序3
車を走らせること数十分、着いた先は都会の喧騒から逸脱した古めかしい民家が建ち並ぶ、まさに下町という感じの場所だった。
道路はしっかりと整備されており、車で走るのには全く問題無いが、流れる車窓の景色から見えるのは家や田畑以外には電柱の行列ぐらいだった。
「本当に何もありませんね。何処まで行っても同じ様な景色ばかりですし」
「全くだ。それにしても、本当にこんな所に神社があるのか? まさか、また迷ったりしてないよな?」
「大丈夫ですよ、俺を信じて下さい」
だからその軽さが信用できない理由なのだが。
道を走り続けていると、町並みが変わっいた。樹木が少しずつ目に映ってくるようになり、いつしか人の気配の無い場所に辿り着いていた。
「…もはや人が住む気配すらしないんですけど…」
「こんな人里離れた場所に住んでるなんて、その宮司は天狗か仙人じゃないのか?」
そんなくだらない話をしながら、さらに道を進んで行くと、よく見えないのだが何か大きな物が道を塞いでいた。
「何ですかね、あれ…」
「…鳥居じゃないか?」
近付いて行くと、やはり僕の予想通りそれは鳥居であった。
車を降り、鳥居の下に来て初めてその全貌を目にすることができた。かつては朱で塗られ壮観な趣を放っていたと思われる鳥居は、今では朱がほとんど剥がれ落ち遠目からは完全に石鳥居であった。
「人が住んでいる様には見えないんですけど…」
「奇遇だな、僕も同じ意見だよ」
鳥居を支える二本の柱にそれぞれ近付くと、あることに気が付いた。
「あれ? 何か書いてありますよ」
「こっちにも書いてあるぞ。文字みたいだな」
対になった柱の両方に、刃物で削った様な文字で何か文章が書かれていた。
よく見ると右側の柱には
この門をくぐる者は
と、左側の柱には
一切の希望を捨てよ
と書かれていた。
「どういう意味でしょうかね?」
「分からない。しかし、こんな不吉な言葉を刻むとは、随分と悪趣味な男なんだろうな」
「誰かの悪戯書きじゃないですか?」
「そうかもしれないね」
余計なことに時間を使う前に早く用件を済ませねばなるまい。ともかく、噂の宮司に会う為に鳥居をくぐった。
先に進むと、多くの木々が連なる並木道が姿を表し、僕らはその道を無心に歩き続けていた。此処は本当に僕達の住む世界と同じなのだろうか、という錯覚さえ覚えるこの空間に僕は完全に酔わされていた。僕達はさながら、神隠しにあった童子と同じ心境であった。
最近はどうも生きているという実感が湧かない。あまりにも非日常的なことが度重なったせいであろう。
「疲れた…」
「口にしないでくれ、余計に疲れるじゃないか」
僕達には、ただ進み続けるという選択肢しか残っていない。
長い時間歩き続け、僕達はついに目的地らしき場所へと辿り着いた。
眼前にあるのは、特に変わった所も無いいたって普通の神社であった。古ぼけた木造建築のそれは良く言えば歴史ある、悪く言えば朽ち果てた建物であった。よく見ると上に木目が入った看板が掛かっており、そこには「黄泉比良坂」と書かれていた。
「何て書いてあるんでしょう……「ヨミヒラサカ」ですかねぇ」
「宮司の名前からすればそうだろうな。しかし……本当に此処に人が」
「住んでます! 絶対にです!」
僕の言葉を遮り、悠司は強い口調で答えた。とりあえず住んでいるかどうかの確認をする為に、戸に近寄って行く。
「すいません、誰かいませんか?」
戸を叩きながら、住人の有無を確認する。
「………出ないですね」
「まさか君、ガセネタ掴まされたんじゃないか?」
「そ、そんな訳無いですよ。第一お寺の住職さんや神社の神主さんが、人をおとしめる様な真似しますかね?」
「大方、からかわれたんだろう。まあ、いい勉強になったと思うしかあるまい」
僕は完全に諦めていたが、悠司はまだ諦めていなかった。
「もう一度やってみて下さいよ」
(だったら自分でやってくれよ…)
そう言おうとしたが、言えばまた言い争いに発展すると思い、急かす悠司の願いを叶えてやることにした。
「すいません、誰かいませんか?」
先程よりも強い調子で、再び戸を叩いた。しかし、いくら叩いても、いくら声をかけても中からは全く応答が無かった。
流石にこの不毛な行為にも飽きてきたので、そろそろ終わりにしようとしたその時だった。先程まで沈黙していた戸が突然開き、その奥の暗闇から男が姿を表した。
「え、あ…」
「うるっせぇなぁ!! 一体何の用だ!!」
言葉を出せず困っていた僕のすぐ目の前で、男はまるでごろつきの様な口調で怒鳴り出した。
これが悠司の言っていた男、比良坂鏡水だろうか。
「あ、あの……ひょっとして、比良坂鏡水さん…ですか?」
酷くぎこちない様子で、本人かどうか確認した。万が一にも別人である可能性も無くは無いからである。
