序2
二日後、その後調べた情報から失踪した三島楓の自宅へと向かった。
楓という少女の家は事務所から車で二十分程の場所にあり、家を訪ねると楓の母親「三島君枝」が出て来た。行方不明の娘さんを探してほしいという依頼があった、と話すと快く協力してもらうことができた。
話を聞くと、失踪する前の三島楓はやはり何かに怯えていたらしい。他に何か知ってることは無いかと質問すると、有力な情報を得た。
「電話?」
「はい、あの子家を出る前に誰かと電話してました。そしたらあの子、いきなり家を飛び出してしまって、その後の行方は分かりません」
「警察に届け出は?」
「出しました。でも、高校生の失踪なんてどうせ家出じゃないかと真剣に取り合ってはくれませんでした」
「そうですか。時間を取らせてしまってすいません。それでは、失礼します」
立ち去ろうとすると、母親が尋ねてきた。
「あの、娘は帰って来ますでしょうか」
その質問に、僕は率直な意見を述べることができなかった。
「大丈夫です、きっと帰って来ますよ」
不安にさせない様何気ない顔で答えたが、僕の口から出たのはただの気休めだった。本当のところは、帰って来る見込みはあまりにも少なかった。失踪事件のみならず関係者の死亡、正直に言うと無事である保障は一つも無かった。
「そうですか、分かりました。こちらこそ、妙な質問をしてしまってすいません」
彼女は平静な面持ちだったが、その目には明らかに動揺の色が見受けられた。もしかしたら、僕の心境を悟ったのかもしれない。娘の無事の確証が無く、絶望的だということを。
しかし、それを口にすることができない。例え心では分かっていても、口にすれば瞬く間に心に暗い影が差し込んでいく、だから敢えて言わなかったのだろう。
「娘さんは、何としても見つけ出します。何か分かったことがあればすぐに連絡しますので、それでは」
そう言って楓の母親に一礼して、僕は家を出た。
駐車場までの道を少し歩いた所で、突然悠司が話し掛けてきた。
「悲しいですね。自分の娘が行方不明だっていうのに、ただ待つことしかできないなんて。なんだか、俺も胸が痛くなりますよ」
今まで黙っていた悠二が何気なく言った言葉に、僕も少しは同感した。
しかし、本当に相手の気持ちを共有するというのはまず不可能だ。それは自分と相手が個々の物体であるから、という理由もあるかもしれないが、実のところ人間は他人の感情をあまり受け入れないからだと思っている。受け入れれば自分が疲れていく、だから全てを共感することはできない。
なんだか自分が酷く虚しいものになっている気がする。感情にまで卑屈な考えを巡らせてしまう自分は何処まで惨めなのだろうか。
「…生、先生…大丈夫ですか?」
悠司が声をかけてきて、初めて僕は彼との間に距離が開いていたことに気付いた。悠司が向こうで心配そうにこちらを見つめている。
「大丈夫、ちょっと考え事をしてただけだから」
「気を付けて下さいよ。いくら最近仕事してなかったからって、こんな所で事故なんかしたら笑い話にもなりませんよ」
そう言って彼は無邪気に少し笑った。
「次は何処に行くんですか?」
「まずは高校や他の同級生に当たってみるか」
今はまず三島楓を見つけ出すのが先決だ。
高校や三島楓を知る人間に話をしてみたものの、有力な情報を得ることはできなかった。
「駄目です、三島楓に関する情報は何一つ得られませんでした」
「とりあえず今は持っている情報が少な過ぎる。例の廃病院に行けば、また何か分かるかもしれない」
「いよいよですか。やっぱり行かないといけませんよね?」
「当然だろう。今回の依頼はその廃病院が関係しているのは明らかだしね。それとも、まさか君呪いが怖いって言うんじゃないだろうね」
「い、嫌だな先生。そんなことある訳……無くも無いです」
「やっぱりか。どうも怪しいと思っていたが、君は呪いを本当に信じているのか?」
「そりゃそうですよ。今分かってる限りでも二人も事件に巻き込まれてるし、俺には呪いの存在を否定するなんてできませんよ」
自分より背が高く男らしい外見を持った彼が、呪いに対してこんなにも怯えている姿が少し滑稽だった。
「何度も言わせないでくれ。二人の事件と呪いは必ずしも関係とは言えないし、仮に呪いだろうと呪いじゃなかろうとそれ以上は僕らにはどうすることもできない。そうだろう」
「なんかよく分かりませんけど、先生がそこまで言うなら助手の俺だけ逃げ出すなんてできませんね」
ようやく諦めが付いたようで僕達は再び歩を進めた。しかし、その歩みも束の間悠司が立ち止まり口を開いた。
「そういえば、その噂の廃病院って何処にあるんですか?」
「え? それは・・・」
しまった、また大事な事を忘れていた。僕はそんな病院のこと知らないし、恐らく彼も知らないだろう。
「えーと……とりあえず場所探しから始めますか」
苦笑いしながらそう促した悠司、僕は彼と顔を合わせれなかった。
