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笠原みどりの章_2-9

 保健室。


「戸部サン、まじパネェっす」


 俺をベッドの上に座らせてすぐに、俺に肩を貸していた短髪の男子生徒はそう言った。


「何がだ」


「あの万全な状態の上井草まつりに真正面から挑むなんて、オレにはちょっとできないっす。憧れっす!」


「そうかい」


「そうっす!」


「いやはや、女の子に憧れられるなら良いがな。男に憧れられてもちょっと、な」


「それなら大丈夫っす。戸部サンを心配して、ホラ」


 男子生徒が視線を送った先は保健室の入口。


 そこに静かに立っていたのは、笠原みどりだった。


「では、オレは帰りますね」


「あ、ああ。ありがとうな。ここまで運んでくれて」


「いえ、大丈夫っす。戸部サンと話せましたし」


「そうかい」


「それじゃあ」


 男子生徒は言うと、保健室を出て行った。


 出るときに、みどりと軽く会釈を交わしながら。


「みどり……」


 彼女は声を出さなかった。静かだった。


 無言がこわい。


 保健室に入ってきたみどりは、デスクの上にあった救急箱を手に取り、開けた。


「あの、みどりさん……」


「……保健の先生なら、もう帰っちゃったって」


「いや、そういうことじゃなく」


「じゃあ何よ?」


 俺は傷ついて滲んだ膝を見つめながら、


「……負けちまったからさ」


「バカみたい」


 何だと……。


「まつりちゃんに勝てるわけないでしょ」


 救急箱から、必要なものを取り出したようで、みどりは箱をパタンと閉めた。 


「でも、お前がひどいことされてるの、見てらんなくて」


 しかしみどりはこう言った。


「あのね、まつりちゃんは……少し、(もろ)いところがあるの」


「え?」


 どこがだ。あんなに強い奴はついぞ見たことないぞ。


「力が、じゃなくて、心が……ね。昔は、今なんて比較にならないくらいに荒れてた」


「そ、そうなのか」


 今よりもっと荒れてたって、どんなレベルだ。


「それは、学校を支配するほどに」


「マンガかよ」


「教師すらまつりちゃんには逆らえなくて、学校が無法地帯と化しちゃってたの。まぁ、今でも教師はまつりちゃんに弱いんだけどね」


「それで、何がどうなって今の上井草まつりになったんだ……? 見たところ、今はそこまでの不良には見えなかったが」


 訊くと、みどりは言った。


「幼馴染同盟を発動させたの」


「何だ、それ」


「ほら、そんなことより傷見せて」


 くっ、面白そうな話なのに、焦らし作戦ときたか。


「それよりも、まつりの話が気になるんだが」


 そう言うと――


「えいっ」


 俺の膝に消毒液を直接かけた。


「痛い! しみるっ、しみるぅ!」


「我慢しなさい」


「膝がしらァ!」


 思わず痛い部位を叫ぶほどに。


「ていっ!」


 そして、大き目の絆創膏を、バチンと貼った。


「はうっっ!」


 手当てが乱暴だった。


「それでね……って……大丈夫?」


「痛いっす、みどりさん……」


 涙目。


「そのくらいの怪我で、まつりちゃんは痛がったりしなかったよ」


「じゃあ痛くない」


 子供っぽく張り合いたがる俺だった。

「それで、続き、聞きたい? 幼馴染同盟」


「そりゃもちろん」


「じゃあ話すね。幼馴染同盟っていうのは、同じ位の時期に商店街で生まれて、一緒の坂で遊んだ六人の仲間たちのことで……サナって子をリーダーに、あたし、マナカ、カオリ、マリナ。そしてマツリ。あの頃は皆仲良しで、幸せだった。でもサナが引っ越しちゃって、それをきっかけに、どんどんマツリが荒れていったの。元々荒かったけどさらにね。一人だけあたしたちから離れて、遊ばなくなった」


