第一章 第十三話
「おい、宗太郎、おまえ、『優待券』もらってね?」
学校について俺の顔を見るなり、いきなりリュウこと親友の隆二がそう言ってきた。
「なんだそれ」
「『優待券』だよ、聖姉妹祭の」
「知るか」
「おまえ、聖ミリの親戚いるじゃんか。家族や来てほしい人間用にって、『優待券』ってのが有るんだぞ。知らねーのかよ、使えねーな」
「それあったらどうなんだ」
「それがなきゃ、入れない出し物とか、見れないプログラムとかあるんだよ」
「そういうものか」
「今年こそは……って思ってたのによ」
…… 優待券か
明後日にせまった「聖姉妹祭」だった。でも彼女、あんなに凄く来てほしそうなこと言ってたけど、優待券という話は、一言もしていなかった。
その話を聞いたときは気にも留めなかったが、その日一日、リュウの顔を見るたびに俺の頭の中では、”優待券”と言う言葉が巡るのだった。
なぜ、優待券について、彼女は一言も言わなかったんだろう
リュウは、それが無かったら、見られないものが有ったり、入られないところが有ったりするという。
それはきっと、超お嬢様学校だから、興味本位では入ってほしくない場所とか見せたくないもとかがあって、家族とか信頼できる人だけには、それを見ることが出来るようにみたいな理由から、そういうのがあるのだろう。
彼女は知り合いに来てほしいと言って、俺のことを招待してくれた。だとするなら、本当は「優待券」をくれるのが自然じゃないんだろうか?
俺は優待券どうのこうのより、優待券を巡ってのことから、そこに隠れている彼女の真意が気になって仕様がなくなり、果ては、もしかしたら自分は「優待」されていないのかなどと考えるようになった。
すなわち、あの熱心なお招きはいわゆる師弟の間の社交辞令で、本当は丁重にお断りすることを、期待されているのではないのか。
でも、彼女がそんなことをするだろうか。でももし、本当にそうだとしたら
……あの笑顔は全部ウソ?
学園祭に行くと約束した時の、はじけるような笑顔が脳裏に浮かぶ。
俺は訳が分からなくなり、思わず眩暈する。
こんな時に限って彼女とは全く連絡が取れない状態なのだ。学園祭と言うことで、ここ数日は学校に泊まり込んでいて、彼女はうちに来ていない。
忙しいと分かっている時に、そういう問題について電話をかけるってのは、色々と不安になってしまった今、俺には絶対に無理だ。
だから、そのことについて、ちょっと様子を伺うことすらもできない。
もし、実際に俺が学園祭に行って、ちょっとあれ、本気にしたの?! みたいな顔をされたらどうしようか、なんてバカなイタイ奴みたいに、蔑んだ眼差しを向けられたらどうしようか。
……いやまさか、そんな酷いことを、あの娘がするはずはない。
そんな思いが、学園祭が近づくに従い、激しく行き来する俺の内心である。
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「今年も来たなあ!」
「そうか」
結局俺は、迷いに迷った末、隆二に連れられて「聖姉妹祭」にやって来た。
しかし、これは思った以上だ……
一人ごちる。うちの学校の文化祭の客層とは全く違った人たちが、群れを成して集まっていた。
着ているものが違う、物腰が違う、話している言葉が違う。
おい、こんな中に入っていくのかと、色めき立って道を急ぐリュウの背中を恨めしそうに俺は見た。
「宗太郎、ほら、行くぞ」
「ちょ、ちょっと待てよ」
「なんだ?」
「おれ、ちょっと、ジュース買ってから行くわ、先行っといてくれ」
「はぁ……、しょうがねえな、待っといてやる」
「良い良い、先行ってくれ」
「…… 訳、分かんね」
俺はリュウを無理に先に行かせた。実はここに来て怖気づいたのだ。俺は一人、踝を返し、学園を一旦離れることにした。ちょっと気合いを入れ直してから、もう一度来ようと。
結局俺は、聖ミリアム学園の最寄駅そばの、ハンバーガーショップにやって来た。二階の席に適当に買ったハンバーガーを持って上がっていく。
眼下には、学園に向かっての人波が、途切れることなく続いている。それを見て、俺はもう一度ため息をついた。
リュウの勢いに引っ張られてここまで来はしたものの、かつての新山さんに似たオーラを漂わせた女子高生たちを、ああも沢山見ると、自分とあの人たちとの住む世界の違いと言うものを、改めて感じないわけにはいかなかった。
新山さんは、なんだか言いにくいことが有るらしく、今回の文化祭のことについては、余りたくさんは話してくれなかったが、その話の内容から想像すると、かなりの責任を負っているポストにいるようだった。
こうして来てみてはっきりしたのは、聖ミリの娘なら、一般の学生でもかくも強烈なプレッシャーを俺に与えるのに、その中でも、中心的な立場にいる新山さんに、俺はいったいどんな顔をして向き合えば良いのだ?