「あ? 確かに俺は比良坂鏡水だが、それよりあんたらこそ一体何者だ? まさか参拝客、って訳でもなさそうだし」
僕の一縷の望みは敢なく打ち砕かれてしまった。どうやらこの男が正真正銘、比良坂鏡水だったようだ。
しかし、その男は自分が想像していた空想の人物像とは150度位違っていた。僕の想像では、五十過ぎの高齢ながら厳格な面持ちの威厳ある人物だと思っていた。もしくは、二、三十代という若さながら清楚で清廉潔白な真面目な好青年とも思っていた。
しかし、どの想像とも違う男が不機嫌そうにこちらを睨んでいる。髪は白に黒が少し混ざった様な薄い灰色で、髪が眉にかかる程度に伸びておりボサボサでほとんど整っていないショートヘアに近い髪型だった。目は鋭く眉間に皺が寄っており、眼窩に映る深淵がより一層妖しく威圧していた。
これだけで予想と180度違う筈だが、残りの30度は服装は予想通りであった所だ。白い着物と黒い袴で着飾り、両手の中指に嵌められた指輪から手首に向かって広がる黒はその先の腕も染め上げていた。ほとんど自分が予想していた服装と同じであった。
見た目は二、三十代という点は当たっているが、清楚でも純真無垢でも無い顔付きである。服さえ無ければ、完全に街の不良と同じである。僕はよく知らないが、こういった神聖な場所には不似合いな人物像だと思われる。
「…どうした? 俺の顔に何か付いてんのか?」
「え? あ、いや…」
初めて見るタイプの人間に、物珍しさからついまじまじと見てしまった。こんな人間、そうそう見れるものではない。
「ところで、本当にあんたら何者だ? 此処に来る奴は、よっぽどの事情がある奴か物好きぐらいだぜ?」
そういえば、相手の姿に圧倒されまだ名乗ってもいなかった。
「ぼ、僕は月読探偵社で探偵をしている望月という者です」
「俺は探偵助手の月な」
「探偵だぁ? 見た目には二十歳そこそこの餓鬼だと思ったが、胡散臭い奴だな。それで、探偵さんがこの俺に何の用だ?」
いきなり自分のコンプレックスを指摘され僕は面を喰らった。しかし、悠司にいたっては名乗り終える前に遮られてしまい、さらにその後は完全無視である。この男には、相手への気配りというのが欠落しているようだ。
「ところで、あんたら此処がどういう場所か知ってんのか?」
「え? お祓い屋、と聞きましたけど…」
僕の答えに対し、男は不思議な表情をした。
「当ってるっちゃ当ってるが、残念だが少し惜しいな。いいか」
そう言うと男は一息付いて話し始めた。
「此処は「黄泉比良坂」、迷いし者、穢れし者達が訪れる場所。どの寺や神社も匙を投げた厄介事を請け負う、言わば駆込寺の様なものだ」
「ヨモツヒラサカ…」
あの看板はそう読むものだったのか。
「まぁいい、とりあえず詳しい事情は中で聞くとしよう。さっさとしないと日が暮れちまうしな」
そう言うと男は踵を返し、僕らをまるで誘う様に奥の暗闇へと姿を消した。
「あのー、俺まだ名前教えてないんですけど」
「てめぇの名前なんぞに興味はねぇ。いいからとっとと来いって言ってんだよ」
きつい言葉が暗闇の奥から放たれた。どうやら頗る機嫌が悪いようだ。
「…俺、何か気に障るようなこと言いました?」
今までのやり取りの中ではその様な点は見受けられなかった。やはり見た目だけでなく、中身も十分不良のようだ。
ふと、悠司の言った言葉が頭をよぎった。行かない方がいい、行けば必ず後悔する、あれはこのことだったのだろうか。出来ればそうであってほしいものだ。これ以上の厄介事は勘弁してくれ、僕はそう切に願った。
++++++++++++
正面から見た時は分からなかったが、此処は神社だけでなく裏には男の住まいが存在した。僕達は来客用の和室へ連れて来られたが、ザッと見る限り台所も風呂も備わっている様子だった。
どうやら本当に此処で暮らしているみたいだが、こんな人里離れた場所に住んでいるのだからやはり仙人か天狗の類であろう。
(霞でも食べて生活しているのだろうか…)
どちらにしても、ただ者でない事は確かである。
「さて、それで一体全体何の用でこんな辺鄙な所まで来た次第なんだ? こちとら、聞きたい事が山程あるんだぜ」
そう言いながら、男は持って来た湯呑みを僕と悠司の前に置いた。
「あの、ですね…その……」
「ん? どうした、答えられないのか?」
いきなり呪いという非常識な話題を出して良いものか、と僕は迷っていた。すると、横に座っていた悠司が僕の代わりに話し出した。
「それが、ある依頼で人探しをやっているんですけど、どうやら呪いが絡んでいるみたいなんですよ」
話を切り出した悠司に、男は一瞥もしなかった。なんとも酷い対応だが、彼が先に話してくれたおかげで僕も話しやすくなった。
「それで、僕達じゃ呪いのことなんてさっぱり分からないので、鏡水さんに呪いの謎を解明してほしいと思いまして」
