行く準備をし、さあ行こうと玄関先に出たところ、小学生の弟たちが家を出るところだった。
「「いってきます」」
僕は出かける弟たちに、ぼそっと「行っていらっしゃい」と俺が言ったが、いつものようにあいつらは、特に答えるもなく玄関のドアをバンと開けて外に出た。
「いってらっしゃいませ」
「「あ、……いって、きます」」
開いた玄関ドアの向こうから、とても澄んだ、そして聞きなれた女の人の声で、弟たちを送る声がした。