第一章 第十一話
「おはようございます」
「あ、おはよう、今日も早いのね」
玄関先にやって来た、新山さんに、うちの母親があいさつした。
この間、俺の弟子になるとか言い出した新山さん。
一体どうなるかと思ったら、その日の翌日、一枚の紙を持ってきた。
何だろうと聞いてみると、それは弟子となる、すなわち、俺とクロウの日常を、できるだけ間近で見るということについての、具体的な取り組み方が書いてあった。
「あ、あのう、お邪魔でしたら、どうぞおっしゃってください。お約束したように、お邪魔になることは絶対にしませんから」
「あ、まあ」
彼女の提案してきたのは……
朝の一緒の掃除を一緒にする
朝ご飯を一緒に食べる。(朝食は持参)
一緒に登校
帰りにうちに寄る
夕食の準備の手伝い
夕食を一緒に取る
一緒に勉強をする
それから自分の家に帰宅
こ、これって、学校以外、ずっと一緒ということではないか??
俺は思わず身構えた。
せいぜい今までと同じぐらいの頻度にプラス・アルファ―……と、思っていた。しかし、これだとほとんど一緒に暮らすということになってしまう。
もちろん彼女と一緒にいることが、嫌なはずはない。でも、ずっと一緒だということを、どうしても手放しに喜ぶ気にはなれない。
なんと言っても一番心配し恐れたのは、日頃の仕様もない俺を見せて、落胆させること。
相手は「聖ミリ」のお嬢様。そして、ここらでは超有名な、新山動物クリニックの院長の娘なのだ。俺の実態見て、ガッカリしないはずはないのだ。
また自分としては、そうならないよう、どうしても気が張ってしまうだろうし、落胆させてしまったならしまったで、きっと俺は生涯にこれ以上ないというぐらい、落ち込むことだろう。
ということで、なんとか角が立たないように、この密着ぶりを緩和できないかと、頭を捻った。
「えっとさ、これ、うちの親に聞かないと」
「もちろんです、ごあいさつにお伺いするつもりです。」
「じゃあ、そういうことで、よろしく」
親は、見も知らない女の子が家に上がり込み、息子とこんなに親しくすることには、間違いなく抵抗するだろうと思っていた。それで、「超・密着」はどうにか穏便に避けることが出来ると。
翌日、早速彼女は、その話通り学校帰りにうちにやって来た。そして、うちの家族に挨拶をした。
こっちから親には、ちょっとは話しておいたが、うちの親たちは彼女を一目見るなり絶句した。
これはいきなり、修羅場かと思いきや、母親はこっちに向くなり両こぶしを握りしめた。その時のその目は明らかに、「キタ━(゜∀゜)━!!!!! 宗太郎、でかした!!」とシャウトしていた。
え? そっち??
いや親は、根本的に誤解している。別に彼女じゃないし、そんなに興奮したり、大喜びしなくても良いだろうに。
そんなうちの母親に、新山さんは例のメモ書きを渡した。こんどこそは!と、期待するをれだったが、母親は彼女の顔とメモと俺の顔を数度見比べると、「息子がお世話になります」などと、即座に最敬礼しやがった。
第一関門がかくも簡単に撃破された現実を前に、にわかに俺の確信は揺らぎ、心臓はバクバク言い始める。
いよいよ彼女といつも一緒ということが、にわかに現実味を帯びてきて、テンパッてしまう。
母親にお茶を勧められ、ちょっと照れながら席に着いた新山さん。超上機嫌な母親に、圧倒されながらも嬉しそうにお茶を啜っていた。
次にしばらくして帰ってきた父親に、彼女は父親を出迎え挨拶をした。親父はいきなりの美女の出現に、口をパクパクしていた。
親父もまた彼女が持ってきたメモ書きを読み、さらに新山さんが「新山」の人間であることと、この間、俺に話してくれた打ち明け話の一部を少し紹介すると、
「君の親御さんはどう言っておられるのか」
と問いただした。すると彼女は手元のカバンを開いて、一通の手紙をだし父親に渡した。
「父からのものです」
「そうか、雄一さんから?」
父親は新山さんの父親の名前を知っていた。
手紙に目を落とす父親。少し読み進んでいくうちに、ビックリした顔をしたり、そうかーとため息をついたり、ウムウムとうなずいたり、困った顔をしたり、なるほどと納得したり、そう長くはない手紙のように見えたが、短い割には色々なことが書かれているようだった。
「分かった、じゃあ、わたしには何も言うことはない。好きなようにしてよろしい」
「はい、本当にありがとうございます。これからよろしくお願いいたします」
え??
