第一章 第二話
流石に三年になると、教室の雰囲気もだいぶ変わってくる。
受験が現実的になった心理的なことに加え、授業も選択授業が多くなり、コマごとにしょっちゅう移動することになる。
それだからか、みんななんだか気忙しい感じになり、ゆっくり行きたい俺としては、ちょっとチグハグな気分になることが以前にも増して多くなっていた。
それに移動が多いと、クラスとしての仲間意識を持つの難しくなり、周りの人との関係も薄くなりがち。兎に角、新しいスタイルにちょっと置いてけぼりの俺だった。
ホームルームが終わり、そんなことをごちゃごちゃと考えていると、いきなり俺の横に人が立った。
「宗太郎、おまえ、ここじゃないだろ」
名前を呼ばれて「へ?」と思って顔を上げると、俺と同じ科学部の浩介が怪訝な顔をしてこっちを見ていた。なんでクラスの違うお前がここにいる……と、良い層になってハッとする。
「あ、そうだった、すまん」
「おら、ボーっとすんな!」
浩介に背中をドンと突かれ、俺はそうだそうだ、これから理科室に行くんだったと、頭かきながら、そそくさと教室を出て理科室に向かった。
万事がボーっとしている、新学年な俺だった。
***
一応だば、俺は科学部に籍を置いている。部室は今、授業が行われているこの理科室。結構色々と面白そうなものがそろったここ理科室ではあるが、俺はたまにしか顔を出さない。
いや科学部自体も、文化祭の前ぐらいにしかまともに活動しない。そんなやる気のない部活だ。
メンバーは全員で十人。三年3人、二年2人、一年5人、男女比は7対3。三年は俺と浩介と三上澄子という女子。ちなみに三上は生徒会長で、ほとんど科学部には顔を出さないが。
「化学結合には、イオン結合と、共有結合と……」
あーあ、退屈……
理科室の窓からは、グランドが良く見える。女子が体育をしていた。
なんかみんな楽しそうだなあ……。
はしゃぎながら体育の授業に興じている女子を横目で見ながら、どっと疲れを感じた。
あいつら、間違いなく俺なんかより何倍も高校生活楽しんでる。
そう思うと、自然とため息が出る。俺だって、高校受験をどうにか勝ち抜き、ここに来たときにはそれなりの夢があった。みんなでワイワイやりながら、充実した高校生活を間違いなく遅れると信じてやまなかった。しかし、実際はどうだったか?
俺は勉強ができるわけでも、スポーツができるわけでもない。ルックスも並み以下だし、金も力も無い無い尽くし。
こんなこと誰にも話したことはないが、俺みたいなブサメンには、女の子だっていうだけでキラキラ輝いて見える。というか俺が男であるという時点で、すでにかなりのビハインドだと思う。
確かに男でもすごいやつがいないわけではない。でも、そいつらはみな、何がしか周りより頭一つ抜け出している。
そう、スポーツできるとか勉強できるとか、イケメンだとか。でも、そんな奴はそう多いわけではない。そして大多数の普通以下の男は、何とも報われないのが今の世の中である。
でも女の子はそうではないと思う。女の子のほうが、ずっとチャンスがあるに違いない!と俺は信じている。
結果、平均をとると、絶対に男のほうがキラキラしづらくビハインドがあるという、結論に至るのだ。
で入学したての俺は、どのみち「キラキラ」出来ると思えてたのか?
本気で期待していた二年前の自分が脳裏によみがえり、あまりにも愚かしく思えてくる今日この頃。
「じゃあ、今日はここまで」
「起立」
「礼」
俺は号令の声であわてて立ち上がると、またやったと、冷や汗を流しながら礼をした。
******
「もう少しだな」
掃いてきた方に振り返り、汗をぬぐいながらそうつぶやいた。
学校の生活では、色々あるわけだが、俺は朝の掃除は変わらず続けていた。というか、最近では、いくらやっても手ごたえのない学校での毎日に比べ、ここの掃除は成果が一目瞭然、それに時にみんなに感謝されたりという気持ち良いオマケもついているので、やりがいみたいなものを感じるようになっていた。
それに加え、二つの俺のモティベーターがここにはある。言うまでもない、小さな話し友達とあのお姫様だ。
と言う訳で、今日も掃除をしているのだが、今日に限っては、小さなとは言い難い話し友達だった。なんせ相手は大柄なカラスなのだから。
「こら、おまえ、ちょっと警戒心なさすぎ」
足元にまとわりつく有り得ないほどフレンドリーなカラス。その警戒心の無さは明らかに野生動物失格である。
ちょっと脅してやろうと手を伸ばすも、延べられた手から逃げるどころか、かえって撫でてやると気持ち良さそうにしている。
黒光りしている背中。かなり大きな嘴。セキレイなんかと比べると受ける印象が全く違う。
もしかしたらこいつ、どこかの「飼いガラス」なのか?