「それで、あわよくば呪いを解いてほしい、ということか。そんなことぐらいさっさと答えやがれ」
どうやら僕達はあまり歓迎されていないらしい。まぁ当然だろう、こんな得体の知れない人間が呪いを持ち出した時点で誰だって嫌なものである。
「とりあえず、あんたの受けた依頼の事情を教えてくれ。なるべく詳しく、かつ省略せず話すよう」
そう釘を刺さし、男は懐から煙草とライターを取り出し一服し始めた。
「はい、それが…」
何ともふてぶてしい態度の鏡水であったが、とにかく話は聞いてもらえるみたいなので僕は事情を説明を始めた。
「…という訳何ですが」
自分なりに丁寧かつ分かり易く説明したつもりだったが、鏡水は全く興味が無い様に煙草をくゆらしていた。この男は悠司と同類かそれ以上の自由人である。
「成る程な……ところで、そこにいる男は何者だ?」
そう言って鏡水は僕の横に座っている悠司を指差した。
僕はア然という一言に尽きた。これまでの話を聞いて、開口一番に出るのがそれとはどういう神経をしているのだろうか。
「だから助手の月波だって言ってるじゃないですか! ていうか、鏡水さん聞きたくないってさっき言ってたじゃないですか!」
「悠司君のことは別として、こちらの依頼内容については一切解答しないというのはどういうことですか!?」
「先生ー、その言い方はあんまりですよー」
僕も悠司も困惑したが、言いたいことははっきり言った。この男には言っても通じないことは分かっているが、僕は自分の感情を抑止出来無かった。
「あーやかましい連中だな、分かったから静かにしてくれ」
鏡水はそう言ってくわえていた煙草を灰皿で潰し、僕を落ち着かせようとした。
「依頼内容はよーく分かった」
その言葉で、僕も少しは落ち着きを取り戻した。
「そうですか、じゃあ」
「しかし、残念だが断らせてもらう」
鏡水の口から出た言葉に、またしても僕は困惑した。此処までやってきて断るとは、あまりにも酷過ぎではないか。
「な、何故駄目なんですか?」
「そんなかったるい仕事誰が受けるか。それより、あんたらよくその依頼引き受けたな。お人好しにも程があるぜ」
またしても酷い言葉を浴びせられ、僕は心が折れそうになった。
「でも、俺達にも都合ある訳なんで何とか引き受けてくれませんか」
「どんな理屈だ、ド阿呆。大体俺に頼まなくても、自分達で勝手に調査すればいいだけの話じゃねぇのか? 違うか?」
「それはそうですけど…」
悠司は完全に言葉を失った。そもそもこの男の所に訪れたのは、彼の不安を取り除く為だけの理由なのだから口が裂けても言えないだろう。
「まぁ金さえ払えば、受けてやらんことも無いが」
「本当ですか! いくらぐらい必要なんです!」
興奮気味の悠司だが、その金は恐らく僕が出すことになるのだろう。
「そうだなぁ……五十万で手を打とうか」
「ご、五十万!? ちょっと、それって法外じゃないですか!?」
悠司の言い分はもっともだった。そんな金額払えなくも無いが、それはあまりにも非常識過ぎる。
「これでも初回料金だぜ? 嫌なら帰ってもらって構わないが?」
「そんなー……」
「悠司君、帰ろうか」
困っている様子の悠司を無視し、僕は言い放った。今まで黙っていたが、流石の僕も我慢の限界であった。
「え? 先生でも…」
「まさかこんなに常識が外れた人間だと思ってもみなかった。こんなのに付き合ってたら時間の無駄だ。君には悪いが、調査は二人で進めることにしよう」
これまで言われてきた分存分に言い返しその場を去ろうとするが、悠司が引き止めてきた。
「でも先生、此処まで来て引き下がるのは悪いですって」
「別に彼がどうなろうと僕の知ったことじゃない。それに、彼はついさっき帰りたければ帰れ、と言っていた。その言葉に甘えさせてもらうことにしよう」
「先生でも……」
悠司の制止を強引に振り切り、僕はこの和室を後にしようとした。あの男の顔を見ているのもほとほと嫌になっていたが、その男が突然呼び止めた。
「まぁ待て、今のは最終手段の場合だ。他にも手を打つ条件はある」
「何ですか、その条件ってのは?」
嫌そうな口調で僕は聞き返した。どうせまた、ろくでもない条件だろうと頭で感じていた。
「まぁ聞け。俺は依頼を受ける前に、その依頼主が引き受けるに値するか確認させてもらう」
「その条件とは?」
悠司が前のめりになりながら尋ねた。
「まぁ一つ目は金だな。こんな所に住んではいるが俺だって人間だ、金が無ければ生活出来ない」
だからといって先程提示した金額は、やはり法外だろう。
「二つ目は博識有る奴かどうかだ。俺は馬鹿や阿呆の類とは関わりたかないんだよ」
成る程、彼の言い分も一理ある。すると鏡水は、僕と悠司の顔をじっくりと観察し始めた。
「どうしたんですか?」
「お前達がどれ程の知識を持ってるか確認してんだよ。頭の良し悪しは顔さえ見れば大体分かるもんだ」