単純に恥ずかしかったからだ。そんなことも調べずによく調査と言ったものだ、と自己嫌悪でまた気分が滅入ってしまった。
気分を取り直して噂の廃病院の場所を探すことにした。このての都市伝説はやはり学生が詳しいと思い、街で聞き込みすることになった。
ふと腕時計に目をやると、もう既に昼をまわったところであった。
++++++++++++
街で聞き込みをすると、案外あっさりとその病院の情報を掴むことができた。やはり今学生達の間でその噂は流行っており、友達が行方不明になった、知人が失踪した等の証言も得ることができた。
しかしその証言はどれも胡散臭く、恐らく廃病院の都市伝説から派生したものだろう。それでもやはり呪いの噂は本当だった。
「噂になってる廃病院ってのは、どうやら「神宮国立総合病院」らしいです。二十数年前に封鎖されて以来手付かずの状態で、近隣の人も近付きたがらないそうです」
車の助手席で悠司が調べた情報を聞いた。相変わらず彼の情報収集能力には感服する。彼は顔が広く、依頼の度にその人脈を重宝している。だからといって僕がサボっている訳ではない。
「その病院は何処に?」
「街外れにある雑木林の奥にあるそうです」
「その病院が封鎖された理由は?」
「何か不祥事があったみたいですが、それ以上は分かりませんでした」
そこまで分かれば十分だ。あとは実際に行ってみるしかないだろう。
「分かったよ、ありがとう。まだ日没まで時間があるから今日にでも向かうことにしよう」
「えー!? 今からですか!?」
悠司は不満そうに答えた。
「失踪した三島楓の行方が分かるまで休む訳にはいかない」
「そうですけど、今から向かったらもう日暮れになっちゃいますよ!? いくら調査でも暗くなってから廃墟に行かなくてもいいじゃないですか」
「まだそんなこと言ってるのか君は。大体ついさっき諦めて僕に従うって言ったばかりじゃないか」
「それとこれとは」
「どう違うんだ」
いつもしない厳しい顔で、悠司を問い詰めた。いつも彼の軽口に負かされているが、理詰めで行けば僕の方が有利だ。
「……何でもありません。俺は先生に従順であることを誓います」
「分かればよろしい」
そう言って僕は車に乗った。運転してもらっている彼には悪いが、もう少し付き合ってもらうことにしよう。時計を見たらもう三時を過ぎていた。いくら夏とはいえ、早く向かった方がいい。彼を急かしながら、僕達は呪いの根源である廃病院へと向かった。
++++++++++++
日が少しずつ西の空へと沈み逝く頃、僕達はようやく噂の廃病院に辿り着いた。大まかな場所しか教えられなかった為、途中で完全に道に迷ってしまい予想以上に時間を喰ってしまった。やはり地理がよく分からない場所へは無闇に行かない方がいい、と改めて思い知らされた。
車から出ると、そこには生気有るものを淘汰した様な不気味な雑木林が広がっていた。
「やっと着きました。それにしても、結構時間かかりましたね」
「君がよく知りもしないのに、近道だからって裏道なんか通るからだよ」
「でも先生だって道が違うとか言わなかったじゃないですか」
「知りもしないのに否定ができると思っているのか? それにまだ林の前に来ただけじゃないか」
「情報によると、歩いて十数分位の所にあるそうです」
僕の発言を無視して、悠司は持っていたメモ帳を開いて情報を確認した。しかし、それはあくまで場所が分かる場合の時間である。
「道が分からない場合はどのくらいかかるかな?」
「まあ、とりあえず真っ直ぐ行けば何処かに着く筈です」
なんとも投げやりな発言だが、そこまで頭が回らず何もしなかった自分にも非があるのでこれ以上は口出ししなかった。
「日没までには目的地へ着くことを祈ろう」
「そうですね。それじゃ、行きますか」
彼の愛車をその場に残し、僕達は鬱蒼とした林の中へと足を踏み入れた。
十分程歩いたが、未だに病院は確認できておらず、疲労が体に酷くのしかり息も絶え絶えである。やはり日頃から運動を怠っていたのがたたったようだ。
「先生大丈夫ですか? こんな所で野垂れ死にするのだけは勘弁して下さいね」
冗談を言う暇がある悠司に比べ、今の僕はとても無惨な姿を晒しているのだろう。
「うるさいぞ、ハァ、ハァ…悠司…君…」
「ほら、頑張って下さい。後少しで着く筈ですよ」
「その…言葉、ハァ…何回聞いたと…思って、ハァ…いるんだ…」
道は全く舗装されておらず、足場が悪いので余計に体力が奪われていく。それでも、重い体を引きずるようにして先を進む。
しかし、獣道ではあるがそれらしい道が出来ている。恐らく、噂を聞いた連中が何度も此処を通ったに違いない。
「それにしても先生、随分と頑張りますね。そんなに張り切って大丈夫ですか?」
別に張り切っているつもりは無いが、僕は何としてもこの事件を早く解決したかった。それは興味本意だけでなく、前から感じていた胸の違和感を消せずにいたからだ。
「何か…この依頼、ハァ、ハァ…ただの人探しにしては…怪し過ぎる気が、ハァ…するんだ」
「何を今さら、先生最近おかしいですよ」