俺は堪らなくなってコーラの一口含んだ。
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気が付いたらもう昼だった。結局、午前中の間ずっとそこで時間をつぶしてしまった。でも流石にこんなところでずっといては、それこそ後からリュウにめちゃくちゃ言われるだろう。俺は覚悟を決めて学園に行くことにした。
俺はこう考えていた。リュウを見つけたら、疲れたとか言って、さっさと帰ろうと決意する。
そうさえすれば、俺は確かに「聖姉妹祭」に来たこと、証明してくれる証人もでき、そして、不幸にもたまたま、新山さんには出会えなかったということにすれば、何事もこれまでと変わらずに、続けて行けるのではないかと。
これが、午前中いっぱいかけて、俺が考え出した最善と思えるシナリオだった。
さっき来た道を、逆に向いて歩きだす。もうお昼過ぎなので、朝の時よりもずいぶん歩いている人の数が減っているような気がした。
良い傾向だ。これならプレッシャーを感じることなく、校内に入っていくことが出来るに違いない。
そう思いながら、もう一度校門のところに来た時、妙な人だかりが出来ているのが目に入った。
校門の直ぐ傍らに、幾重にも人が集まってワイワイやっている。その中から聞こえてくるのは……
「「雪姫様!」」
という、歓声。どうも、誰かを囲んで盛り上がっているらしい。
「今年は、雪姫様直々のご案内なんですね」
「雪姫様、今年、『聖姉妹祭』の実行委員長なんですって」
「そうでしたか」
「でも本当に幸運でしたね」
「はい!」
その人だかりの中から次々に聞こえてくる、興奮した女の子たちの声。その歓声の主は、聖ミリの生徒のようだった。
そしてその生徒たちの周り、少し距離を置いて立ち尽くす男たち。彼らは背伸びをしたり、人と人との合間を覗いて、その向こうにあるものを垣間見ようと頑張っている。
なるほど、これらの状況と、聞こえてくる話を総合すると、「雪姫」なる人が、あの人だかりの真ん中にいて、それは聖ミリのかなり注目されている誰かで、そんでこれだけ盛り上がっているということらしい。
と言うことは、「聖ミリ」に対しては基本、距離を置くことにしている俺は、あそこには絶対に近づいてはならないということだ。
聖ミリ自体、思いっきり苦手なのに、その主みたいな人なんかに近づいたら、息が止まって死んでしまうに違いないと、半分本気で思う俺である。
では、さっさとスルーして、リュウを探そう。
俺は微妙に歩みを速め、その人垣を遠くに迂回しつつ、初めて入る聖ミリアム学園の校門を通ろうとした。
その時俺は、怖いもの見たさでもあったのだろうか、思わず避けたはずの人だかりに目を向けてしまった。すると、その瞬間、視界を妨げていた男の頭が、すっと動いて……
その先に見えたもの
それは、袴を着た女学生の姿をし、輝くほど綺麗に着飾った息を飲むような美女。一瞬見ただけでも頭にこびりつくようなその美貌の残像に、俺の心は無意識のうちに反応していた。
はたと歩みを止めた俺は、その人垣の中を改めて覗き見る。
その美女は聖ミリの制服を着た女の子と、ツーショットの写真を撮っていた。
間違いない、新山さんだ。