怪しい、というより絶対に嘘だ。そんなことで分かるとは到底思えない。
一分程で知能指数の検査は終わったが、どうせ嫌味や皮肉を言われる筈だ。
「さてと、おおよその判定はできたぜ。まずそこのポンコツは別として、そこのあんたはそこそこ良さそうだな。やはり探偵と言うべきか、良い眼をしている」
何とも気障な台詞だが、此処に来て初めて褒められたことに僕は驚いた。しかし、悠司の方は不満そうだ。
「ポンコツって何ですか、もっと俺に配慮してくれませんかね?」
「そんな七面倒くさいこと誰がするか。何なら駄目人間二号にしてやってもいいんだぜ?」
「…一号は先生ですか?」
「俺の阿呆な顔見知りのことだ」
「それで、依頼は引き受けてもらえるんですか?」
全くもって意味の無いやり取りに終止符を打つ為、僕は単刀直入に聞いた。
「あーどうしよっかな。まぁ非常に不本意だが請け負ってやろう」
(不本意って…)
この男は無駄に一言多い。だが、これで悠司の気も治まるだろう。ようやく調査を再開させることが出来そうだ。
「あ、そうだ。言い忘れてたが、この依頼はまだ仮契約ってことにしておくからな」
「は? それってどういうことですか!?」
さっきから疑問詞ばかり使う悠司に、鏡水は辟易とした顔色を浮かべていた。
「でっけぇ声出すなろくでなし野郎。まだ条件は一つしか当たってないんだから仕様がないだろう。俺は条件が二つ備わってる奴しか基本的に依頼は請け負わないんだよ」
「そんな話、一言も聞いてませんよ!」
「そりゃ今初めて言ったんだから、知らなくて当然だろうな」
鏡水は悪びれる様子も無く答えた。少しでもこの男を見直した僕が馬鹿だった。まぁこうなるのではないかと多少は構えてはいたが。
「それで、他にどんな条件があるんです?」
「そうだ、それも言ってなかったな。金、知識、あと一つは……言わないでおくか」
「はぁ? 一体どうしてですか?」
ほとほと呆れながら、とりあえず質問してみた。
「俺の事情、というより話すの面倒だから」
何処までこの男は自分勝手なのだろうか。
「いいから早く教えてくれませんかね」
「それはそうと、話に出て来た病院に行かなきゃならないな。勿論場所まで案内してくれるんだろう?」
言っても聞かぬこの男の傲慢さにも、流石に慣れてきた。
「はい! 明日の早朝に迎えに行くので、それまで鏡水さんは準備の程を」
「何言ってんだ、この能無し野郎。今から行くに決まっているだろう?」
またしても悠司の言葉を遮り、鏡水は悪い笑みを浮かべながら言った。
「い、いやいやそういう訳には……そうだ、鏡水さんにも都合があると思いますし、今日の所はこのくらいで」
「残念だが俺もあんたらと同じ暇人だ。それに話を聞く限りでは、もうそんなに時間が無いのだろう? 今から行くのに何の不満がある」
恐らく鏡水は悠司の心を読み取ったのだろう、彼が呪いの存在に酷く怯えているということに。そうなると、これは随分と悪質な嫌がらせである。
「そ、それは……あ、先生も何か言って下さいよ」
「諦めろ、この男が言っても聞かないことくらい君も分かっているだろう?」
「そ、そんなー……」
「という訳でお前には気の毒だが、早速連れて行ってもらえるかな?」
不敵な笑みを浮かべる鏡水に、なおも悠司は反論を止めない。
「こっちは依頼主ですよ! 少しは言う事聞いてくれたっていいじゃないですか!」
「非常に申し上げ難いが、この場所を訪れた時点であんたらには選択権も拒否権も決定権も無い。何度も言うが、諦めな」
そこまで言われて、ようやく悠司は大人しくなった。
「……分かりました。仕方ありませんね、そこまで言われると」
「我が儘は終わったか? いい加減に行くぞ」
「分かりました」
「了解でーす」
大分時間が掛かったが、何とか話をまとめることが出来た様だ。
「言っておくが俺はあくまで仮契約だが、下見だけでもやってやるから安心しやがれ」
「承知しました」
そんなことはどうでもいいと思い、僕は空返事をした。ともかく、これで調査を進められそうだ。
「となれば早く行きしょうよ。日暮れになるのは、俺本当に勘弁なんで…」
「なんだ、やっぱり怖じけ付いてたんじゃないか、ビビり野郎」
「ビビってません!」
「二人共、無駄なことしてないで早く行きますよ!」
このまま放置すればまた不毛なやり取りの繰り返しになる、と思い柄に無くつい怒鳴ってしまった。
「…先生に怒られちゃいましたよ…」
「なんとも弄り甲斐のある連中だな。暇潰しにはちと物足りないが」
反省の色を見せない悠司と悪びれない鏡水、二人共いい年している筈だが中身はまだ子供の様だ。二人共立ち上がると、入って来た正面の戸へと向かう様なので自分もそれに続く。
外に出て気付いたが、もう太陽は自分達の真上に来て在り、先程よりも一層暑苦しくなっていた。それでも空は一段と蒼く染まっており、それがより僕の気に障った。
