第一章 第四話
スタンドをかけた自転車の傍らに、すっと立った美少女。彼女は俺をじっと見つめた。黒目がちのキラキラした目は、まるで宝石のように見えた。
本当に、お姫様だ、この人……
サラサラの長い髪が時折朝の風になびき、顔にかかる度、彼女はいかにも女の子って仕草で耳にかけた。その一つひとつが、この人の出自を何よりも説明しているように思えた。
「お、おはよう……ございます!」
「あ、い、いや……おはよう、ございます」
三度目の挨拶を受け、やっと俺は挨拶を返した。
朝の気持ちよい風が、頬を撫でる。こっちを見つめる目は時折揺れ、唇はピクピク動く。零れそうな言葉はなかなか音にはならない。
俺は俺で、いきなり女の子と、サシになっただけでもテンパッてしまうのに、今自分が置かれている状況が、余りにも分からな過ぎて、一体なんて言うことが相応しいのか、思いっきり混乱していた。
そうしているうちに、彼女の目がきゅっとこっちを睨んだ。俺がそれにビクッとした次の瞬間、透き通った声が聞こえた。
「あ、あのう、お加減、悪かったんですか?」
「……え?」
なぜに、なぜそういう話になる???
親しい友達ならまだしも、初対面の俺に見舞いの言葉。俺はビックリして、増々、混乱の度合いが増す。
戸惑う俺を見て、一瞬視線を泳がした彼女だったが、彼女は一人で気合を入れると、ずんずんと歩いて俺の真正面に立った。
「ご病気でいらしたの? もう大丈夫なんですか?」
心配そうな、でいて、端々に緊張が見え隠れする声色だった。
「いいえ、別に。っていうより、病気って、誰が?」
「誰って……。貴方のことです。だって、ここ一週間、掃除なさらなかったから」
「俺はずっと元気でした」
ただ淡々と事実だけを口にした。色々考えてより良い答えを準備するには、今の俺では到底無理だ。
「そ、そうですか、じゃあ、なぜ……お掃除」
「なぜって、…… まあ、色々と立てこんでて……」
質問が終わる前に畳み掛けた。掃除をしなかったのはカラスを看病していたからだが、今回、カラスを看病することが、一般人にはどれほどナンセンスなことであるか、子どもたちとのことや、動物病院を探すにあたって、とことん知らされた。まして、こんなお嬢様がそれを知ったらどうなるか。
だから、これ以上状況を悪くしたくない……。
ここまで来るのに少なからず感傷的になっていた俺は、もうこれ以上の惨めな気分に追い込まれ、ダメージをうけるのは、正直、勘弁して欲しかった。
それに、紛いなりにも憧れていた人が、あいつのことをゴミみたいに見下すような顔をするのも、絶対に見たくない。
「何でもないです。そもそも、なぜ貴女が、俺の体調のことなんか気にするんですか?」
苛立ちに声が硬くなった。突き放すような俺の言い様に、彼女はキュンと小さくなってしまった。深窓のご令嬢的余裕みたいなものはにわかに消え、狼狽えている様子が少なからず伝わってきた。今度は言い過ぎたと、背中に嫌な汗が流れる。
やることなすこと裏目に出て、もうこれは無理だと、逃げ出そうかなと破壊的なことを考えていると、耳元でまた澄んだ声がした。
「…… 申し訳ありませんでした。」
「え?」
彼女の発した声は、さっきとはずっと違った、静かで、そして沈痛な声だった。そして、俺に向かって見事な最敬礼をした。
「ご挨拶もせずに、逃げるように行ってしまうなんて」
挨拶をせずにって、…… やっぱ、この間のことだよな? でも、なんでこの人は謝るのか? あれこれ考えていると、それを察したのか、少女は説明を始めた。
「あ、あのう、折角、立派なことをされているのに、水を差すようなことをしてしまいました。御奉仕の手を止めさせた上、今日もこんなに時間を取ってしまって、本当にご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。」
「いや、あの」
「もう、わたし、これからは決してお邪魔しませんから、どうぞこれからもがんばってください。陰ながら応援させて……」
そこまで言って、彼女は急に言葉を詰まらせた。なんだか、唇噛んでるし。そこまでいって、彼女はきゅっと両手を握るとパッと顔を上げた。
「ですけど、わたし、貴方がカラスとお話ししてらっしゃるのを拝見して、もしやしてと」
「ええええ!! あ、いや、あれは、ただ」
もう、しっかり見られていたのか? あの時、やっぱ誤魔化しきれなかったんだ。
”カラスと戯れる、何のとりえもない男子高校生の図”
可愛い子供とか、綺麗なお姉さんが、精悍な犬やふかふかの猫と戯れているなら絵になるだろう。しかし、不細工でチビなブサメン男子が、寄りによって嫌われ者のカラスと戯れているなんて、イタさマックス。完全に失笑もの。
じゃあ、こんなに丁寧な言い様は、きっと俺をからかってなのか? このちぐはぐさを説明するには、もうそれぐらしか思いつかなかった。
目の前にいる少女は、正直言って、俺がリアルで出会ったどんな女の子より、美しかった。
絹糸のような髪、白磁の様な頬、宝石のような目、顔かたちそのパーツ一つひとつ、あまり美に対して感性があるとは言えない俺でさえ、ドキドキするほど綺麗な少女。そんな美の前に、俺はどこまで「醜」なのだろう。
もうダメだと、くびすを返して走り去ろうとした時だった。いきなりバサバサと羽音がしたと思ったら、突然黒い影が現れ、こともあろうに目の前の女の子にぶつかっていった。
「キャッ!!」
「えっ!!」
見ると俺の足元には、カラスがおり体を膨らましたり、カーカーと喚いたりして、明らかに威嚇していた。
そいつは俺んちのカラス。怪我の跡とかですぐわかる。
……ま、まずい
ありえない、絶対にありえない。
こんなピンチなんて、ゲームの中でも夢の中でもないぞ!
これで俺とカラスの関係は、まぎれもない事実として、完全に証明されたではないか!
俺は、刀を振りかぶった敵に、まさに「たすき掛け」に一刀両断されようとしている者のように、絶望と悲壮な覚悟を胸に、絶対零度のなさげすみの言葉を覚悟しつつ、震えながら少女の顔に目を向けた。
「すごーいい!!!」
そこで見た表情は、冷たい刃の様な断罪する眼差しではなかった。いや、目をキラキラさせ、今までのキャラと違うんじゃないかと思えるほど、完全に上気したピンクの顔があった。彼女は両掌を合わせ、興奮した顔で立っていた。
「やっぱり、そうだったんですね」
「やっぱりって??」
「本当に『ホウキさん』は、『カラス使い』だったんですね!!」
…… ホウキさん? カラス使い??
俺の混乱度は、ここに至って未知の領域に突入した。