そう言われれば、最近自分でも不思議な行動をとるようになった。今だって、いつもならこんな厄介な依頼引き請ける筈が無いが、何故だか今回は引き請ける気になった。それは、最近憂鬱な気分であることが原因だろう、と自分で納得した。いわゆる、自滅願望とかいう奴だ。
「早く、ハァ…着かない…のか」
「後少しですよ」
「もう…何度、ハァ…目だよ、ハァ、ハァ……あ」
無駄話と無意味な考え事で気付かなかったが、いつの間にか林を抜けていた。
「今度こそは本当に着いたみたいですよ」
「そうみたい…だね」
林を抜けてすぐ、その建物は姿を現した。
夕暮れの逆光に照らされたそれは、傍から見れば何とも言えない風格があった。だがその風情は、近付く程に徐々に色あせていってしまう。
草木に囲まれたそれは長年放置されたせいか、外壁は崩れかかっている所が見受けられた。また、ツタが壁を這うように伸びており、乱雑で統一感の無い落書きが随所に施されていた。病院の窓という窓には全て板が打ち付けられており、入る者を拒絶、或いは内部からの逃走を防いでいる様にも見えた。明らかに周りの風景に馴染んでいない建物であった。いや、そうではなくこの一帯の不気味な空気を醸し出している元凶なのかもしれない。
「何というか、俺来たこと後悔してます。今さらですけど」
「本当に、ハァ…今さらだな」
とにかく入ってみないことには始まらないので、呼吸を整え病院の入口へと向かった。病院に近付く度に体がそれを拒んだが、自分の精神を奮い立たせ進んで行く。
病院の正面に来たが、そこで僕達は当然の如く壁に突き当たった。
「…立入禁止?」
「やっぱり駄目だったか」
病院の玄関口にはそう書かれた貼紙があった。まあ、こればっかりはどうしようも無い。
「でも噂を聞く限りでは、結構たくさんの人が入ったことがあるみたいでしたけど」
「つまり、この注意書きを無視して侵入した、ってことか」
「だったら俺達も入りましょうよ」
「分からないのか、君は。今此処で入ったら、僕達まとめて不法侵入で捕まってしまう。そうなったら、本当に洒落にならないよ」
「不法侵入って…え? それはおかしいですよ! だってこの病院もうとっくに封鎖されているんですよ。だったら別に問題無いじゃないですか?」
そう反論してきた悠司に対して、僕は注意書きの方へ指を差して答えた。
「あれを見てみろ」
「どれですか? あ、そういえば続きに何か書いてありますね」
注意書きの下には「神宮第二国立総合病院」と書かれている。
「あそこに書かれている病院が、この廃病院を管理している。もし入りたければその病院の許可が必要だ」
その事実を知り、悠司は深く肩を落とした。
「結局、此処まで来て何も得られなかったですね」
「いや、そうでもないよ」
僕は玄関へ近付きながら言った。
「立入禁止の貼紙はあるのに、玄関には鍵すらかかっていない。管理しているわりにはあまりに不用心じゃないか?」
「確かにそうですね」
「となると誰かが鍵を開けたか、鍵を壊して侵入したことになる」
「それは誰が?」
「僕の推測だと、恐らく呪いの噂を利用して三島楓の彼氏を殺した奴だろう」
「えぇー! まさかその彼氏が死んだのは、呪いじゃなく殺人だって言うんですか!?」
悠司は酷く驚いていたが、僕はいたって冷静に答えた。
「当たり前じゃないか。まさか、君本当に呪いで死んだと思っていたのか」
「勿論ですよ」
彼は真顔で答えた。僕は少し頭が痛くなった。まさか本当に信じているとは、せいぜい少し怖い位だと思っていた。
「それに他にも裏付けられる点はある」
僕は玄関口の下を見た。そこには多くの足跡が残されていた。
「此処に足跡が付いているが、この足跡が他のものの倍以上ある。恐らくこれが、犯人の足跡だろう。次に殺す人間を品定めする為に、何度も此処を訪れた筈だ」
「同じ人が何度も誰かを呪いに来た、ってことはないですかね?」
「それも有りだが、何度も此処まで来て呪う人間がいるかな? 僕なら、一度成功したらまとめて呪うようにするけどね。その方が効率がいい」
「成る程、流石ですね」
僕は少し得意げになっていたが、悠司は相変わらず暗い面持ちだった。
「でも、これ以上は進められないですよ。折角来たのに、指くわえて見るだけなんて」
「ともかく今は帰るしかないな。この病院に入るには神宮第二国立総合病院って場所に行かないといけないみたいだし、此処に居ても始まらない」
「そうですね。日帰り旅行はこれくらいにして、早く事務所に帰りましょう」
気が付けば、日は地平線に沈みかけており、辺りは既に薄暗くなっていた。
「急がないと、俺達遭難しちゃいますよ。それかこんな所で野宿でもします?」
「お断りだな、特に前者は」
そう言って僕と悠司は来た道を戻ろうと歩を進めたその時、ふと彼が質問してきた。
「そういえば先生、懐中電灯とか持ってませんか」
「ああ、一応持って来ているけど」
「よかった、安心しました。最近先生ぼーっとしてるから、てっきり忘れたのかと」