「へぇ」


「それどころか、マツリは学校にも来なくなって……そのうちに、残った幼馴染四人もバラバラになって、一緒に遊ばなくなっちゃったの」


「まぁ、そうだな。二人抜けたら、集団としては全然違うものになっちまうもんな」


「うん。誰も、リーダーの代わりにはなれなくてね、引っ張っていける人がいなかった」


「まつりとか、リーダーの素質ありそうだけどな」


「節穴だよっ」


「え? 何て?」


「達矢くんの目が、節穴。まつりちゃんは、リーダーには絶対なれない性格だもん」


「そうなのか」


「なったとしても、無意識に横暴しちゃうからすぐに反乱が起きて、殴って、その度に傷ついて学校来なくなっちゃうの」


「そりゃまた難儀だな」


「うん。弱すぎなの。だから、暴れる。それで、あたしたちは幼馴染四人で集まった。手当たり次第に他人を傷つけるマツリを、何とかしようとした」


「何とかって、どうやって」


「それはね――」


「それは?」


「『他の人を殴りたくなったら、あたしたちを殴って』って言ったの」


「半端ないっすね、幼馴染同盟」


「だって、本気で何とかしたかったから。ねぇ、知ってる? その頃は、この学校が更生施設って役割も持ってなくて、ただの風の強い田舎村の学校だったんだよ」


「そうなのか?」


「うん。のどかで、平和だったの。だから、マツリみたいに暴力的な子も少なかったし、喧嘩する相手もいなくて、ストレスが溜まったんだろうね……。学校を征服してたのもその頃のことだったかな。うん。それで、マツリはある日……男子とつまんないことが原因で喧嘩して、本気で暴れてね……あたしたちに言われた通りに、本当にあたしたちに暴力を振るって、幼馴染の一人、マナカに大怪我させちゃって……それでさすがに大反省して、自分の家に引き篭もったの」


「大変だぁ」


「そうなの。大変なの」


「それで、どうなった?」


「えっと、これは、あんまり外から来た人に言っちゃいけないことなんだけどね……」


「ああ、誰にも言わないから」


「そう言う人に限ってペラペラ喋るよね」


 否めない。結構喋っちゃって怒られたことがある。だが、どうせこの街に、話ができる友達なんていないしな。何とかなるだろ。


「大丈夫。俺は言わない男だ」


 そこまで深刻な話なら、節度は守るぜ。


「そう……じゃあ、言うよ?」


「ああ」


「えっと、どこまで話したっけ」


「幼馴染に怪我させて引き篭もったってとこ」


「ああ、うん。それでね、手首切っちゃって」


 笠原みどりは、軽い調子で言った。


「うっわ……」


 これは確かに、他人には喋れない。


「まぁ……色々あったからね。怪我させた責任が取りたかったのかもね……」


「それで、事件を重く見た大人たちが、何とかマツリがこの街で暮らしていけるように、この街に、問題を抱えた生徒を更生、療養させるために受け入れることにしたの」


「なるほど、つまり、この学校は、上井草まつりのための学校ってわけだな」


「そう。まつりちゃんは信じられないほど不器用だから、ストレスとかの発散方法が、わからない。そこで、問題児を集めて、風紀委員という立場を与えて、まつりちゃんの暴力を半ば容認したの。それで、たまにイライラした時にあたしとか違うクラスのカオリとかに軽度の可愛い暴力行為に及んでコミュニケーションとって、バランスとれるくらいにはなったわ」


「なるほど……それで髪の毛バサバサされてたわけか……」


 みどりは頷いた。


「風紀委員なんて役職は存在しないんだけど、そうでもしないと、まつりちゃんのこと、誰も抑えられないから。大人でさえ……」


「ふむ。問題児を抱える学校の側としても、更生させる組織があれば、問題児はそこに投げ込めば良いから楽で、利害が一致したわけだな」


「そういうこと。でも、それじゃあまつりちゃんの根本的な解決にならないのよね」


「でも、じゃあ、みどりはどうすれば良いと思うんだ?」


 すると、みどりは一つ溜息を吐いて、


「問題は、まつりちゃんよりも圧倒的に優れた人がいないことなのよ」


 とか言った。それがみどりの意見らしい。


「いつまでも、イライラをぶつける相手ばかりを探しても仕方ないの。それはモラトリアム的逃避でしかないから。それを、皆わかってないのよね。誰か尊敬できる人が、まつりちゃんの近くに居ないといけないの。自分よりも圧倒的に優れた誰かに、守ってもらいたいのよ」


