笠原みどりの章_4-2
笠原商店に着いた。
ガラッと引き戸を開けると、新聞を広げながら店番をしている中年の男の姿があった。
みどりの父親……だな。
「いらっしゃい……お? この間ウチのバカ娘がお茶をぶっかけた……」
「はぁ。戸部達矢です」
名乗った。
「戸部達矢くんか……」
「あ、お茶のことは気にしないで下さい。平気だったんで。むしろ、クリーニング代までもらっちゃってって感じです……」
「そうか。だが、君が感じた精神的苦痛は、あんな少ない金銭では和らぐことはないかと思う」
いや、あまりあるほど和らいだっていうか、最初からそんなに苦痛でもなかったんだが。
「お詫びと言っては何だが、君が買うものを半額にするよ」
「マジですか!」
全品半額とは!
「マジです」
そんなこと言われたら目を輝かせざるを得ないぞ。正直、そこまでしてもらっちゃって良いのって感じだが、詫びなくちゃ気が済まないみたいなオーラが出てる。
事実、ほんの僅かながら不利益を被ったのだから、この詫びを素直に受け取ることにしよう。素直に、超喜んで。
「じゃあ、ちょっと品物じっくり見させてもらいます!」
「ああ、ごゆっくりどうぞ」
で、店内を物色していると、面白いものを見つけた。
いや、まぁ大したものではない。
ただのイタズラ道具だ。
プラスチック製のゴキ○リ。略して「ピージー」
Plastic Goki**ri
頭文字を取って、「ピージー」と呼ぼう。
隠語略語にすれば、おぞましさも半減するというものだ。そして、ゴ○ブリのくせにおぞましくないということは、それはもうゴキ○リではない。
ピージー。あくまでピージーである。
にしても……細かく描写する気も失せるほどにモザイク必至のリアルさだ。細部まで精巧に作られている。足の毛とかリアルすぎて思わず顔をしかめたくなるほど。
んで、とりあえずそれを購入しておこう。
女の子の服の中とかに入れてビックリさせたい。
我ながら最低だとは思うが、そのくらいのスパイシーさは常に求められているとは思わないかねっ?
思われているだろう。間違いない。
間違いないことだ。
ピージーを手に取った。
あとは……。
おっと、そんなタイミングで窓の外では急に雨が降ってきた。
ついでにゴロゴロと唸り声のような声が聴こえてきた。
どうやら雷雨らしい。
当然のように傘が無いからな、傘も欲しい所だ。
「おじさーん。傘ないっすかー?」
「あるよー。こっちおいでー」
「はーい」
呼ばれたので、右手にピージーを持ったまま笠原父の待つカウンターへと向かった。
「ビニル傘しかないけど、これ」
緑っぽい色のビニル傘を手渡してきた。
「ありがとうございます」
「で、他に何か買うのかい?」
そして俺は、満を持してピージーをカウンターに差し出した。
「これを……」
笠原父は、驚きの表情をした後、
「ほう……これを、何に使うと言うのかね」
低く、渋い声を出して言った。
「悪戯に……」
俺は答えた。
「まさかとは思うが……ウチの娘に使う気ではないだろうね……」
「断じて、そのような気はありません」
嘘だった。
みどりちゃんの背中にでも入れちゃおうとか考えていた。
我ながら極悪である。
「ならば、良し。ええと、傘と、コレで、うん、100円でいいや」
安っ!
半額より安いだろ、それ。
「いいんですか? そんな安くて」
思わず訊いてしまう。みどりの話だと店の経営状態は思わしくないっぽい感じだったからな。
「ああ、大丈夫大丈夫。お詫びだよお詫び」
これが原因で店が潰れたりしたら、いたたまれないんだが。まぁ、そんなことはないんだろうが。
「袋に入れるかい? このオモチャ」
「あ、いえ、そのまま――」
と、その時だった!
店の奥から白いヒラヒラがついたワンピース装備の可愛いみどりちゃんが登場。私服姿も可愛い!
そしてみどりは、
「お父ちゃん――どっかに傘……」
言いかけて、みどりは叫び声を上げた。
「きゃぁあああああ!」
そして、更に言うのだ。
「お父ちゃん! ゴキ○リ!」
で、どこからか取り出したスリッパでバゴンとぶっ叩き、
「きゃぁあああああああ!」
床に落ちたところにどこからか取り出した泡で固めるタイプのゴキ専用兵器を噴射。
「きゃー!」
固定されたピージーは手早く新聞紙で何重にも巻かれ、ゴミ袋に放り込まれ、
「いやぁー!」
さらにそれはもう一度ゴミ袋に放り込まれた。
後、静寂。
「………………っはぁ、はぁ……大丈夫? お父ちゃん」
キャーキャー叫ばれながら、ピージーは大きな活躍することなく二重ゴミ袋の中でその一生を終えた。
「すまん、達矢くん。売り物が死んだ」
「はい。見てました」
「えっ、売り物……?」
「今お前が殺したのは、プラスチック製のゴキ○リだ。このバカ娘が」
「やだ。ごめんなさい……やだ……恥ずかしい……」
恥ずかしがるみどり。両手を頬に当てるほどに。
「その前に、何で達矢くんが来てるのっ?」
「俺に買い物をするなとでも言うのか」
「あ、買い物。そっか」
「それ以外に何のために店に来るってんだ」
「…………えっと……」
考え込んでしまったぞ。
「みどりこそ、そんな可愛い格好してどこかにお出かけか?」
「あ、うん。級長に呼ばれて、女子寮に遊びに行くところなんだけど」
「そうか、いってらっしゃい、娘よ」
と父。
「でも、傘がなくて」
「傘が無い? そんなおかしな話があるものか。玄関に……」
「うちにある傘は、お父ちゃんが傘ゴルフして全部折っちゃったんじゃない!」
小学生かい。
「そうだったか。じゃあそれなら無いな。店にももう無いぞ。最後の傘がたった今売り切れたところだ」
「えー。じゃあ、どうしよ。お父ちゃんのレインコートとかあったっけ? あたしのは、友達に貸した後、返してもらってないんだけど」
「品切れ中だ」
「そうじゃなくて、お店に無いのはいいとして、ウチにあったっけって」
「どこにしまったっけなぁ……」
「もうっ……」
「ふははっ」
笑う父。
「何笑ってんのよっ!」
みどりは顔を赤くしていた。
「しかし、風が強くて傘なんて差しても壊れるだけだろう、娘よ」
「ううん。今日は、久しぶりに昼間に凪がきてるから、傘でも大丈夫」
「そうか。しかし傘もレインコートも店には無いぞ」
で、俺は提案する。
「みどり」
「え……何、達矢くん」
「よかったら、入れてやろっか?」
「……へ? 何に? 何を?」
「傘。これ」
俺は言って、緑っぽいビニル傘を持ち上げた。
「ぅええ? でも……」
「俺も、もう寮に帰るところだから。買うものも買ったし」
一部壊れたが。
「お、そうだな。よかったじゃねえか。入れてもらえ」
「え、え。でも……」
「娘をよろしく頼んだ。達矢くん」
「はい。じゃ、行くぞ、みどり」
「ほら、行ってこい」
父に背中をドン、と押されて、みどりは俺のそばに来た。
「よ、よろしく……」
「おう」
「じゃ、お父ちゃん。行ってきます」
「行ってらっしゃい、娘よ!」
そして、ガラッと引き戸を開けると、雨の音が大きくなった。
俺は、傘を開いて、みどりは戸を閉めた。
「よし、行くぜ」
「はい……」
二人、一つの傘に入って歩き出した。