「失言だぞ、悠司君。僕もそこまで老いちゃいないさ」
ポケットに入れた懐中電灯を点け、暗い夜道を進んで行く。
明日はこの廃病院を管理している神宮第二国立総合病院へ行かなければならない。入る許可を得る為だけでなく、疑問に思っていた病院が潰れた理由も聞いておく必要があった。それが、あの廃病院にまつわる噂に関係しているのではないかと思ったからだ。
「そういえば先生、少し聞きずらいことなんですけど…」
「今度は何だ?」
「いや、先生此処まで来るのに結構頑張ってたみたいですけど、此処から帰って車に着くまでに先生バテちゃうかもしれないなー、って思ったんで」
「う、うるさい、早く行くぞ」
からかってきた悠司に、僕はごまかしが混じった返答をした。
「もしもの時は、俺がおんぶしてあげますから安心して下さい」
「それは絶対にないから安心してくれ」
完全に意地を張っていたが、そんなことはお構いなく悠司は後ろで笑っていた。
しかし、暗い獣道と持ち前の運動不足が災いしてか林を抜けるのに行きの倍以上かかってしまい、車の所まで辿り着き事務所に帰って来た頃には、もう八時を過ぎていた。
「初めての日帰り旅行は中々面白かったですね」
「僕は二度と御免だけどね」
夕食を済ませ満足そうに来客用のソファに寝転がってる悠司を尻目に、僕は寝室のベッドに入り眠ってしまった。
++++++++++++
翌日、僕達はあの廃病院を管理している病院へと向かった。そちらの病院は噂の廃病院からかなり離れた位置に建てられていたが、大通りに面した場所にあったため見つけるのは容易だった。
「でっかいですねー」
「あぁ、確かに昨日の病院の何倍も有りそうだ」
病院の駐車場に入ると、その大きさをまざまざと思い知らされる。
そこは、いわば「要塞」だった。要塞という表現は不適切だと思うが、来た者を病から守る、という意味では当たっているかもしれない。
壁は純白までとは言わないがほとんど色あせること無くその勇姿を保っており、遠くから見ただけで圧巻されそうである。
「…俺、なんか病院見ただけで腹痛くなってきちゃたんですけど」
「一体君はどんな体質しているんだ? 訳の分からないこと言ってないでさっさと行くよ」
そうして僕達は、この白塗りの要塞へと向かった。
病院の外観も去ることながら、内装も負けず劣らず立派であった。自分がよく行く病院とは比べものにならないと言っても過言ではない。
正面の受付の前には何十脚もの椅子が備え付けられてあり、辺りを見渡せば各科毎にまた別の受付と待合、診察室が存在している。見上げれば此処一帯は吹き抜けになっており、全ての階で人々が慌ただしく動いているのが見える。自分の周りでも看護師、患者、見舞い客などで溢れかえっていた。
できれば、あまり長居はしたくない。このままだと人に酔ってしまいそうだ。まずは此処の責任者に会わねばならない、話はそれからだ。僕は正面受付へと歩いて行った。
「すみません、この病院の院長先生はおられますか」
突拍子も無い質問に受付の女性は困惑していたが、すぐに僕の質問に対応してきた。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「私は月読探偵社の望月と申します」
「同じく月読探偵社の月波です」
僕の後にいる悠司が元気よく答えた。
「今日はどういった御用件で?」
「実は神宮国立病院についてお聞きしたいことがあって来たのですが」
そう言うと受付の女性は一瞬険悪な顔付きになったが、すぐに表情を戻した。
「分かりました。しかし、院長へ都合を確認してからでないと面会できませんので、少々お待ち下さい」
そう言って女性は、内線電話で連絡を始めた。椅子のある待合に向かおうとしたが、そこまで時間がかからないと思いそのまま待つことにした。
待ち時間でとくにすることもなく、再び辺りを見渡した。看護師、患者が行き交い話をしたりしている。服装や場所は違えど、此処も外のありふれた日常風景と相違なかった。
「はい、分かりました。すいません、お待たせしました」
どうやら僕の予想通り、それ程時間を取らず話は済んだようだ。
「あと二十分程かかるので院長室でお待ち下さい、とのことです。院長室まで私が御案内させていただきます」
院長室まで同行してくれると言うので、此処は御言葉に甘えさせてもらった。
院長室の前に着くと、中へと案内された。
「院長が来るまで、どうぞ椅子に座って待っていて下さい」
そう言うと、彼女はドアを閉め去って行った。部屋には僕と悠司の二人だけが取り残された。部屋の中は仕事机と応接間とがあり、自分の事務所とそれ程違いは見られなかった。
しかし部屋は広々としていて、自分の事務所とは比べものにならない程であった。壁には様々な賞状や偉人の教訓が書かれた文書が額縁に入れられて飾ってある。部屋に置かれた家具はどれも高そうな物ばかりで、床には極彩色の絨毯が敷かれていた。