小鳥は可愛いがこれぐらい大きくなると迫力がある。そんなやつが、見てくれとは全然違って、子猫のようにしているのだらほんと笑えた。
「お、そうだ」
俺はちょっと待ってろと、箒とカラスをそこに置いて家に急いで戻ると、まだ誰もいない台所から、昨日の夕食の残りの焼き魚を一切れ持ってきた。
「これ、食べな」
魚のしっぽを持って差し出すと、カラスはそれに食らいつき、俺が持つ魚をそのまま啄んで食べる。
なんだかこの慣れ具合、カラスと言うよりか犬みたいだと思いながら見ているうちに、そういえばカラスはとても頭が良いらしいけど、こいつも犬みたいに、なんか芸でもするかなとか、適当なことが思いつく。
「おまえ、どこ住んでるの?」
話しかけると、自分に話されていることが分かるかのように、体を振って見せたり、そこら辺りをピョンピョントンで回ったりする。
これはマジで、芸でも仕込めるかもしれないなどと考え始めたところで、後ろでキキッと鋭い音がした。俺は反射的に音のほうに振り向く。
「ヒェ、あっ……」
俺の口から思わずこぼれた妙な声。
振り向いた先には、目を丸くした見慣れた顔……正確にはその横顔と後ろ姿を毎日見ている、あの「自転車姫」が、自転車を止めてこっちをじっと見ていた。
と同時に、カラスのやつ、羽をバサバサ羽ばたかせたかと思うと、あっという間に、どこかに飛んで行ってしまった。
「お、おい!」
置いてけぼりの俺。
あんなにフレンドリーだったのに、飛んでいくときにあいつは、日頃、ゴミ集積所をあさってるような、荒々しい野生のカラスそのものだった。いきなり態度変えたカラスのやつに、これまた驚いて思わず大きな声が出てしまった。
俺はカラスを見送ったまま、これからどうフォローしようかと考えあぐね、空を仰いで固まってしまった俺。
あまりにも不意打ち過ぎる。こういうのがめっぽう弱い俺なのだ。
挨拶なり言い訳なり何か言わなければと考えるほど、頭の動きは更に鈍くなる。とにかく切り抜けねばと思って、一つ咳払いをすると、その人のほうに向き直った。
……ほんと、お姫様だ
改めて見ると、その人は雪のように真っ白な肌をした、大きなぱっちりとした目と小さなピンクの唇が、美しい芸術品のように「配置」されている顔だった。
ただ、そこれらには全く動きはなく、なんだか冷ややかで無表情に見える。俺は美しさにしろ、その表情の硬さにしろ今まで直視したことのないレベルのものだったので、頭の空転は絶望的に酷くなっていく。
しばらくお互い何も言葉を交わすわけでもなく、ただじっと見つめているうちに、彼女からハッとして視線を切った。そして急いで自転車に乗ると、カタカタとチェーンの音をさせいってしまった。
「はー、やっちゃったなぁ」
そう思うと同時に、後ろでバサバサと羽音がした。ふと見ると、果たしてカラスが戻ってきていた。
「こら、俺、お前の家族に思われたかもしれねーぞ」
今は、あどけないまなざしでこっちを見上げるカラス。いったいさっきの変貌は何だったのか。俺の嫌味が分かるはずもないが、なんだかそのしぐさが嬉しそうに見えた。
これで良い印象持ってもらうなんて、なんてありえないよな。
ちょっと距離があったので、あまり目の良くない俺には表情の細かいところはわからなかったが、兎に角、あのお姫様の纏っていた雰囲気は、固く冷たかった。それに何も言わずに行ってしまうなんて、これはもうダメってこと間違いない。
カラスと遊ぶ、妙な男と思われただろうか? いやもしかしたら、カラスを弄ぶひどい人間と映ったのかもしれない。
俺は頭をカリカリとかいて、足元のカラスを見る。
いつもは角を曲がって見えなくなるまで見送る後姿も、そうすることがなんだか後ろめたくって、敢えて追うことをやめた。