「おう、そういえばまだ言い忘れてた事があったな」
「またですか? 今度は何を忘れてたんです?」
聞き返すと、鏡水は掌を上に向け僕に手を出した。
「は?」
「仮契約とは言ったが、支払い無しとは言ってないぜ? さっきの提示額は法外だったが、今回の依頼料は十万、その頭金として五万徴収させてもらおうか」
全くもって世知辛い男だが、依頼料はかなり引いてある。
口は悪いが悪い奴じゃない、だが決して良い奴とも限らない、それが僕の総合的な鏡水のイメージであった。そんな厄介者とお調子者を連れての調査など、僕には前途多難としか言い様が無かった。
++++++++++++
神社の鳥居前から出発して数十分、ようやく車窓の風景はいつもの見慣れた町並みを取り戻し始めた。今まで辺境の地を歩いて来たので、何故か新鮮な気持ちになった。
しかし僕の後ろにいる存在は、まるで今帰って来た世界から引き剥がされた様に異様な空気を辺りに発していた。
「…鏡水さん、流石にその格好は目立ち過ぎですよ」
「うるせぇ、ポンコツ阿呆。てめぇは黙って運転してろ」
相変わらず悠司にはきつく当たる鏡水。確かに悠司の言う通り明らかに目立っていた。先程神社で話をしていた時と寸分の違いも無い格好をしている。
白い着物に黒い袴、中指に繋がる両腕を染める黒い布、前いた場所には馴染んでいたが、今はどう見ても街に馴染んでいる様子は全く無い。
「せめて着替えてくれたらよかったのに……」
「俺はこの服しか持っていないんだよ。別にあんたらが気にする程のことじゃないだろう?」
いや、誰でも絶対気にする筈だ。本当にこの男は色々とズレている。
それから車車を走らせること十数分、全く話題が出て来らず、車内には気不味い空気が漂い始めた。
「……そういえば、鏡水さんって何歳なんですか?」
「あぁ? 三十二だが、それがどうした?」
「本当ですか!? 俺より七つ上じゃないですか!」
(三十二か……てことは僕の三つ下ってことか)
沈黙を破った悠司の言動だが、鏡水はぶっきらぼうに答えてしまい、また元の沈黙が戻った。
「せ、先生も何か聞きたい事あるんじゃないんですか?」
そう言われても、ついさっき会ったばかりで聞きたい事など山程ある。しかし、その中でも頭から離れずにいる疑問があった。
「そういえば、神社の鳥居に言葉が書かれていましたけど、あれは何です?」
「鳥居の言葉っていったら、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」ていうあれのことか? なんだ、お前達「神曲」も知らないのか」
「新曲? 一体誰の新曲ですか?」
「てめぇはさっきからごちゃごちゃとうるせぇな!! それ以上間抜けな事抜かすと前歯へし折るぞ!!」
脅し文句を投げ付けながら、バックミラー越しに悠司に鏡水は睨みをきかせた。
「神曲はイタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリが作った長編叙事詩だ。その中に登場する地獄の門に書かれている言葉なんだが、それを俺が気に入ってあそこに彫ったんだ」
「あれ? 鏡水さんは神道崇拝じゃないんですか?」
「別に神道だろうと、他教の本を読んじゃいけない道理は無いだろ? それに、俺は基本的に無神論者だからどうでもいいんだよ」
「え!? じゃあ何で宮司やっているんですか!?」
僕は珍しく声を上げて質問した。
「あの神社は先代から受け継いだ物だ。だから宮司は仕方なくやっているだけなんだよ」
「鏡水さんと先代の宮司さんとはどういう関係なんです?」
僕が聞き返すと鏡水は薄い笑みを浮かべ、今度はミラー越しに僕を睨んだ。
「聞かなきゃならない理由でもあるのか? 随分調子付いて来たが、残念ながらこれ以上は話せないな」
そう言って鏡水は口を紡いだ。多くを語らないこの男には、まだまだ謎が残っている。
「そろそろ着きますよ。今回は何の問題も無く着きましたね、先生」
「ということは前回は道に迷ったって事か? あんたもとんでもない助手を持ったものだな」
何故悠司にそこまで悪態をつくのか分からないが、ともかく目的地まで何事も無く到着できた。
車から降りると、前回通り薄暗い雑木林が侵入者を威圧かの如く口を広げていた。やはりいつ来てもこの場所は気分が悪くなる。
「この奥に例の病院があります」
「中々面白そうな場所じゃないか。これは呪いだけじゃなく、悪霊や妖怪の類が出てもおかしくないな」
一体何が面白いのか分からず、僕は一瞬困惑した。そんなことを知るよしも無い鏡水は、全く臆するこてもなく一人で林の入口へ歩みを進めた。
「ちょっと待って下さい!! 一人で行ったら危ないですよ!」
「俺を餓鬼扱いすんじゃねぇよ。それより、あんたは自分の心配をした方がいいぜ」