入ってすぐにこの部屋の重苦しい空気を肌にひしひしと感じてた。どうやらこの建物の中では、何処に行っても長居しずらい雰囲気を僕は感じた。
「やっぱり、僕にはこういう堅苦しい空気は似合わないな」
そう言って横を見ると、悠司は何事も無く普通に突っ立っていた。
「君はこんな所に来ても、緊張感の一つも見せないのか。随分と神経図太いな」
久しぶりに自分から悠司に皮肉を言ってみせたが、当の本人は全く意に介していなかった。
「緊張はしてますよ。学生時代に調子に乗って、よく職員室で説教をうけたことがあるんですよ。何だかその時の感じに似てますね」
そんなこと言える心境なら、絶対に緊張していない。それより僕は、彼は学生時代から全く進歩していないのか、ということの方が驚きだ。といっても、薄々そんな気はしていたが。
とりあえず座って待つことにした。相変わらず、自分はこういった場所には不向きだな、と感じた。
部屋でじっと待っているといきなりドアが開き、厳格そうな男が入って来た。
目付きが鋭く眼鏡をかけており、髪は黒いが所々に生える白髪が目立つ。顔の皺がより一層厳格な雰囲気を醸し出し、一目見て人の上に立つ人間だと見て取れる。
「初めまして、私この神宮第二国立総合病院の院長を務める「神宮英章」と申します」
深く凄みのある声、見た目とは裏腹に穏やかな口調であった。
「月読探偵社の望月幸斗です」
「同じく月読探偵社の月波悠司です」
起立し自分達の素性を名乗り終えると、男は僕達を交互に見渡した。
「立って話すのも何なので、とりあえず座りましょう」
そう促され応接用の椅子に二人並んで座った。正面に座った神宮院長の双眸から放たれる視線は痛い程で、この緊迫状態では満足に話もできない。
しかし、このままでは埒が開かないので思い切って話を切り出した。
「じ、実はこちらの病院が管理なされている神宮国立病院についてお聞きしたいことがあり、伺った次第でして」
ようやく発した言葉だったが、その言葉で院長は眉間に皺を寄せ苦い表情を露にした。
「今は使われていない、あの病院のことですか?」
「はい、私達ある依頼でその病院の調査をしているんですが、もしよければ中に入らせてもらえないかと思いまして」
相変わらず苦い表情に変わりはないが、このまま茶を濁しても話は進まないので気にせず続けることにした。
「その依頼とはどの様なものなのですか?」
「すいませんが、守秘義務があるのでそれ以上申し上げる訳にはいきません」
僕も探偵の端くれ、依頼主の人権は必ず尊重しなければならない。
「そうですか、つかぬ事を聞いてすいません。それで、あの廃病院のことでしたよね」
「はい、出来ればその病院に入る許可をいただければ嬉しいのですが」
神宮院長は目をつむり考え込んだ。やはり無理があったのだろう。確かに少し望み薄ではあったが。
仕方が無いので、また別の方法で調査しなければ、と頭の中で思考が独り歩きしていた、その時だった。
「分かりました、許可いたしましょう」
「えぇー! 本当にいいんですか?」
予想していなかった言葉が飛び出し、先程まで静かに話を聞いていた悠司があからさまに驚きを露にした。
「えぇ、構いませんよ。但し、少しばかり忠告しておかなければならない事があります」
神宮院長は続け様に答えた。忠告とは、一体何なのだろうか。
「調査するのは構いませんが、なるべく病院内の物には手を付けないようお願いします」
「勿論承知しております」
これで心置きなく、あの廃病院の調査を進めることができる。
すると神宮院長は、ポケットから何かを取り出した。
「それは?」
「あぁ、これですか? ただのビタミン剤ですよ。近頃は忙しくて、寝る時間や食事の時間を削らないといけないんです。だから、少しでも体に栄養を補給する為に使っています。でも、本当はこんな物に頼っちゃいけないんですけどね」
そう言って苦笑いをしているが、僕には早く帰るよう促している様にも思えた。
「ほらほら先生、神宮院長も忙しいんだから早く帰りましょうよ」
「あの、最後に一つ聞いてもよろしいですか?」
「えぇ、何です?」
そう催促する悠司を無視して、僕はどうしても聞きたかったことを尋ねた。
「差し支え無ければあの病院、神宮国立病院が封鎖された理由をお聞かせ願えませんか?」
噂では不祥事が発覚した為に封鎖された、と聞かされてた。その真意を確かめる必要があった。
本当なら相手の気持ちを考えて敢えて質問しないのだが、今はそんなこと言っている場合ではない。何せ人命がかかっているかもしれないからだ。
「…すいませんが、それは言えません」
「何故ですか?」
「こちらにも触れてほしくない、掘り返したくない過去というものがあるんです」
言いたくないということらしい。そうすると、やはりあの病院には何かある、という裏付けになった。
「もしかして、貴方達の依頼というのは病院の都市伝説が関係しているのんですか?」
不意を突かれて、内心ドキッとした。まさか知っているとは思ってもみなかった。
