上井草まつりの章_最終日
この町で過ごす最後の夜。
俺の隣には上井草まつり。俺もまつりも、制服を着ている。
背中から、強い風が吹いている。
視界には、街灯の明かりで控えめに光る街があった。
昼間に風が弱まる時間帯があったので、住人の半分はその時避難した。
若山さんの協力もあって、街の南側にあるトンネルも避難ルートの一つとして機能したため、残った住人たちの避難もスムーズだった。
まつりや俺やみどり等、最後に残ったグループも、南側のトンネルから車を使って避難することになるだろう。生徒会長の伊勢崎志夏だけは、本人の強い希望で避難しないで街に残ることになった。
避難、とは言っても、志夏が言うには不発弾なんてものは存在しないらしいのだが。
ちなみに、学校に通っていた生徒たちの受け入れ先は、不良生徒の多い国内の学校になったそうで……まつり達とも離れずに済みそうだ。
「そろそろ九時になるな」
「うん……」
俺たち二人は、よく若山さんが釣りをしていた場所、湖の岸辺に立って、街の電気が消えるのをずっと待っていた。
「ちゃんと消えるかな」
「当然でしょ」
俺の耳には、風車が回転する音が響いている。
「まつり、あそこに立ってる風車さんの名前は何だ」
「……たけだ」
相変わらずシブい。
「じゃあ、あれは?」
「……やまざき」
「じゃあ、湖に立ってるあの風車さんは?」
「……彼女はジョセフィーヌ」
「急に外人みたいになったな。ていうか性別とかあるんだ」
「それっぽくない? 湖に立ってるし」
「いや、正直、その感覚がわからない」
「そう……」
「何だ、元気ないな」
「まぁね。そりゃね」
「どうしたんだ。悪いものでも食べたのか?」
「だって、ここはあたしが生まれて育った街だから、一時的にとはいえ離れるのは」
「不安なのか?」
「ううん」
言いながら、まつりは大きく頭を振った。不安じゃないなら、何なんだろうな。
「まぁ、お前は強いからな。どこでだって生きていけるだろ」
「まぁね。強いからね」
「さて、間もなく、だな」
正しく時を刻んでいる腕時計を見ると、秒針が九時十秒前を差していた。
そして数秒して、周囲の街灯が消えた。
視界の手前から、俺たちを中心にして、放射状に闇が広がっていく。
扇状に広がっていた明かりが、手前から消えていく。
町が眠る。
全て消えた。
そして世界は、暗くなった。
広がった、闇。悟りでも開けそうな無明の世界。
「暗いね」
「ああ、暗いな」
風車が回転する音と、風の音。まつりが呼吸する音と、俺が発する音。
今、この町には、それくらいしかなかった。
「……見て」
不意に、まつりが言った。
「何を?」
「上」
言われた通りに上を見る。
すると、そこには、
――満天の星空。
――いくつも流れていく、光の筋。流星。
「……っ、綺麗じゃん」
感動したような声で、まつりが言う。
「ああ、何か、現実的じゃないな。星って、こんなに明るいんだな」
「うん、達矢の顔も、うっすら見えるよ」
「俺もまつりがちゃんと見えるぜ」
とはいえ、かなり暗いけれど。
「こんなに明るいんじゃ、皆、ちゃんとおやすみなさいできないんじゃないかな……」
「大丈夫だ。お前の大好きな風車さん達……たけだも、やまざきも、ジョセフィーヌも、そして、のむらも、休むときには休める優秀な奴らだ」
「そっかぁ」
「それに、騒がしいお前がいなくなったら、街は眠ったように静かになるだろ」
よくは見えなかったけど、頷いた気がした。
「…………ねぇ……達矢ぁ……」
涙声。泣いているのだろうか。
「どうした」
「…………」
身を寄せてきた。
肩を抱く。温かい。まつりの匂いがした。
「…………」
「どうしたんだよ。お前らしくもない」
すると、震えた声でこう言った。
「達矢さぁ、あたしらしいって……何だい」
「すぐ殴るよな」
俺は言って、笑った。
「ごめんな、痛かったよな」
「まぁな」
「おやすみなさい……」
きっと、街に向かって言った。
「おやすみなさい」と俺も言う。
「達矢……あたしのこと、好きって言ってよ」
「いくらでも言ってやる。……好きだ」
「――しね」
ここに来て、そう来るか。
さすがまつりだ。
「あのなっ、お前はもっと好きな人に『死ね』と言われた時のショックを想像するべきだ!」
「じゃあ、言ってみて」
「えっ……」
「あたしに『しね』って言ってみて」
「い、言えるわけねえだろ! 好きなんだから」
「言わねえと殺すぞっ」
何この殺伐会話。
普通、もっとこう、ロマンチックなシーンになったりするもんじゃないのか。折角の満天の星空が台無しだ。
だけど、まあ、まつりらしくもあるような気もするが。
「ほら、言ってみてよ」
「じゃあ、一回だけだぞ。これっきり、死ぬまで、いや死んでも二度と言わないからな」
「ん」
ボソッと、とても小さな声で、
「しね……」
言った。人を呪う言葉を。
もちろん本気で言ったわけではない。でも、胸がひどく痛んだ。
「今、すっごい胸がズキってきた。すごいキた!」
興奮気味に言うまつり。
「そう、それを俺は毎回味わっていたんだ」
「強いんだ、達矢」
「まぁ、そこそこにな」
そして、まつりは、聞いたこと無いような甘い声で、
「抱きしめて良い?」
「背骨折らない程度ならな」
「……バカ」
まつりは、俺の背中に腕を回し、キュッと抱きしめてきた。
「ああ」
俺は、そんな彼女の背中に手を回す。
そして、迷いなく、そのセーラー服のエリを立てた。
すると、まつりは俺から離れて言うのだ。
「…………ほんと、バッカ野郎っ……」
困ったように笑いながら。
「達矢。いつか、不発弾がなくなって、もう一度この街に戻ってくるときは、その時は、一緒に帰って来るぞ。わかったな?」
「嫌だって言ったら殺されるだろ」
「うん」
ああ、本当に、好きだと思った。