「でも、あたしたちじゃ、そういう存在には、なり得ないから……」


「まつりって、かなり強いだろ。体にすげえバネあるし、よく鍛えてる。あれ以上に強い奴なんて、探すの難しいぞ」


「そうね。でも、力だけじゃなくてね、心も強い人を……ね。贅沢だよね、まつりちゃん」


「だな。とんでもない奴だな上井草まつりは」


 と、その時だった。


 ガラッと勢いよく引き戸が開いた。


「誰がとんでもない奴だって?」


「げぇ、上井草まつり」


「みどりも、何をペラペラ喋ってたの?」


「え? まつりちゃんの昔話?」


 みどりは笑顔でそう言った。するとまつりは、


「…………また冗談を」


「うん、冗談冗談。まつりちゃんの悪口言ってたの」


 みどりは嘘を吐きながらニコリと笑った。


「このぉ、またモイストするよっ?」


 まつりは、笑いながら両手を顔の前に持って来た。


 モイストするってのは、あれか。さっき、みどりに対してやってた髪の毛をバッサバッサ捲り上げて周囲を回る暴力的奇行のことだろうか。


「痛いんだよ? あれ」


「そんなことは知ってるさぁ!」


 じゃあやるなよ。


 いや……でも、やらないと精神のバランスを崩すんだったか。みどりの話だと。それくらいで暴力行為が収まるのなら、確かにそちらを選択するべきかもしれない。たとえ自身が割を食っても。


「おい、まつり」


 俺は目の前の女の名を呼んだ。


「『様』をつけろ、負け犬」


「くっ、まつり様……」


「何よ?」


「俺にモイストしてみないか?」


「は?」


「だから、みどりが痛がってるのは可哀想だから、俺が代わりにモイスト引き受けようかと言ってるんだ」


 直球だった。


 こいつ相手には、ストレートに言うのが手っ取り早いだろう。というか遠まわしに言っても理解されない気がした。


「……あんたでモイストしても、いい匂いしないじゃん」


 否めないっ。俺に女の子のいい匂いは出せない!


「モイストするほど髪の毛長くないし……」


「――伸ばすから。みどりと同じシャンプー使うからっ」


「そんなん気持ち悪い」


 地味に傷ついた。


「うん、気持ち悪いかも」


 くはぁ。大ショック。みどりまで。


 女子に「気持ち悪い」と言われるのはきついぜ。


 たとえそれがどんな理由でも。それが、まつりみたいな変な女子でも。まして、みどりみたいな可愛い子なら尚更。


「とにかく、みどりにモイストするのは、もう止めないか? 女の子にとって髪の毛って、ほら、大事なものなんだろ?」


 昔、女の子の髪の毛をいじくりまわしてボサボサにして、大泣きされたことがあるからな。大事なものらしいことは知ってる。


「……要するに……キミ、みどりのこと好きなの?」


「!」「?」


 予想外の問いでビックリマーク点灯しちまった。


「そそそ……それは……」


 俺は、慌てた!


「違うの? まぁ、どうでもいいや。そんなの」


 どうでもいいってことは、無いぜ。


 大事な問題だ。少なくとも、好意に近い興味を抱いてることは確かだが、ううむ、好きかどうかと言えば……。


「て、ていうか、まつり様は、何しに来たんだ。俺は今、折角みどりと二人きりで楽しく話してたのに」


 すると、まつりはムッとした。


「着替え、持ってきてやったんだけど、破いていい?」


「すみません。ありがとうございます」


 俺は座っていたベッドの上に正座し、ひれ伏した。


「達矢」


「はい、何でしょうか」


 顔を上げると、服が飛んできた。


「うわっと」


 俺はその服をキャッチする。


 そして、上井草まつりは、俺の制服を投げつけた後、言うのだ。


「あたし、みどりにモイストするのやめる」


「え……まじ?」


「代わりに、キミをいじめることにする」


 俺は超喜んだ。


「おお、良かったな、みどり!」


「達矢くん。何で『いじめる宣言』されて喜んでるの……」


「だって、もう、みどりが痛いことされないんだぜ」


「……あ、そうか……。でも……いいの?」


「当り前だ! ありがとな、まつり」


「『様』をつけろ!」


 上井草まつりはそう言って、颯爽と保健室を出て行った。


 けっこう長い沈黙の後、


「ありがとう……」


 ポツリとみどりは呟いた。





 何とか一人で歩けたので、保健室を出たところでみどりと別れ、一人で坂を下った。暗い歩道を一人歩く。


『……要するに……キミ、みどりのこと好きなの?』


 笠原商店が見えたところで、まつりの言葉を思い出す。


 どうなんだろうか……。


 俺は、みどりのことが好き……なのか?


「…………」


 好きだと思った。



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