「知っていたんですか?」
「えぇ、多少は。数年前から看護師の間でも流行っている噂ですよ。なんでも呪いがどうのという、眉唾な噂ですよ」
そう言うと、神宮院長は目を伏せた。さっき受付の女性が嫌そうな顔をしたのはその為だったのか。
「ところで、あの病院は院長先生の持ち物なんですか?」
悠司がそう切り出してきた。先程まで早く帰ろうと言っていたのに、この男は本当に自由な奴だ。
「あれは私の父の物です。父はあの病院の元院長で、当時は有名な病院だったんですよ。まぁ、今ではその面影は無いと思いますけど」
そう語る院長に、悠司はさらに質問した。
「お父さんは今でも元気何ですか?」
まるで親戚の様に話す悠司だったが、神宮院長は何処か淋しげな表情をした。
「父はもう随分も前に亡くなりました」
そう言うと、流石の悠司も静かになった。嫌な沈黙が部屋に漂い始めたが、神宮院長がその沈黙を破り話し出した。
「まぁ父の影響も有り、私も医者になろうとしたんです。しかし、父が守り続けた病院も、今では負の遺産でしかありませんが…」
「負の遺産、とは?」
「え? いえ何でもありません、こちらの話です」
そう言ってごまかす院長だったが、敢えてそれ以上は聞かないことにした。
話を聞き終え、これ以上の長居は相手に迷惑だと思い引き上げることにした。
「長い時間お付き合いいただきありがとうございます。それではこれで」
神宮院長に一礼し、部屋のドアへと向かった。悠司も一礼後、僕のあとを追ったが、その時後ろから神宮院長が呼びかけてきた。
「そういえば、一つ言い忘れてたことがあります。あの病院ですが、一週間後に取り壊しの工事が決まったんでそれまでに調査を終わらせた方がいいですよ」
「え? 取り壊すんですか、あの建物を」
「えぇ、いつまでもあの建物を放置しておくのはよくないと思いましてね。変な噂も立っていますし、最近では面白半分で入る人間もいますし。父には悪いですが、取り壊すことに決めたんです」
「何故今になって?」
あの廃病院は二十数年前に封鎖された、かなり時間が経っているのに今さら取り壊しとは些か遅すぎる気がするのだが。
「実は結構前から考えていたことなんですが、どこの業者も気味がって、承諾してくれる人を見つけたのがつい三週間程前のことだったので」
そのことを知り、僕の心には焦りが生まれ始めた。あの病院の調査にはリミットがある、急がなければ依頼に支障が生じるからだ。
「分かりました、ありがとうございます」
「それから、病院の調査は構いませんが、なるべく公言は控えてもらうと嬉しいのですが」
「承知しております。院長先生に迷惑が掛からぬように致しますので」
そう言い残し、僕達は部屋を後にした。
病院から出ると、先程までほとんど黙っていた悠司がようやく喋りだした。
「いやー緊張しましたね。やっぱり俺には、ああゆう堅苦しい雰囲気は似合いませんね」
「嘘をつけ、部屋に入った時には全くそんなそぶり見せなかったくせに」
「俺はあれでも緊張しまくりだったんですから」
そんな他愛もない話を続けたが、やがて車の前まで来ると車に乗り込み本題に入った。
「それで、ようやく許可をもらいましたがこれからどうするんです?」
「今から行っても構わないが、着いた頃には日が暮れてるよ。それでもいいなら行くかい?」
「それだけは勘弁して下さいって」
からかわれながらも、悠司は車を出した。
「まずは事務所に戻ろう。今分かっていることを少し整理したいしね」
「そうなると明日行くとして、あと残り六日しかありませんね」
「それだけ有れば十分じゃないか? そんなに調べることも無さそうだし、せいぜい二日か三日で終わる筈だ」
「しかし、またあの薄気味悪い病院に行くと思うと気分が滅入ってきますよ」
「まぁ確かにそうだが、背に腹は変えられないからな、諦めたまえ」
今後の予定を考えながら、悠司は帰路を目指し車を走らせた。
++++++++++++
「とりあえず、今分かっていることを整理しよう」
事務所に着き一息ついた後、今の調査状況をまとめ一度頭を整理することに決めた。
僕はデスクの椅子に座っているが、悠司は来客用ソファに横になりながら話を聞いていた。
「悠司君……もっとちゃんとした姿勢で聞いてくれると嬉しいんだけど…」
「俺はこれでも真面目に話聞けるんで、どうぞ話を続けて下さい」
なんともふてぶてしい奴だが、彼の言うことを信じて話を続けた。
「まず、吉川翔子という女子高生から失踪した同級生の三島楓を見つけてほしい、との依頼があった。その依頼には、巷で囁かれている呪いの噂が関係していると分かった」
「あぁ、そういえばそんなことありましたね。色々有り過ぎて、すっかり依頼のこと忘れてました」
とぼけた調子で呟いているが、そこを忘れてはいけない筈の所である。少なくとも、依頼内容だけでも覚えていてほしいものだ。