…… これですべてが終わった。
彼女が制服にエプロンをして、キッチンでトタパタ動き回っている。いやあ、高貴なお姫様的な彼女も息を飲むほど美しいが、こう、生活感豊かな彼女も、それはそれで美しい……。
「宗太郎さん、なにしてるんですか? 急いでください」
「あ、い、いや、あ、あの」
彼女に睨まれてそう言われた。見とれてたのバレたかもと、キョドってしまう俺。
ちなみにうちにこうやって来るようになって、彼女は俺のことを「宗太郎さん」と呼ぶ。みんな苗字は同じ御深山なので、当然と言えば当然だが、彼女の口からそう呼ばれると、そのたびに心臓が飛び跳ねて、体に良くない。でも、他に呼び方あるわけではないので、ただ忍の一事あるのみなのだ。
「そうだよ、宗太郎、もう行かなきゃいけない時間だよ」
母親が、新山さんと一緒に、俺を急かす。このごろ、いつもこのパターンなのだ。
「分かってるって」
「これ、お弁当です」
「今日は雪菜さんが作ったんだから」
なんか、にやけてる母親と微妙に目が泳いで赤くなっている彼女。
「じゃあ、ありがたく頂戴します」
両手で拝領する俺。
「い、良いですよ、そ、そんな……」
「そうですよ、有り難くいただきなさい」
母親は当然とばかりにそう言った。
そして、いつものように、連れだって学校に行く。
この頃では、町の人たちも、毎日のことになってしまったからか、そうそう珍しがることはなくなった。逆に明らかに嫉妬と思える眼差しは、増えたような気がする。
でも、この機嫌よく小さく鼻歌を歌っている彼女を見ては、そういう悪意というもの、ちっとも気にならなかった。
「宗太郎、今日も仲良く登校か?」
駅から出て、学校への道を行く俺に、浩介が話しかけてきた。
「何、言ってやがる、だから言ってるだろ」
「はいはい、『ご親戚』だということで」
学校では一応、俺たちの間柄を「親戚」いうことにしてある。嘘ではないので良いだろう。「師弟」などという、よく分からない関係より、こっちの方がずっと説明しやすい。
「あの、このクラス、御深山って人いますよね」
やっと学校について、席に着くや、いきなり名前を呼ばれた。
「あ、俺ですけど」
「お、いたいた」
…… 見ると、そこそこイケメン。ただし面識はない。
最近、こういう訪問者が増えた。大概は俺と登校を共にしている、俺の「親戚」に用があるやつらである。
「あのさ、君、新山さんの親戚なんだって?」
「はい、そうですけど」
「俺、D組の戸山って言うんだけどさ、俺のこと知ってるよな?」
「え? なんで?」
「おまえ、俺のこと、知らねーの?」
「あ、すんません」
…… また、こういう人か。
そいつは、自分のこと散々自慢した挙句、彼女に紹介してくれと言って帰っていった。
「なんか、最近、すげー人気者だな」
隆二が首を振りながらそう言った。
「まあな、ほんとに人気あるのは、俺じゃなくて『親戚』だけどな」
ただ、冗談でもこういうやつらのことを少しでも話題にすると、彼女、途端に機嫌が悪くなるので、俺は一様にこういう人たちのお申し出は、丁重にご遠慮いただいている。
隆二は教科書一式もってガタガタと立ち上がる。
「じゃあ、俺、行くわ。まあ、頑張れ」
「ああ、ありがと」
クロウに続き新山さんという、変な「家族」が増え、俺の周辺がにわかに騒がしくなった、今日この頃であった。