僕は内心ドキッとした。まさかこの男は、僕に体力が無いことを悟ったのだろうか。それとも親切心から出た忠告だろうか。どちらにしろ、この男が食えない奴ということには違いない。
「先生、今回はバテないように頑張って下さいね」
「大きなお世話だ」
悠司がからかってくるのをあしらいながら、僕達は先を急ぐ鏡水の後に続いた。ふと見上げると空は淋しげな色をしており、何処からか烏の鳴き声が虚しく響いていた。
林の入口から出発すること数十分、案の定僕は道半ばで体力の限界に達しようとしていた。
「やっぱり先生バテちゃいましたね。肩貸しましょうか?」
「あぁ…すまないな、ハァハァ……悠司君…」
僕は悠司の首の後ろに腕をまわすと、その腕を掴み体を支えてくれた。僕の体を労る悠司とは反面、鏡水は僕の方には見向きもせずひたすらに道無き道を突き進んで行った。後ろから見ると、その姿は涼しげに見えた。
「やっぱりあの人は、こういった場所に慣れてるんですかね?」
そんな事知ったことではないが、確かに呼吸も乱さず悠然と歩く姿に、僕は彼との間に大きな壁がある様に感じた。
「まだ…ハァ…着かない……ハァハァ、のか」
「過呼吸で死なないで下さいよ、先生」
半ば悠司に引きずられる格好で、僕達は先を進む。
すると突然、鏡水が振り返り僕の方へ向いた。
「こんな木々の生い茂る中を進む俺達は、さながら神曲の辺獄を行脚するダンテとウェルギウスの様じゃないか?」
そう言い終えると、鏡水は何事も無かった様子で歩き始めた。もはやその言葉の意味を考える力は残っておらず、ただ早く着くことを願って無心に歩き続けた。
そのまた歩くこと十数分、僕達はようやく目的の場所へと辿り着いた。早速潜入して調査を進めたいところだったが、僕は完全に体力の限界に来ておりその場に倒れ込みそうになる。
「おいおい大丈夫か、探偵の先生よぉ? こりゃ先が思いやられるな」
呆れた口調で話す鏡水の顔は、汗一つかいていなかった。
「しかしこりゃ圧巻だなぁ! 確かにこれじゃ何が出て来てもおかしくないな」
また一段と興奮する鏡水は、そのまま廃病院へと近付いて行った。
ようやく呼吸を整え終えると、僕は病院の入口へと向かった。もうすでに日は地平線を這っており、辺りの木々達は風に揺られ悲しげな表情を浮かべている様だった。
++++++++++++
「外観と同じで、中もかなり荒れ果ててますね」
「まぁ二十数年間放置されていたんだから、仕方ないだろうね」
準備していた懐中電灯で辺りを照らしながら、僕と悠司は依頼主の親友の三島楓の痕跡、そして呪いの正体を探し歩いていた。何故か鏡水が先導しており、僕が渡した予備の懐中電灯で暗闇を裂きながら廊下を進んでいる。
「今どのくらい調べました?」
「そうだなぁ、待合、受付、事務室、院長室、資料室、手術室、病室約十数部屋……所要時間は、六時過ぎから入ったから大体二時間ぐらいだろう」
「てことは、もう八時過ぎってことですか!? どうりで暗いわけですね……なんか、俺怖くて腕の震えが止まらなくなってきたんですけど」
見た目に寄らず怖がりな悠司は、僕の肩を強く掴み怯えながら後を付いて行く。先程までとは立場が逆転しており、今度は僕が彼を支える格好になっていた。
「それにしても悠司君、何か妙だと思わないか?」
「妙? 確かに男のくせに怖がりだなんて、笑われても仕方ないですけど」
「君じゃなく病院の事だよ。さっきから色々な部屋を回っているけど、医療道具や機器はそのまま放置してあるのにこの病院に関する情報が記された資料が一枚も見当たらない。まるで誰かが意図的に病院の過去に触れさせない様にしているみたいだ」
「それって、考え過ぎじゃないんですか? それより今は、三島楓の行方が先でしょう?」
僕と悠司との話は尽きることはなかったが、これまで沈黙していた鏡水が突然話を切り出した。
「気分転換に面白い話でもしようじゃないか。あんた達、黄泉比良坂の逸話を知ってるか?」
「いや、僕は知りません」
「俺もです」
「だと思ったよ。まぁこっちとしては都合はいい」
行く先を照らしながら、振り返ることなく鏡水は話し出した。
「伊邪那岐と伊邪那美は知ってるだろうな。日本の基盤を作った創造神として有名だが、伊邪那美は火の神を産んだ際に炎に焼かれて死んでしまった」
「イザナギとイザナミ………」
知ってはいるが、耳に入れた程度でそれ以上は詳しくなかった。
「悲しみのあまり伊邪那岐は、黄泉之国へ行き伊邪那美に会い彼女を連れ戻そうとした。すると伊邪那美は、黄泉之国の王に相談すると言い去ってしまう。その時、伊邪那美は戻るまで明かりを点けてはいけないと伊邪那岐に忠告したが、彼は待ちきれずに火を点してしまう」
「それで、どうなったんです?」
そう尋ねると、鏡水は後ろを向き薄く笑うと続きを話した。