「三島楓の失踪について、学校の関係者からは有力な情報は得られなかったが、三島楓の母親、三島君枝から失踪直前に娘が電話をしていたことが分かった。恐らく、電話の相手が三島楓の失踪事件に絡んでいると僕は推理した」
「先生、そんな細かいことよく覚えてますね。俺なんかあの時覚えていることといえば、三島楓の家にあった車のナンバーぐらいですけどね」
そんなどうでもいいこと覚えるより、もっと大事なことがあるだろうに。
「その後僕達は実際に噂の廃病院へと向かい、呪いの実行犯がいると思われる痕跡を見つけたが、それ以上は調査の進展が見込めずやもなく断念した」
「あの時は中々面白かったですね。先生との日帰り旅行、俺としては結構楽しめた方だと思いますよ」
「……悠司君」
先程からの無礼な態度に、流石の僕も限界だった。
「いくら何でもその態度は見逃せないな。基本的に助手が気を使うものなのに、何故僕が君に気を使わなければならないんだ?」
「何言ってるんですか。俺は先生のそういう所に惚れ込んでいるんですよ」
僕の意見に対し、悠司は全く関係のない話題を提示してきた。
これ以上怒っても仕方がないので、肩の力を抜きとりあえず質問してみた。
「じゃあ聞くが、君は僕の何処に惚れたというんだ?」
「優しくてー……少し天然な所ですかね」
もはや僕には、それは悪態にしか聞こえなかった。彼に悪気が無いのは分かるが、僕が肩を落とすのには十分過ぎた。
「もういいよ。とりあえず黙って話を聞いておいてくれ」
そう促し僕は話を続けた。
「その後、例の廃病院を管理している神宮第二国立総合病院に赴き、院長の神宮英章から無事廃病院に入る許可を得ることができた。しかし、相変わらずあの病院が封鎖された理由は分からず仕舞い、神宮院長の様子だとあまり調べてほしくないみたいだった」
「それがついさっきの出来事ですね。そして次は廃病院に侵入し、事件の手掛かりを探す、と」
「まぁそういうことだ」
一通り話をまとめたのだが、悠司は浮かない顔をしていた。少し心配になり、声をかけてみた。
「悠司君、君最近どうも様子がおかしいんだが…」
「先生程じゃありませんよ」
「冗談抜きでどうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
「いや、そういう訳じゃないんですが…」
やはり何か隠し事があるようだが、何を隠しているかは皆目見当が付かない。
いや、一つ思い当たる節がある。ずっと前から彼が何度も気にしていたこと。
「…ひょっとして、病院の探索が怖いのか?」
「へ!? な、何言ってるんですか! そ、そんな訳ないじゃないですか!」
分かり易いリアクション、どうやら僕の読みは当たっていたようだ。
「そうだと思ったよ。まぁ、怖いのも無理ないが決心は付いた筈だろう?」
「別に怖くはありません! ただ、あんな所に行くのは誰でも気分いいものじゃないでしょう!?」
あくまで否定したがる悠司だが、その言い訳は恐怖心の裏返しにも聞こえた。
「しかし此処まで来たら引き下がれないし、もう時間も無い。最悪君は残って、僕だけで行くのも有りだが…」
「それだけは嫌です! 先生だけ行って俺だけ留守番なんて、そんなの納得できません!」
そう食い下がる悠司に、ついに僕は痺れを切らした。
「だったらはっきりしてくれ! 行くのか、行かないのか、一体どっちだ!」
「そんなこと言われても………あーどうすればいいんだ。何かいい方法はないものか」
そんなの、諦めて素直についていく、というのが一番良い方法だと思うのだが。
「………そうだ!! いいこと思い付きましたよ!」
しばらく考え込み、悠司は起き上がった。どうやら何か閃いたらしいが、彼の思い付きはあまり信用ならない。
「一体何を思い付いたんだい?」
「そういう呪いとかちょっと怪しい超常現象とか、いわゆるオカルト的なことに精通している人を同伴させればいいんですよ。つまり専門家、その道のプロに頼むんです」
「成る程、蛇の道は蛇ってことか」
「よく分かりませんが、多分そういうことです」
いつもあまり考え事をしない悠司にしては、中々面白い意見だった。
しかし、僕らには時間が無いし、そう都合良く専門家がいるとは思えない。
「悠司君、残念だがその提案は…」
「うむ、我ながらいい考えだぞ。問題は病院が無くなる前になんとしてもその呪いのプロを見つけ出さなきゃならないな」
「…悠司君、聞いているのか?」
「しかし今日中に見つけ出し、明日頼めばなんとか時間は確保できるかも」
僕の応答には一切返事をせず、悠司はしばしモノローグに浸っていた。
「よし、決めました! 俺今から街に出て、病院探索に同行してくれる呪いの専門家を探そうと思います」
「え!? ち、ちょっと待ってくれ悠司君!」
そう言っても止まらず、悠司はメモ帳と車の鍵をポケットに入れ、玄関に走って行った。しかしドアに手をかけ、いざ出ようとしたその時、彼は突然振り返った。
「あ! もしかしたら、俺今日帰って来れないかもしれないんで、夕飯は適当に食べて下さい」
「何!? 一体どういう……って、おい……行ってしまったか」