「そこにいたのは、体は腐り骨が露出し、表面に蛆が湧いた姿の伊邪那美だった。その姿を見た伊邪那岐は、恐れを抱き逃げてしまう。それに怒った伊邪那美は伊邪那岐を追いかけ続けた。そしてついに、伊邪那岐は黄泉之国から脱出し岩で入口を塞いでしまう」
なんとも壮絶な話だ。まさか日本神話がそんなにも恐ろしいとは思ってもみなかった。
「そして伊邪那岐が辿り着いた場所が黄泉比良坂、俺があの社に付けた名前だ」
「何故そこから名前を引用したんです?」
「単純に俺がその話が好きだったっていうこともあるが、俺の故郷に昔から伝わる逸話だったからという理由もある。今ではあそこが俺の故郷みたいなものだからな」
「なんか小難しくて俺にはさっぱりでしたよ。ところで、またなんでそんな話をするんですか?」
悠司の突然の割り込みに対し、珍しく鏡水は普通に対応した。
「いや、別に深い意味は無い。ただ、消えた女を見つける為にこんなあの世みたいな場所まで来ちまったなんて、さながら俺達は伊邪那岐だな、と思ってな」
そこまで言うと鏡水は再び黙り込んだ。
話を聞き終えると、僕はふと今回の依頼を思い出した。そう言われて見れば、この依頼はその話にあまりに酷似している。憎しみで男を呪う女、その女を探す為に暗い世界を歩く男、順序は違えどまさしく鏡水の話にそっくりだ。
僕は身震いがした。これが果たして偶然が成しえる所業なのだろうか。まさかこの男が仕組んだのでは、と疑ってしまう程に頭の中は混乱を招いていた。
「さてと、ようやく本命に辿り着いたぜ」
見ると僕達はいつの間にかとある部屋の前で立ち止まっていた。
廊下の奥、辺りに他の部屋は無くこの部屋の前だけ異様な空気に満ち溢れていた。
「これって……噂の霊安室……ですよね?」
「御丁寧にも名前まで書かれているから、間違いないだろうね」
照らしてみると、扉の上部にそう書かれた札が掛かっていた。
「とりあえず入ってみないことには始まんねぇな」
何の前置きも無く鏡水は扉を開け、その先の漆黒へと消えて行った。
「待って下さい、て聞かないか、全く。どうする悠司君、覚悟は出来ているかい?」
「出来ていたら、今頃こんなに怯えていませんよ」
「それもそうだな、しかし残念ながら行くしかないようだ」
怯える悠司に背中を掴まれた僕は、鏡水の後を追い部屋に入った。
入った瞬間にこの空間の重みが体にのしかかった。扉の前でも同じ様な気分にはなったが、こちらの方がより空気が淀んでおり気分が悪くなる。だが、それ以上に異様なのがこの部屋、というより壁である。
辺りを照らし何処を見渡しても目に入るのは葉書、それも壁一面に敷き詰める様に貼られていた。いや、貼られているのではなく釘で打ち付けられている。よく見るとどの葉書にも、恨みつらみの言葉が殴り書きの言葉とともに人の名前が書かれていた。
僕はその内の一枚に手を伸ばした。これがこの廃病院の呪いの根源だろうか。
「…後藤行雄?」
手に取った葉書に書かれた名前、その名前に見覚えがあったがどうしても思い出せない。
「や、やっぱり……呪いはあるみたいですね」
「いや、そう決め付けるのはまだ早いと思うよ」
震えた声を出す悠司の意見を僕はすぐに否定した。
「確かに此処までおどろおどろしいとそんな気にもなるけど、それよりは呪いの実行犯がいると仮定した方が現実味があるんじゃないか?」
「そういうものですか?」
「そういうものだ。それより、こんな人の怨恨や憎悪を寄せ集めるなんて、この部屋は呪いより性質が悪い。此処はまるで…」
「地獄、とでも言いたいのか?」
僕の二の句を継いだのは、先程漆黒へと消えた筈の鏡水であった。
「悪く無い例えだが、此処はそれよりも「魔窟」と言った方がお似合いじゃないか?」
見た限りではあるが、鏡水は先程よりも楽しそうな顔をしていた。ふと目が合い、僕は顔を背け悠司に小声で話しかけた。
「あの男絶対危ないって。あの眼は完全に逝ってる眼だって」
「そうですかー? でも鏡水さんのおかげで此処まで来れたんですよ」
「別にあの男は何もしてないだろう。やっぱりあの時君を止めるべきだったよ」
「…先生、それだと俺が悪いみたいじゃないですか」
いつもと違う低い声色で、悠司は言い返してきた。
「君が全て悪いとは言ってない。でも君のせいで調査が遅れているのは確かじゃないか?」
「それを許したのは先生じゃないんですか?」
痛い所を指摘され、僕は動揺を隠し切れなかった。
「そ、それとこれとは」
「どう違うんですか?」
昔彼に言った言葉をそっくり返されてしまった。此処まで来ると、立場上僕が完全に不利になる。それ以降僕は言葉を発せなかった。何も言えずに拮抗状態が続く中、後ろから声を掛けられた。
「おい、あんたら。そんな所でごちゃごちゃとくだらねぇ話する暇があったら、その足元に転がってるもの調べたらどうだ?」
(……足元?)