事務所下の駐車場からエンジン音が聞こえ、外を見ると車はもうだいぶ遠くへ行ってしまっていた。
一人事務所に取り残された僕は、しばらくの間呆然としていた。この短時間に様々な事象が電光石火の如く過ぎ去ってしまったからだ。
「……晩御飯どうしよう」
それ以前に考えなければならないことが山程有るが、今は頭が回らずそんなどうでもいい疑問しか浮かばなかった。
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「……生…先生、先生ー! 起きて下さい、もう朝ですよ!」
「……ん? 悠…司君?」
夢の中で至福の時間を楽しんでいたのも束の間、悠司の大声で突然現実に引き戻された。
体を起こすことさえ億劫だったが、このまま彼を無視するのも悪いと思い不本意ながら目を開けた。
「……先生、おはようございます!」
「うわぁ!!」
目を開けるとすぐ目前に悠司が僕を見つめており、驚きの声とともにベッドから飛び起きた。
「起きて早々騒がしいですね、先生。近所迷惑になりますよ?」
「それはこっちの台詞だ! 全く君のせいで散々な寝起きだよ! それより君帰ってたの……て、なんで僕のベッドで寝ているんだ!?」
よく見ると、悠司は僕と同じ布団に入っていた。何故こんなことをするのか、理由がさっぱり分からない。
「まぁそんなに怒らないで下さいよ。俺と先生の仲じゃないですか」
「どんな仲なんだ!? それはそうと、君いつ帰って来てたんだ?」
「ついさっきですけど」
「え? じゃあ君一体何処で寝泊まりしてたんだ?」
「車の中です。それが、中々お祓い屋が見つからなくて、隣町にまで行ったんですよ。そしたら、いつの間にか暗くなってたんで仕方なく」
彼は何処まで探しに行くつもりだったのだろうか。
「それで、何か情報は掴めたのか?」
「はい、ようやく見つけましたよ。いい感じのお祓い屋さんが」
悠司は満足そうに答えた。
「そうか、分かった。しかし、まず話を聞く前に…」
「え? どうかしましたか?」
「…とりあえず、早くベッドから出てくれないか?」
此処でようやく今の自分達の状況に気付いたが、僕と彼の間に気まずい空気が流れた。
寝巻から普段着に着替え、寝癖を手で梳かしながら悠司に尋ねた。
「それで、そのお祓い屋ってのは何処のどんな奴なんだい?」
「はい、ちょっと待って下さいね」
そう言うと、悠司はポケットからメモ帳を取り出して答えた。
「一般の人からはとくにめぼしい情報は得られなかったですが、お寺や神社の人から、そういったことに詳しい人物がいる、と多数の情報が得られました」
「え!? この辺りにはお寺も神社もないぞ!? 君本当に何処まで探しに行ってたんだ?」
「まぁいいじゃないですか、そんなこと」
僕の話題を軽くあしらい、悠司は話を続けた。
「情報によると、此処から東に行った所に下町があって、そこにある神社の宮司の男がその人です。男の名前は「比良坂鏡水」、その人なら引き受けてくれるそうです」
「ひらさかきょうすい? 何とも大それた名前だが、本当に大丈夫か? 何か凄く怪しい匂いがするんだが…」
「絶対大丈夫です。それに、これで少しは希望が見えてきますよ」
そう答えた悠司は何処となく安心している様だった。
しかし、この話題はあくまで彼の独断で進めたものであり、僕はそんないかがわしい人物の力を借りたくはなかった。
だが、これまで悠司には世話になったし、情報収集の大半は彼がやってくれた。そんな彼の望みを消し去るのはあまりにも忍びなかった。
「よし分かった、準備が出来次第向かうとしよう」
「了解です!」
元気良く返事をした悠司に、僕は少しだけ子供っぽさを感じた。いくら頼りになると言っても、呪いを怖がり自由奔放な所を見るとやはりまだ幼気であった。
(そういえば、彼は確かもう二十代後半だったような気がするが…)
「準備完了です! 先生は終わりました?」
「ああ、大丈夫だ」
着替えも準備も終わり、ようやく出発の手筈が整った。善は急げと言うように、玄関のドアノブに手をかけたその時だった。
「あ!!」
突然、後ろにいた悠司が何かを思い出したような声を出した。
「なんだ!? さっきから騒々しいぞ」
「すいません、言い忘れてたことがあるんですけど……」
「何をだ?」
悠司は言いずらそうな様子であった。
「…実は、その神社の調査を色々な所でやっていたんですけど、誰に聞いてもあそこに行くのは辞めた方がいい、って言うんですよ」
「はぁ? それはどういうことだ?」
「分かりません。ただ、行けば必ず後悔することになるって」
その言葉を聞き、先程まで頭から掻き消されていた不安が再び蘇った。
また厄介なことに巻き込まれるという予感がしたが、流石にそれは無いだろうと自分に言い聞かせることにした。
多分、望み薄だと思われるが…
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