突然のことで訳が分からなかったが、とりあえず言われた通り照らしてみる。
今まで気が付かなかったが、確かにそこには何かがあった。暗闇を身に纏い、沈黙を守っていたそれの正体が徐々に明らかになっていく。
大きさは人間位有りそうな感じで、所々が黒く変色している。布が被せてある様だが、ずたずたで意味を成していない。生物特有の体も見受けられるが、腐り切っており蛆が湧いている。頭は有るが顔は崩れ、髪は根を張る様に床に伸びていた。
そう、これはまさしく
「し、死体!!?」
「うわあぁぁあぁぁぁあぁぁぁ!!!」
叫び声を上げながら、悠司はその場で腰を抜かした。もはや人目など気にせず、ただ純粋に眼前の物体への恐怖に喘いでいる。僕は吐き気を覚え、手で口を押さえ必死に堪える。押さえた手に涙が触れ、初めて自分が泣いていることに気が付いた。口内で嗚咽がくぐもり、その音が暗い部屋に掻き消される。
横たわる死体に恐れ戦き続ける僕達を尻目に、鏡水は死体へ歩み寄るとしゃがみ込み懐から白い布を取り出し死体に触れた。
「な、何やって…」
「血は完全に変色して固まりきってるな。腐敗は進んでるが、そう何週間も放置された様子じゃない。死斑の具合や蛆の大きさからして、せいぜい一週間程てとこか」
至って平然として淡々と語る鏡水の姿は、とても素人とは思えなかった。僕も警察時代に殺人事件を担当したことはあるが、これ程まで醜悪な死体は見たことがない。それをこうもたやすく扱う様は、やはり只者ではない。
「い……い、一体だ、誰がこんな事を…」
「お、恐らく呪いの名を借りた実行犯だろう……」
必死に絞り出した震える声で悠司は問いを放ったが、僕の口からは曖昧な答えしか零れ出なかった。
「じ、じじじじゃあこれは一体誰の死体なんです?」
続けて絞り出した問いは、僕には分からなかった。確かにこの死体は誰のものなのだろうか。
「ちょっと待ってくれ………何だ、こりゃ」
先程からこちら見向きもせずに、ひたすら死体の身辺調査をする鏡水が何かを見つけたらしい。
「……学生手帳みたいだな、どれどれ……」
死体の胸ポケットに入っていた手帳を開き、鏡水は眺め出した。
「お、名前が書いてあるぜ………三島……楓…」
「え?」
その名前にも聞き覚えがある、いや聞き覚えがあるどころの問題ではない。
「せ、先生……それって」
「僕達が探していた……」
僕は絶句した、一瞬だけ思考が停止した。今目の前にいるのが探していた三島楓とは思いもしなかった。
僕達は何も出来なかった。探し人を見つけることは出来ても、助けることは出来なかった。今自分に突き付けられた冷たい刃物の様な残酷な真実さえ、頭は拒否し続けた。
「どうやら……呪いは実在した様だな…」
先程と変わらぬ口調で話す鏡水、唯一違ったことは何処となく悲しい顔をしていた所だ。暗い部屋で僕達は身動きが取れず、暫くの間静止した。まるで時が止まってしまった様な感覚に陥った。
僕達は絶望の渦に巻き込まれた。消えること無き恐怖が頭の奥に刻まれ、眼には先程の残像がはっきりと写っていた。考える事が嫌になり、全てを投げ出したい感情が溢れ出す。やっぱり厄介事に巻き込まれた。しかし、今更後悔しても遅いと身に染みて感じた。
ふと鏡水の言った言葉が頭を過ぎった。僕達はまるで同じだった。失った伊邪那美を探し求め見つけ出し、自分の思い描く形で無くなった彼女に怯え恐れる伊邪那岐の如く、具現化された絶望に苛まれていた。
続